映像作品における、原案と原作の違い
先日こういうリクエストが来ました。
「原案と原作の違いって何?」
なるほど、確かに判りづらいと感じますね。では、今回はこの辺をちょっと解説してみたいと思います。
映像作品は人数が多く参加することが多いものです。
文章や漫画作品は少人数(1or数人)で作成している。という違いがあります。前提はまずそこにあります。
映像作品で元になる作品が有る場合、クレジット的にはまず「原作」と書かれることが多いです。これは原作者と話し合い作品が「円満」に作られるときにこう書かれることが多いです。
では「円満」で無ければ?
大半の場合、作品は大人と大人の会話、合意により作られていくものですが、人が介在するものにおいてあるていどのボタンの掛け違い、衝突は避けにくいと感じています。
そういう場合、ことの大小はありますが連続モノなどでも途中から「原作」から「原案」にすっと変更され、次第に名前が見えなくなるもの。というのがあります。
他に、監督の意向と原作の意向が「ずれてくる」場合にもそうなることが多いです。
映画などでも「1」が思うよりヒットして、オリジナル要素を入れ「2」を作りそれもヒットしてしまう。そんなとき「3」が作られそして原作には無い要素がふんだんに。そんなときも「原案」になることが多いです。
逆に監督やスタッフが原作をリスペクトしているのに、原作が足りずにオリジナルを作った場合なんかはそのまま「原作」としてクレジットされることが多いと感じます。
この辺は本当に、対話や合意の差だったりします。
もっというと交渉の上手さがでますね。
では、「原案」の方が良くないのか?、「原作」の方が上なのか?という話ですが結局は「見た人が面白いと感じた作品」であればクレジットにこだわるという人は世の中それほど多くなかったりします。
この辺りが大変難しいところです。
原作者にリスペクトして、原作作品にあたる映像作成者だけではなく、プロデューサーに言われたので原作読んで観たけど合わなくてキャラだけ、設定だけ。という映像作品も大変多いのは洋の東西問わずです。
そして、それでも面白ければ良いのですが……。
このアタリは観た人、個人個人の判断ですのでおいらの主観は外しておきましょう。
結論としては、「原作」は原作者の意向のままの場合、「原案」は原作者の種を元に手を加えたものの場合に「よく」クレジットされる。
という形で覚えておくと良いかと思います。
企画も原作があってこそお金が集まることが多く、オリジナルだと企画よりも関わる人の方が重視されますからね。
今回はこの辺で。