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ライブアイドルはいかにして誕生したかの記録#02
かくしてデジタル技術革新とともに「ライブアイドルシステム」の第一歩は始まった
1992年11月某日
僕は秋葉原にいた。
オーディオマニアだった父に連れられて幼少の頃から慣れ親しんだ街、秋葉原
いつもワクワク(リボン結びではない)やときめき(メモリアルでもない)を抱いて かの地を訪れていた自分であったが、今回はいつもとは違う。
形容しがたい興奮と共にラジオ会館に向かったのを覚えている。
ラジオ会館には昔からなじみの店があり、目的のマシンも当然おさえてもらっている。
そのマシンがこれだ(画像ガビガビですまぬ)
![](https://assets.st-note.com/img/1691951416889-FCcp1Q316s.png?width=1200)
「あ、あったね〜MD」なんて言われてしまうMiniDisc(MD)
とはいえ世界で初めて民生機で光ディスクに音声を記録可能とした画期的な夢のマシン!!!
それがSONY MZ-1
7万9800円だったか。
本体価格は当時としては結構高かった印象だが最初だしまぁ、仕方ない。
が、メディアは最初は60分のものしかリリースされず、しかも1枚1400円で在庫僅少!
これは結構痛かったなぁ…。
(ベータマックスのビデオテープも最初は数千円とかで買ってたし、最初はいつもこんなものだ)
ま、とにもかくにも世界初のMDウォークマンを手にした!
発売前に発表されていたMDの機能の中で僕が注目していたもの、それは
ディバイド(分割)
ムーブ(移動)
そう、この機能さえあれば、これまでオープンテープで切り貼りしたり、別トラックに録音してどうこうしていたことが簡単にできてしまう。
高価なMacもいらない!
しかもポータブルだからいつでもどこでも作業できるのだ!
しかし懸念されることがひとつあった。
この機械でやりたいこと…
それは 例えばフルコーラスのものを1ハーフにしたり、数曲をつないでメドレーを作ったりすること。
ディバイドして編集したはいいが、つなぎ目がスムーズに再生されなければ意味がない。
それだけが気がかりだった。
使えるのか? この機械…
そんな不安をかかえつつ僕は帰りの電車の中で説明書を穴があくほど読みふけってっていた…。
(続く)
なんだよ、MDでカラオケ出すだけぢゃん!
って今なら思うかもしれないけどね。
当時はカラオケ音源というのはキャンペーンやイベントをやることはあってもライブを行うなんて考えはほぼ無い時代。
ライブハウスにはステータスがあって「うちではアイドルなんてやらないよ! は? カラオケ? 生演奏のライブしかやらないよ」なんて時代。
その概念を明確に打ち壊したのは自分も多少関わらせていただいた東京パフォーマンス・ドールなんだけど、そのあたりは機会があったらってコトで。
(これも書き始めると長いのよ)