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【つれづれ日記】今だからわかること。学生にとって大人の社会は「外国」だ

ボクは新入社員時代頑張っていた。
「せっかくご縁をいただいた会社なんだから、ここでずっと働こう」と思って意気込んでいた。

しかし、当時のOJTの先輩からは応接室で「ナメてんのか」と詰められ、上司からは「あっちいけ」と嫌われる始末。

結果、3年ちょっとで会社を辞めた。


今だからわかる。
当時のボクはダメダメだった。
いや、ダメというより「ズレていた」


きっと当時のボクは「学生の常識」で働いていた。
だが、会社は「社会の常識」で動いている。
この「ズレ」に気付けなかったのだ。

◆意識のズレ


学生が学校から評価される主な指標は何か。
テストだ。
テスト前は必死になってノートの内容を見返したものだ。
いや、はなから諦めていたかもしれない。

そして、
テストの内容は全て先生に教わったところから出題される。
わからなくても聞きにいけば丁寧に教えてもらえる。
そして7割もできれば「上出来」だ。


対して会社はといえば、仕事の成果で評価される。
ここでは個人的な人間性の話は置いておく。
そっちが原因だった場合、ボクはもう泣くしかできない。

そして、
仕事は目指すゴールのみが示される。しかもあいまいに。
わからない点は自分から聞きにいかなければいけないが、教えてくれる相手も仕事をしているので、こちらにずっと付き合ってくれるわけでもない。
そして7割の出来で出したら「未完成」だ。



当時のボクはかなり受動的だったと思う。
やるべき内容は「教えてもらえるもの」
言われていないなら、「こちらの判断でいい」
多少資料にミスがあっても「許容範囲」
これでは社会では通用しない。


重ねて言うが、ボクはやる気はあったのだ。
サービス残業もしていたし、仕事が終わらないときは朝6時に出社して作業したりもしていた。


だが、この意識がズレていることには気付けなかった。

◆「日本人同士」である油断


ボクは日本人だ。
そしてこの文章は日本語で書いている。

今これを読んでいるあなたが日本人で、義務教育程度は普通に受けてきているならば、おそらくこの文章を読むことはさほど難しくないだろう。

だが、それこそが罠なのだ。


学校の授業には「国語」がある。

国語の授業では文字の読み方だけでなく、文章の読み方や文章の意図することを汲み取ることを教わる。

そう、本来母国語であってもその意図を正確に読み取ることは難しいのだ。
それもわざわざ何年も学校で教わらなければいけないくらいに。


ボクは会社の先輩に「日本語で」質問していた。
そして先輩は「日本語で」質問に答えていた。
お互いに「当然に」意味が伝わると思っていた。
だが実際には、アンジャッシュのコントのような致命的な「ズレ」が生じていたのだと思う。


もしボクが日本人ではなく、日本語も自由に使えなかったら、おたがい慎重になることで逆に仕事上のズレは減らせていたかもしれない。

◆新入社員が来たら


ボクは社会に出て10年以上経った。

社会の常識にも慣れ、新入社員の頃の意識もほとんど忘れてしまった。

だけど、この「ズレ」があったことだけは忘れないように気をつけている。


もしこれを読んでいるあなたがこれから社会に出る新社会人ならば、会社に入ったときに「外国に来た」と思ってほしい。

そして、もしこれを読んでいるあなたのところに新社会人が来たならば、「外国人が来た」と思ってほしい。



その意識があれば、意識のズレに気づけなかったり、イライラすることも減らせるんじゃないかと、少しだけ期待している。

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