その後
最終的な目標は、復職
1日家の中にいては、脳も身体も衰えるばかり…日中は近所を散歩していたが、家の仕事(農家)を手伝うように勧めた。
手が汚れるから農家は継がない!と昔から言っていたようだが、今はそんな事言ってられないでしょうと話した。半分イヤイヤっぽく手伝うようになった。そして脳のトレーニングの問題も毎朝続けるようになった。
月一回の通院で、車の運転も再開したいと伝えた。そして教習所へ通い、警察へ行って車の運転も問題ないと言ってもらえた
車の運転ができれば、会社へ行ける。会社へも復職できるよう、あたしも一緒に挨拶へ行った。社長も復職を認めてくれた。後から知った事だけど、脳梗塞を発症するくらい、精神的激務をこなしていたという事。社長もそれをわかっていたのだろう…
とはいえ、農家の長男としての仕事は全くしなくなった。昔からの行事やしきたり、親戚が来た時のお相手…義父が今までしていた事をするのを嫌がった。何より義母と話すのが面倒臭い、嫌だ!と…そんなの、あたしも嫌だよ
義母は義父だけでなく、脳梗塞を2回も患った息子の事も悪く言うようになった。ご近所や親戚に「アレはもうダメだ」と…そんな義母と口も聞きたくないと思うのと当然かと思う。
その後どうなったかは、以前の記事に
今年のクリスマスで、発症してから丸7年か…
病気をして変わったのは、あたしと子供達の絆の強さと、旦那本人…
まぁ、病気をする前から夫婦としては破綻していたと思う。看病をしていくうちに気持ちが戻るかなと思ったが、一度離れた気持ちが戻る事はなかった…
いつまでこの暮らしが続くのかな