福永家にとっての悲願でしたから
「いいか、岡部も柴田政人も良いがな。福永洋一っていうのが関西にいてな。福永が乗ってきたら、まずそこから買うんだ」
どうして?
「そいつは飛んでくるんだ。どんな場所からも突っ込んでくる。内からだろうが外からだろうが。福永が最初から逃げてきたらどんな奴だって追いつけない。岡部だって伊藤だって、野平や佐々木でもだ」
凄い
「……だがな。福永だって負ける。そんな時はしょうがない。馬券をちぎってぱーっと投げてチックショーって。それで終わりだ」
へえ
「いいか。競馬に絶対はない。無いが福永がインタビューとか記事で『強い』って言った馬のことは覚えとけ」
うん
「そいつはレースでとんでもない勝ち方をする。覚えとけよ」
わかった
『強い』と福永洋一が言った馬。その言葉から、ニホンピロムーテー、ヤマニンウエーブの勝利をみて、乗り替わりでまたがった『天馬』トウショウボーイの勝利も聞く。
エリモジョージの勝利も新聞で知った。福永が最強と言っていた馬だ。そして最強とは負けない馬ではなく、文句のない勝ち方をする馬とも知った。
インターグロリアの桜花賞も後から知った。
それ以上に当時記事しか知らなかった皐月賞を後からビデオで見てこれが福永か、と戦慄を覚えた。皐月賞馬ハードバージのレース。
内らちぎりぎり。馬が走れるとは思えないほどの隙間、そこをするすると上がっていって先頭に躍り出ての勝利。そりゃほかの騎手たちがどこを走ってるのか不思議がってたというのが判る。一事が万事そんな感じ。八大競走もどんどんと勝利を積み重ねた。
一番権威のある一つのレース以外はほぼすべてを勝ち進んでいた。そして、その勝利はあと一歩まで来ていた。
新馬から鍛えていた馬がいた。人気のあった馬の息子で、まだ幼く勝った負けたを繰り返してはいたがどんどんと良くなるのを感じていた。何よりも彼が強いとその馬について言っていた。
乗っていたフォームもアメリカや欧州の騎手ほどスマートではない。手足はバラバラでまとまってるようには見えないのだが、馬の背とはぴったりと合っていた。体幹がしっかりしていたのでぶれなかったのだ。
何よりも言われたようにいつでも飛んできた。人気があろうがなかろうが。どうやっても届かなくても、逃げが続かずバテた馬でも、ゴール前ではぐっと元気が戻って着順には入ってくる、あわよくば勝っている。そんなわくわくとしたこと平気でしていた彼を皆、天才と呼んでいた。
そうして待っている馬がいて、未だ勝てていないそのレースに向かう途中だった。
一瞬のことだった。彼は競馬場からいなくなった。
待っていた馬、彼がその欲しかったレースのために鍛えていた馬は最も欲しかったレースを勝っていた。だが鞍上は彼ではなかった。
その馬の名はカツラノハイセイコと言った。
彼が競馬場から居なくなってしばらくして、テレビで彼の特集が何度かされたのを見た。
何度目かの時に息子の祐一が、騎手を目指してると知った。
応援しようと決めた。
デビュー後彼、祐一がG1に出るときには必ず単勝を買うと決めた。買っていた。その馬券は一枚一枚増えていった。
350枚の単勝馬券のうちの21枚目となる勝利馬券。
プリモディーネでの初勝利、エイシンプレストンでの所属厩舎での勝利。ラインクラフトでの桜花賞とマイルカップの2冠。短距離しか福永は勝てないと揶揄された後のエピファネイアでの菊花賞。直後のジャスタウェイでの天皇賞勝利も鮮やかだった。
ようやく
そのレースを勝った。
それが福永洋一が勝ってなかった八大競走。
その福永祐一が初めて勝ったG1競走。
福永家の悲願だった勝利。
平成最後の日本ダービーで、ワグネリアンと
ようやく
おめでとう
嬉しかったのでつい。
今回はこの辺で。