SHADOWTIMES 2013/04/04 Vol.21
《Days and Lights》 Post.10
「暗がりと白と」 勝又公仁彦(邦彦)
初めて「美術」に触れのはいつのことだったか皆さんは覚えているだろうか? 美術の定義に依るが、ここは非常に広い枠で進める。現代はデザイン家具なども含めて生まれた時から同時代の美術に触れて育つというお子さんも多いかもしれない。私の場合はほとんど置物レベルの小さな彫刻が幾つかと床の間などに飾られた掛け軸や扁額などの書画といった家にあるものが目に入ってはいた。それらは全て日本のもので、美術品というより家具の一部のような感覚だった。
「2013年3月21日 東京都練馬区」
複製では切手の印象が強い。最近の切手にはマンガも含めて様々なものがあるが、子供の頃では日本の国宝シリーズや、近代でも棟方志功や東郷青児止まりで、日本郵便が扱うのはやはり日本の美術品がメインであった。小中高等学校で美術史を教えてもらった覚えもないし、近くになかったせいか美術館に連れていかれた覚えもない。
テレビで見るビジュアルアーティストといえば岡本太郎と池田満寿夫くらいという時代だ。美術の教科書で覚えているのはラスコーの壁画とエジプトの書記像くらいで、要は最初のページを開いただけだった。高校生の時に幾つか印象派の画家などの画集を買ったりもしたけれど、何かピンとこない。修学旅行で眠り猫を観ても奈良の大仏や広隆寺の半跏思惟像を観ても状況のせいかそわそわして全く集中できなかった。
「2013年3月22日 東京都港区」
そんなある時、眼に入ってきた絵があった。それは確か読売新聞の日曜版の一面で、毎週古今東西の名画が各界の著名人のレコメンドによって掲載される紙面だった。その週は記憶によれば林真理子さんのチョイスで、大原美術館所蔵のエル・グレコの『受胎告知』の図版が載っていた。
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