アニメと高校生活

回顧録として書き記す。

 高校を卒業してからと言うもの全くアニメを観なくなった。労働に時間と体力と精神力を奪われ、徐々に視聴の習慣は失われていった。一度失った習慣を取り戻すことは容易ではない。今はかなり時間を持て余した生活をしているが、暇なときにやることといえば専らTwitterのスペースである。ときおり現在放送・放映中のアニメの話題になることがあるが、あらすじを聞いたり制作スタッフについて言及するのが関の山で内容について語ることはできない。

 ふとアニメを熱心に視聴していた高校時代を思い出すことがある。何年前の出来事だったのか冷静に考えてみると10年以上の時間が経過している。時の流れというものは恐ろしい。今よりもずっと時間と体力と精神力を持て余していた。そして情緒不安定だった。

 当時通っていた高校の環境は特殊だった。全寮制の男子校というのは全国的に見てもかなり珍しい。しかし全国的に有名な進学校という訳ではない。不登校・引きこもりの生徒をターゲットに更生ビジネスをやっている学校だった。同じ学校法人の有名な卒業生としては浜田雅功、今田耕司などがおり、直接の先輩としては海猫沢めろん(作家)、たれぞう(YouTuber)などがいる。

 ハマるキッカケになったのは放送部に入ったことだった。元々は自転車競技部に所属していたのだが、同級生と口もきかなくなるほどの大喧嘩をして精神的に疲弊したこと、部室に居づらかったことが理由で退部することを決めた。退部どころか中退も視野に入れて保護者や学校と面談をしていたところ、同じ出身地で同じ寮で生活している色々と面倒を見てもらっていた先輩の説得の末、放送部に転部し中退も取り下げることとなった。

 その放送部はヘンテコな放送部だった。私の出身校には校内放送というものが存在しなかった。正確には職員室や事務室からアナウンスがあったり、定刻のチャイムや音楽は存在するのだが、それらは生徒の手によってコントロールされたものではなかった。

 では私たち放送部は何の活動を行っていたかというと大きく分けて二つの活動があった。一つは校内行事における司会進行、一つは放送部のコンクールに向けて作品制作をしたり朗読・アナウンスを練習することだ。顧問の先生は基本的に部室を訪れることはなく、毎日の活動の大部分は生徒の自主性に任されていた。いくつかの特権も持っていた。人通りの少ない場所に位置する部室、複数台のノートパソコンを代表とするガジェットの数々、行事等を口実に深夜のインターネット利用が許可されるなどがあった。

 ところで、母校ではいくらか人権が制限されており、基本的には学校の敷地外に出ることはできない。部活や行事等の理由がなければ基本的に寮と校舎を行き来するだけの生活だ。そもそも、学校の敷地を出たところで最寄りのコンビニが4km離れているという、車がないと自由に生活できないような地域に位置していた。

 そんな刺激の薄い毎日何一つ変わらない景色を見る生活を送っていた。ただでさえ私はエネルギーを持て余していた。それをぶつける何かを探していた。多くの人が経験するように恋愛に向けることはできなかった。校内に恋愛対象の存在なんていないから。何かに狂っている必要があった。放送部の環境はそれにうってつけの場所だった。放送部の先輩たちは皆重度のアニオタだったのだ。放課後の時間を全てアニメ視聴に注ぐ環境は整っていた。

 当時の私にとってアニメは見たことのない景色、もっといえば見たい景色を見せてくれるこの上ない最高のメディアだった。あるときはかわいい女の子との恋愛模様を、あるときは宇宙の大冒険を、あるときは学園の謎を、あるときは能力者同士の戦いを。刺激に飢え気が狂いそうになっている私の正気を保ってくれる、頼りになる仲間だった。

 しかし出会いがあれば別れもある。年齢を重ねるにつれ自立しなければならないプレッシャーが大きくなってきた。いつまでも実家に頼って生きていく訳にはいかない。現実と向き合い続ける必要があった。私は社会に適応するのに苦労していた。日に日に焦りは増してゆく。余暇の概念を忘れるほどに体を、頭を、心を酷使し、社会に食らいついていこうとする。そんな試みを何度も繰り返しては失敗を重ねていた。しかし、空想の世界はボロボロになった私を慰めてはくれるが、決して強くしてくれるわけではないと考えるようになった。アニメだけではなく、小説・マンガ・映画なども同様である。

 そんなこんなでアニメを観る習慣を今は失っている。無理に観ようと努力した時期もあったが、そんなことをする必要は一切ないことをそのうち悟った。決してアニメを嫌いになったのではない。ただ、今の私に必要無くなっただけだ。かつて心を動かされた作品たちは私の心の中で煌めいている。アニメを必要とするどころか、生涯にわたって愛好する趣味として向き合い続ける人もいるだろう。

 アニメという娯楽との距離は人によって千差万別だ。私は今疎遠になってしまっているだけのことだ。いつかまた、毎日のように熱中していた日々が帰ってくると嬉しい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?