#ネトウヨ を洗脳した日本会議の天皇利用
日本会議の歴史修正主義
日本会議の流すデマについては、山崎雅弘著の『歴史戦と思想戦』で解説されている。その要約がtogetterでまとめられているのでご覧いただきたい。
「歴史修正主義」と産経新聞の「歴史戦」について 《山崎雅弘》
https://togetter.com/li/809343
暴論である南京事件否定論を流布し続ける愚か者達。先の戦争が侵略戦争ではないと主張し、地方議会での「不戦決議」にさえ反対する勢力である。
「南京事件論争史」より
(引用開始)
「不戦決議」に反対するために強調されたのが、日本の戦争を侵略戦争とするのは、「英霊への冒涜」「戦死者を鞭打つ行為」であるという主張であり、誤った戦争であったというのなら「戦死者は犬死にだったのか」という主張であった。
(引用終了)
その歴史修正主義者にとって、天皇崇拝は一つの武器である。日本会議を作った生長の家原理主義者は、心の底から天皇を崇拝する愛国カルトであり、天皇主権でいいとさえ思っている。個人の権利を制限し、天皇や国のために命を捧げるべきだと主張さえしている。
日本会議が組織を巨大化できたのも、国旗や国歌、天皇崇拝という、日本人なら当然もっている愛国心を利用して結集することができたからであり、逆に言えば、それを理由に暴走しカルト化する性質をもっている。
南京事件否定論についても。旧日本軍は皇軍であり、残虐な行為などやったことを認める訳にはいかないという発想が先にある。先の戦争を美化するために、天皇万歳と死んでいったことも肯定する愚かな思想である。
冷静に歴史を見れば、旧日本軍は、天皇を戦争遂行のために利用したと言える。政府が戦争不拡大の方針をとるのに対し、統帥権への干犯であると抗議し、従わずに暴走をした。
1945年、沖縄は本土を守るための捨て石とされ、住民を巻き込んだ地上戦で24万人もの尊い命を失った。3月10日には東京大空襲で10万人が亡くなった。頼みにしていたドイツが5月8日に全面降伏した。制空権はアメリカに完全に握られ敗北は必至なのに、「一億玉砕」をスローガンに本土決戦に挑むつもりであった。7月26日にポツダム宣言がつきつけられたが「国体の護持」(天皇制の維持)に拘って黙殺した。そして、長崎・広島への原爆が投下されたのである。
一方で、こんなに崇められた昭和天皇が戦争を止める力があったかというと難しかったようだ。我が小説『自衛隊の憲法明記は亡国の道』第15話 天皇の戦争責任はない より、
(引用開始)
昭和天皇が皇太子時代にベルダンへ行き、すさまじい戦場の跡に衝撃を受けた様子を見て、陸軍は「このへっぴり腰め。こんなやつが天皇になるのは大変だ」と考えたといわれている。陸軍の中には昭和初年代の満州事変、第一次上海事変、その後の国際連盟脱退のときでも、昭和天皇がへっぴり腰で弱くていかんから、早く変えてしまえという声がひそかにとなえられたくらいだそうだ。(中略)『昭和天皇独白録』では、「若しあの時、私が主戦論を抑えたらば、陸海に多年錬磨の精鋭なる軍を持ち乍ら、ムザムザ米国に屈伏すると云うので、国内の世論は必ず沸騰し、クーデターが起こったであろう」と述べている。
半藤一利著『日本のいちばん長い日』で、終戦時の陸軍将校のクーデター未遂事件である宮城事件が知られることになったが、天皇といえども、軍部の方針に逆らうと身が危険だったのは事実である。あのクーデターで昭和天皇が殺められた可能性さえあっただろう。
(引用終了)
この状況は、戦後も変わっていない。日本会議は天皇を利用して巨大組織となり、この国を自分たちの好きなように動かす力をもっている。その一方で、昭和天皇と平成天皇が先の戦争を反省し、アジアとの友好を深めようと尽力したのにも関わらず、日本会議の歴史修正主義者は嫌韓嫌中のプロパガンダを続け、友好を壊すことしかしていない。
平成天皇も現天皇も、愛子様を次の天皇にしたいと考えておられるようだが、日本会議は女系天皇には反対の立場であり、天皇家の意志など無視をしている。これから、秋篠宮家がTVで大々的に取り上げられるはずだ。それは、日本会議による男系天皇擁立のプロパガンダ活動なのである。
そういった意味では、天皇を利用しながら、天皇家にもっとも逆らっているのが日本会議であり、憲法改正でより対米隷従の道に突き進む売国奴たちなのである。(『自衛隊の憲法明記は亡国の道』にて解説)
英霊と戦死者を讃えたい日本人の素朴な気持ちも理解するが、実際には、愚かな侵略戦争の犠牲になったのが事実であり、アジアの人々にとってはまぎれもなく侵略者であった。南方の戦線では、兵士は戦闘ではなく餓死をした。
「遠近を超えて」は、そんな愚かな戦争へのアンチテーゼとして、天皇の肖像画を燃やすというタブーに踏み込んだ作品なのだろう。
「まぬけな日本人」についても誤解がある。「正確には愚かなアメポチの日本人」であり、まさに、歴史修正主義者やネトウヨのことだ。
詳しくは下記に解説しているので、ご一読いただきたい。
#不自由展 問題は #大村知事 が正しく #河村市長 が間違っている
予想通り、歴史修正主義者は猛反発をしている。本当は従軍慰安婦像の方を敵視しているのだが、あえてそちらはあまり追及せず、天皇を利用して抗議をしている。普通の市民も、そんな作品に税金を投じても良いのかと考えるのも自然かもしれない。しかし、作者の意図も無視し、これら一部の作品展示を主原因に知事のリコールをしているのは、歴史修正主義の愛国無罪のカルト集団であり、それに賛同しているのは馬鹿なネトウヨ達である。一般市民は、そのことに気づき、より多面的多角的に判断をせねばならない。
なお、大村知事は、従軍慰安婦像については問題になること自体は事前に予測し、パネルにできないかと要望はしたそうだ。しかし、ダメだと強制するのは表現の自由の侵害になるからと控えたというのが事実である。彼は東大法学部卒で立憲主義が何たるかをわかっている素晴らしい政治家なのである。司法試験に挑戦するも合格できなかった河村たかし氏とは、知識も知性も月とすっぽんなのである。河村たかし氏がいかに強情で聞く耳をもたない偏屈者であるかは、検証委員会の資料を見ればわかる。
河村たかし氏が実行委員長なら、間違いなく作品展示をさせなかっただろうし、そもそも津田氏に監修をお願いするはずがない。自分の好きなように検閲をする独裁者だ。
歴史を正しく学んだ私としては、大村知事を支持する。アジアで2000万人を殺した旧日本軍の代表であり、日本でも300万人が命を落とした。戦争責任を問われることはなかったが、肖像画が燃やされる程度で、県の首長のリコール運動が起きるなどというのはあまりに理不尽である。問題となる作品でさえ展示される表現の自由を支持する。「天皇が~」と単細胞にエキサイトして全否定する方に抵抗がある。アジアの人々にとっては、昭和天皇の写真を燃やしたいという感情は当然あると思う。沖縄県民にも、そんな気持ちがあっても不思議ではない。富山美術館コラージュ事件で図版目録燃やされたことを含めて、反戦の意味を込めて天皇の肖像画を燃やしたと私は解釈する。
作者大浦氏自身の思いは「僕自身の「内なる天皇」を従軍看護婦の女性に託して祈りを捧げるということなんです。」とのことである。
ところで、歴史修正主義者は「南京事件はなかった」と気楽に言うが、そちらの方が大問題である。中国人がそれを聞いてどれほど怒るのかがわかっていない。問題の作品よりも、彼らの言動の方がはるかに重大な言葉の暴力である。国際社会への無謀な挑発である。戦争の原因にさえなるだろう。先の戦争を日本は全く反省していないのだと。強大になった中国に、戦争の口実を与えることになる愚かな主張である。
もし、万が一、大村知事がリコールされ、歴史修正主義者の河村たかしが愛知県知事になれば、愛知県と中国との貿易にも悪影響が出るだろう。中国が日本の最大の貿易相手国だというのに、自殺行為である。
こんな歴史修正主義者に騙される愛知県民は限られ、リコールが成立するはずはないと思うが、こんな行動を高須氏達に許すほど恐ろしい世の中になっていることを危惧する。歴史が完全に修正されようとしている。反知性の極地であり、まさに戦争に続く道である。世界の人類の歴史は戦争の繰り返しである。日本もその愚かな歴史に加わるということだ。「天皇が~」とか喚いている場合ではない。