#125 日本にも奴隷制度があった?

奴隷制度と言うと、古代ギリシャや大航海時代以降の黒人奴隷が思い浮かぶが、実は日本にも奴隷制度があった。

奴隷のような人々の存在が記されている最古の時代は邪馬台国の卑弥呼の時代である。魏志倭人伝には、卑弥呼が魏に対して「生口(せいこう)」とよばれる人々を献上したことや、卑弥呼の埋葬の際に奴婢(ぬひ)100人が卑弥呼と共に墓に埋められたことが記されている。このことから、弥生時代には奴隷のような人々がいたのではないかと言われている。

その後、701年の大宝律令の制定時に、奴婢は正式な制度として取り入れられた。民衆は戸籍上良民と賤民(せんみん)に分けられていた。さらに賤民は大王家の墓を警備する陵戸(りょうこ)、犯罪を犯して良民の位を奪われた官戸、支族の末裔が隷属化した家人(けにん)、朝廷の官有民だった公奴婢(くぬひ)、豪族の私有民である家人と私奴婢(しぬひ)に分けられていた。これらは「五色の賤」と呼ばれた。官戸や公奴婢は朝廷が持つ田の耕作を行い、家人は主人の身の回りの世話、私奴婢は良民の3分の1の田が与えられ、耕作を行った。

奴婢は居住や結婚などが制限され、公的に売買されるなど、現代で言えば人権が大きく制限されていた。奴婢は所有者の資産として扱われ、相続や贈与が行われていた。また、結婚は同じ身分同士でしかできないとされ、奴婢同士でしか結婚はできなかった。そして、奴婢の夫婦の子どもは奴婢の所有者のものとなってしまった。

このように、奴隷的な扱いを受けていた奴婢だが、江戸時代のえた・ひにんのように身分が完全に固定されたものではなく、主人が役所に届ければ良民になれたり、出家することができたりするなど、賤民から抜け出す手段も存在した。

奈良時代から平安時代にかけて公地公民や戸籍制度が崩壊し、平安時代中頃には奴婢の制度は廃止されたが、その後も人身売買や実質的に奴隷のような暮らしをする人々は存在した。中学校の教科書には1、2行記述があるかないかという程度だが、日本にも制度としての奴隷制があったのである。

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