阪神タイガースと父親

 皆さんは阪神タイガースの本拠地をご存知だろうか。野球に関心のない人にこの質問をしてみると大阪と返ってくることがあるが、その答えは兵庫県西宮市である。私の出身地でもある。

 西宮というと全国的には高級住宅街のイメージが先行しているらしい。初対面の人と出身地の話になるとだいたいそういう反応が返ってくる。確かに阪急電車の沿線にはそのような地区は存在する。しかし、それは西宮という都市が持つ一側面に過ぎない。いわゆる阪神工業地帯の一部でもあり、市内の南部には大規模な物流倉庫や、昔から酒造りが盛んだったため酒造メーカーの工場などが建ち並ぶ工業都市としての側面も持つ。

 この阪神工業地帯を大阪梅田から神戸三宮まで貫くのが阪神電車だ。私は一歳のときからこの阪神電車の沿線にある実家で育つこととなる。大人になってから知ったことだがここに至るまで父親と祖母の間で一悶着あったらしい。

 私の父方の祖父は銀行員だった。具体的な収入や資産について耳にしたことはなかったが、それなりに裕福だったのだろう。各地を転勤しながら定年まで勤め上げ、最後の勤務地となった神戸市にあるニュータウンに一軒家を建てた。

 当初の計画では、私の両親はこの神戸の一軒家に二世帯同居して生活するつもりだったらしい。私には姉と弟がいるが、私が生まれてしばらくの間は大きな問題は起きなかったのだろう。残念なことに出生から一年経ったころ、父と祖母の間で大喧嘩(詳細については知らない)が勃発し、それが原因で引越すことになったようだ。そこで父親が新天地として選んだのが西宮だった。父親は西宮の阪神沿線にある分譲マンションをローンで購入した。

 父親は祖父ほどには収入のよい職業には就いていなかった。それを裏付けるように弟が生まれてまもなく母親は専業主婦を引退してフルタイムで働くようになった。

 父親になぜ西宮を選んだのか聞いたことがある。曰く、祖父の転勤に伴って小学校の数年間を西宮で過ごしたことがあったそうだ。不思議と記憶に残っているのはそれだけで、他にも理由はあったと思う。記憶には残っていないが、間違いなく影響を与えた理由の一つに父親の趣味がある。父親は熱狂的なタイガースファンだった。

 父親について思い出すとき、真っ先に浮かぶのはは夕食の光景だ。仕事から帰ってきた父は勢いよく酒を呷るとテレビの野球中継に熱中していた。阪神が得点するたびに大喜びし、失点するたびにブチ切れていた。そのブチ切れ方はまだ幼かった私からすると尋常ならざるものだった。大声で怒鳴る、物に当たる、家族への言葉も攻撃的になる、最後には障子窓を乱暴に開け閉めしてタバコを吸いに行く。そうすると少し落ち着いた様子でまた観戦に戻る、そういった調子だ。

 かくいう私はというと野球には大して興味がなかった。自然の中で体を動かしたり本を読んだりするのが好きだった。そもそもルールが複雑すぎて理解できなかったし、試合時間も注意力散漫な子供だった私には長過ぎた。試合を観戦するときはただ父親が喜ぶのに合わせて喜べばいい、それが唯一のルールだった。

 父親にとって野球は神聖なものだったのだろう。私たち三兄弟は父親の意向で姉はソフトボール、私と弟は野球を習わされた。残念なことに選手として芽が出た者はいなかった。

 私と父親の関係は中学受験を期に決定的に崩壊した。詳細は省くが、小学校6年生のときに突然話を持ちかけられ、私の口から「受験したい」という言質を取ったのを良いことに体罰等の虐待が始まった。これは中学受験が終わるまで続くことになる。耐えられなくなった私はこの頃から家出を繰り返すようになり、それは現在までも続いている。

 中学進学を機に父親は単身赴任になり、私自身は全寮制の高校に進学し物理的な距離が離れたことによって、なし崩し的に終戦協定を結ばないまま国交を再開したような形となった。以降、父親とのコミュニケーションは事務的なものにとどまっている。

 たわいもない世間話をしていると、どこの球団のファンか聞かれることがある。その度に私は「強いていうなら阪神ファン」と答えている。冗談が通じそうな相手であれば、それは浄土真宗のようなニュアンスであることも伝えている。つまり、自分で選ぶタイミングは無く、親の都合で決まるという点で両者は同じだからだ。

 私はプロ野球を一切観戦しないが、たまにスポーツニュースなどで報道がなされると阪神の結果が一番に気になってしまう。しかしその度にチラつく父親の影がそれ以上の深追いをやめさせる。

 阪神も野球も好きになる予定はない。父親と和解する予定はない。

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