#167 上総と下総どちらが都に近い?

旧国名には上野(こうずけ)、下野(しもつけ)、上総(かずさ)、下総(しもうさ)のように上下がつくものや、備前・備中・備後のように前・中・後がつくものがある。これらはいずれも都からの近さをあらわしている。近江(滋賀県)は琵琶湖があるため「都に近い淡水の海」、遠江(静岡県)は浜名湖があるため「都から遠い淡水の海」という都中心の国名がつけられている。

例えば、備前は岡山県東部、備中は岡山県西部、備後は広島県東部となており、かつて都があった京都・奈良から近い順になっている。上野(群馬県)、下野(栃木県)も都から近い順である。

では、上総と下総はどうか。上総は千葉県南部(さらに南には「安房」がある)、下総は千葉県北部を中心とする国である。都がある関西方面から千葉県に向かう場合、現代では東京を経由して千葉県北部→南部というように向かうため、下総の方が近く、上総の方が遠いように思える。
しかし、江戸時代以前は江戸を経由するルートは一般的ではなかった。都から房総半島へ向かうルートは、江戸経由ではなく、三浦半島から東京湾を船で渡って房総半島南部に上陸し北上して東北地方へ抜けるというルートが一般的だったのである。

江戸が首都として発達したのは江戸時代以降であり、徳川家康の利根川東遷事業が行われるまでは江戸東部は広大な湿地帯であったため、江戸を西から東へ横切るのは難しかったのである。千葉県南部の方が都から近いという認識があったので「上総」と名付けられたのだ。

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