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【つれづれ日記】時間は「足りない」くらいがちょうどいい

ボクはずっと足りてません。

時間が足りない。
なぜなら、やりたいことがあるからだ。
観たいYouTubeの動画。たくさんの積みゲー。積みゲーがあるにもかかわらずやってしまう昔のゲーム。
今日も気付けば終わりかけている。

しかし、ボクはこう思うのだ。
時間が「余っている」よりも「足りない」ほうがよっぽど良い、と。

ボクのお隣さんには無職のおじいさんが住んでいる。
足を悪くしているようで、基本一日中家にいる。
そして起きている時間はほとんどをテレビを観て過ごしているようだ。
なぜ知っているのかと言えば、壁が薄すぎてほとんど音がダダ漏れだからである。

もちろん、テレビを観て過ごすことが不幸だなどと言うつもりは無い。
しかし、テレビの調子が悪いのか、よく音がぶつ切りになっている。
それでもテレビを買い替えないのは、おそらくその資金が無いからなのではないかと思っている。

テレビを買い替える余裕が無いということは、おいそれと外出やお金のかかる趣味もできないと言うことだ。
仮にやりたいことがあってもできない状態。
これはなかなかにシンドいのではないだろうか。

ここからはボクがもしそうだったらという想像だ。
ボクが家からろくに出れずにただテレビを観る日々を過ごしていたら、おそらく時間が「余る」と思う。
時間が「余る」ということは、その時間にやりたいことが無いと言うことだ。
やりたいことが無い、もしくはできないで過ごす時間というものはなかなかに辛いのではないだろうか。


やりたいことがある限り、時間が「余る」ということは無い。
空いた時間にはそのやりたいことを可能な限り詰め込むからだ。
(なお、体調を崩したときは全てのやる気が無くなる。健康はやはり大事だ。)

ということは、時間が「足りない」というのはまだやりたいことがあるという前向きな状態なのだ。
やりたいことが無くなって初めて時間は「余る」のだ。

それならボクは時間が「足りない」と思って日々を過ごす方が良いと思う。
休日を楽しみに仕事も頑張れる。
空いた時間にどれをしようかなと考える時間もまた楽しいのだ。


あなたは今、時間が「足りない」と感じているだろうか。
もしそれを苦痛に感じているなら、時間が「余った」人生を考えてみてはどうだろうか。
少しは今の状況の受け取り方が変わるかもしれない。


今日はこんなところで。
では!

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