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新しいCultureが生まれているその瞬間、終わってしまう夜、映画のような(2,440字)

Only U「NEON SIGN feat. LEX」ミュージックビデオ

Only Uの「NEON SIGN feat. LEX」のMVが突如公開された。これはXXX tentacion以降の国内シーンで新世代として今をときめくOnly UやLEX周辺の空気が完璧にパッケージングされている貴重な映像であり、後世に残すため1,000万回再生されるべきものであるからこそ、微力ながらその魅力と価値を伝え再生回数の足しになることを願って書く。

AM5:23/「これもう映画だよ」

「AM5:23」というテロップから映像は始まり、「これもう映画だよ」という台詞が入る。絶妙に青く神妙な黒さの空をとらえたカメラは彼らのリズムに合わせるかのごとく無造作に揺れ、クルーのヴァイブスを拾い始め、各人のキャラクターや関係性をあぶりだし、彼らに横たわる価値観にも肉薄する。ローガン・ラーマンやエマ・ワトソンら若い俳優の感性が充満した『ウォールフラワー』(2013年・スティーブン・チョボスキー監督)や、ミア・ハンセン=ラブ監督がクラブフロアから始まる新たな時代の予感を描いた『EDEN/エデン』(2014年)といった映画にも通ずる、新しい何かが生まれそうな感性がほとばしっていて、何が映画であり何が映画ではないのかという境目がもはや分からなくなってきているこの2020年、なるほど本MVはもしかすると映画かもしれず、「映画について考える映像かもしれないがそうでないかもしれない。」


AM5:52/2020年の「隣の仲間」

「AM5:52」というテロップ。2テイク目のカメラがまわる。音楽はまだまだ続く。ダンサンブルなトラップビートはYoung Cocoも「Space!!!・:*+.\ ( (°ω°) ) / .:+」で使用しているものだが、こちら「NEON SIGN」ではきつめのオートチューンによりボーカルがよりドラッギーに仕立てられている。LEXのヴァースで披露される、ポップネス。そしてエモーション。LEXのラップはなぜいつもそこはかとなく哀愁が漂うのだろうか。
今この目の前で起こっている幸せな出来事がいつかは過ぎ去ってしまう事実に対して哀しさを感じてしまうこと、大の大人はその事実を知っているがゆえに涙腺が脆くなってしまうのだけれど、この若いラッパーは、もうすでにそんなこと知っているかのごとく生きている。哀しさを背負っている声。10年近く前に、同じ団地のMonyHorseらとつるんで現れたあのラッパーも、そうだった。

CHAIやBAD HOP、Awich、kZmらのMVを多数手がけ、気がつけばLEXともすでに多くの仕事を共にしてきた監督の堀田英仁氏は、本MVについてこうツイートしている。

この曲で最も大切なリリックは“隣の仲間が家族の様に”というパートで、隣の仲間とともに江の島の海岸沿いで歌って踊る時間が刻一刻と重ねられる、それがストリートカルチャーが生まれる瞬間としてカメラにとらえられる、だからこそ貴重な映像なのである。

思えば、2020年ほど「隣の仲間」が必要とされ、隣の仲間に「しか」接続できなかった年はなかった。部屋でもなく、クラブフロアでもなく、はたまた街中でもなく、本作が空と海が広がる解放的なロケーションで撮影されたというのも、2020年らしい多くの意味を感じる。

最後のTAKE3/夜が終わる

3テイク目のカメラがまわる。次第に陽が昇りはじめ、空が、人が、明るさを必要とし始める。朝を迎えると、もうこの時間は終わってしまう。夜が有する儚さ。彼らは、恐らく気づいているのかもしれない。全てが有限であることを。例えば、LEXはインタビューで度々発言するのだ。「お金が手に入ってしまった時に「これが本当に欲しかったのかな」と思ってしまって。」なんてことを、しんみりと。

哀しいかな必ず明けてしまうOnly UやLEXたちの夜を見ながら、私は、かつて2012年に発行された『PLANETS vol.8』において著者である宇野常寛氏が記していたこと――発展するサブカルチャーやインターネットの世界を<夜の世界>と置き、政治や経済を<昼の世界>と置いたあの序文を思い出していた。

情報化が象徴するテクノロジーの進化はいま、人間という存在のイメージを書き換え、ひいては人間と世界との関わり方を変えつつある。その本質的な変化が、こうした<夜の世界>には既に巨大なうねりとなって蠢いているのだ。それは確実に「政治」や「経済」を変えうるものだ。足りないのは、この<夜の世界>の原理を、<昼の世界>の原理とするための力だけ、なのだ。

あれから8年が経ち、状況は厳しい。相変わらず昼の世界は昼の世界の傲慢さを保ったまま、若者は割を食う。今年に入り、夜の世界はその活動さえも大きく制限されることとなった。ストリートから人影がなくなった。

けれども、夜の世界のルールの中で、家族のような隣の仲間とひたすら音楽を作りリリックを書き制作に没頭している者たちもいる。本MVはその記録であり、どうか終わらないでほしいという想いとは裏腹に、TAKEは永遠に続くことはなく、そして夜は明けていく。

一方で、夜のルールは貪欲に様々な音楽を吸って吐くことを許容していて、彼らの音楽性は単なるラップミュージックに留まらず、ロックやダンスミュージック、エレクトロなどあらゆるジャンルに拡張し続けている。そのヴァイブスは間違いなく11分58秒の映像にみなぎっていて、だからこそ、終わってしまう11分58秒を、何度も、何度も、ループしてしまうのだ。

新しいCultureが生まれているその瞬間/終わってしまう夜/映画のような/映画のような/映画のような…

“隣の仲間が家族のように”とはいかない境遇で、たった一人で世界と向き合い自分と戦っている人もいるかもしれない。そんな人には、dodoがいるし、Momもいる。夜の世界は、誰にでも開かれている。


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