#192 地下鉄サリン事件とは
1月17日に起こった阪神淡路大震災と、その直後の3月20日に戦後最悪のテロ事件である地下鉄サリン事件をもって、1995年は戦後史の転換点とも言われいる。
地下鉄サリン事件の概要は以下の通り。
地下鉄サリン事件は、ただのテロ事件ではなく、日本の中枢である霞が関に乗り入れる5本の地下鉄内で毒ガスを発生させて大きな被害を出し、政治的な混乱を起こすことを目的としたテロ事件である。教団はそれまでもさまざまな凶悪事件をことから、間近に迫った警察の強制捜査を防ぐことが狙いだったとされている。
そもそもオウム真理教とはどのような宗教団体だったのか。
教団は、各地でトラブルが相次ぐようになると、凶悪な事件が次々と起こるようになる。1989年には教団の被害者の会結成を支援した坂本弁護士一家の殺害事件、1994年には、長野県松本市で、サリン噴霧車(サリンを加熱して気化させて大型送風機で周辺に散布する装置)でサリンを散布し、8人をサリン中毒で殺害、約140人にサリン中毒症の傷害を出す「松本サリン事件」を起こした。教団は、松本市の教団施設建設をめぐって不利な判決を出されたため、裁判所職員宿舎に向けてサリンを散布した。結果、周辺の集合住宅を中心に巻き込む大きな被害を出してしまったのである。
サリンとは、無色無臭の液体で、揮発性が高く、体内に吸収されると、呼吸筋に障害を起こしたり、呼吸器を麻痺させるなどして死に至らしめる猛毒である。教団がサリンなどの毒物を大量に生産・保有していることが疑われたため、警察の強制捜査が教団施設に入るのが時間の問題となっていた。そんな中発生したのが地下鉄サリン事件だ。
地下鉄サリン事件から2日後の3月22日、警視庁は2500人の警察官を動員して山梨県上九一色村などの教団施設に一斉捜査に踏み切った(容疑自体は違う事件だった)。
その後、教団の幹部が次々と逮捕され、5月16日には松本元死刑囚が地下鉄サリン事件の殺人容疑で逮捕された。
教団には東大卒などの理系エリートが入信していたことから、教団をめぐる一連の事件は、経済成長の終わりと社会の閉塞感の象徴とされ、1995年はバブル崩壊後の失われた数十年の始まりを決定付ける年となった。
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