もしゴッホが現代にいたら。
日本人が好きなゴッホは
日本に憧れていました。
日本とゴッホ、どこか親和性があるのかもしれません。
私は
ゴッホの魅力は、絵だけでは不十分でその人生の苦難さが伝わっている事で彩りが増して魅力を発揮しているように思います。
ゴッホの絵と同時代の他の名もない画家の絵、特にゴッホばかりがネームバリューがあり、現代で高値で取引されるのは何故なんだろう?
ゴッホという名前が資産価値になっていて、美や感性から多少の乖離してるんじゃないかと思います。
ご存知の通り、ゴッホ存命中、絵が売れたのはたった一枚。
毎日毎日、息をするように見たものを描いて描いて描いて生きたゴッホは画商の弟テオに絵を送り続けたにも関わらず。
弟テオの画商としてのセールスの才能を疑わざるをえない。
テオは、ゴッホ以外の他の画家の絵は上手く売ったのでしょうか?
テオは兄ヴィンセント(ゴッホ)の生活を金銭的にも(精神的にも)支え、それが後世にゴッホの絵を残す事になったわけですが、テオ自身の生活もそれほど潤っているものではないようなので、想像するにそれほど好調なセールスマンってわけでもなかったんじゃないか説。
テオは兄の絵を、例えば「それなりに」売りたくなかったんじゃないかと私は想像しています。
兄への愛情ゆえに。
絵は魂の分身です。
ゴッホの1番の理解者のテオは、兄の分身を安売りしたくなかった。
だからゴッホの絵が売れなかった。
その価値観と世間の評価の乖離があったのではないでしょうか。
全て、私の想像ですよ。ほんと。
テオはヴィンセントの死からまもなく兄を追うように精神病院で亡くなってしまい、ゴッホの絵はテオの奥さんのヨハナ(愛称ヨー)とテオの遺児に引き継がれました。
彼女が1914年に義兄と夫の書簡集をオランダで発刊し回顧展を開いた事でゴッホという画家の知名度は上がり調子になっていきます。
(テオよりヨーの方がプロデュース能力あったのか?)
今、「アウトサイダーアート」という言葉があります。
「障害者が描くアート」という位置付けの一つの販路。
もしゴッホが現代にいたら、ゴッホの絵は「アウトサイダーアート」になっていたのだろうか
お金に変えられる価値とはなんなんだろう…
私の絵も一枚も売れた事はありません。
手法も違うし、ゴッホの生きた時代とも違う。
しかし
ゴッホのような狂うほどの不安や焦燥が、
私の中にも確実に息づいています。
ああ…
素人なりに安くしたら売れるのかもしれませんよ。
ただ計算すると時給30円とかにする事になる。
それは自分への虐待に他ならないんでやりません…
自分の価値を感じたい。
おそらく多くの人が求めている事でしょう。
ゴッホは不器用で激昂しやすく、人との距離感がつかめなくて、絵を描く以外はうまく立ち回れなかったからこそ、絵という分身で自分の価値を見出したかったんでしょう。
私はもはやネット販売の閲覧データ見る事すら疲れました。
ヴィンセント、君とおんなじさ(苦笑)
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