珈琲の大霊師302
ごりごり
ぱきっ
ごりごり
ぱきっ
アラビカ家に泊まった翌日、聞きなれた音がして起きた。
この音は、珈琲豆を砕く時の音だ。丁寧に、一粒ずつ潰している。その丁寧さには、いつも感心させられる。
とんとんとん
階段を下りて1階に来ると、同時に鍋から吹き零れた雫がじゅわっと湯気を上げた。
湯気の中でくるくる回るドロシーの後姿が見えた。
と、先客がいる事に気付いた。
モカナの弟と、父親だ。
モカナの手元を少し離れた所から真剣に見つめている。
「・・・・・・姉さん、なんか一皮剥けた?なんか・・・以前にも増して凄い手馴れた感じだけど」
「毎日淹れてるからね。ジョージさん、珈琲大好きだから」
嬉しそうにモカナがそう言いながら、煎って砕いた豆を何かの紙に入れる。なんだ?あれ、見た事ないぞ。
「あの目の鋭い人か・・・。昨日聞いたが、随分な冒険をしてきたんだな」
「ジョージさんがいたから、ボクは何も心配いらなかったんだよ」
「・・・・・・お前が、珈琲の大霊師か・・・。・・・珈琲への情熱じゃ、父さんも負けてないぞ?」
「ううん、ボクが一番で、ジョージさんが二番。お父さん、珈琲の為に里の外に飛び出したりしないでしょ?ボクの勝ち」
「・・・・・・うぬぬ・・・」
悔しそうに、モカナの父親が唸る。
そうだ、その通り。
お前が一番で、俺が二番。
・・・・・この香り・・・・!!
一気に目が覚醒する。この香りは、夢にまで見たあの香り・・・!!あの香りだぞ!?
叫び出したい衝動にかられる。
でも、今はぐっと我慢だ。やっと、やっとここまで来たんだ。台無しにはできない。
モカナの邪魔をしないように、俺は静かに部屋の壁に背中を預けた。
「・・・・・・ううむ、同じ豆を使ってるはずなんだがな・・・。香りも味も、まるで違うな・・・」
「・・・・・・やっぱ、姉さんは一味違うわ・・・」
モカナの父親と、弟がモカナの珈琲を飲んで、口々に感想を述べる。
そんな中、ジョージは目を閉じて香りを楽しむ。
思い出されるのは、故郷マルクの水のせせらぎの中楽しんだ、最初の珈琲。
そう、今使っている豆は、アラビカ家が丹精込めて育て上げた、ジョージが産まれて始めて飲んだ珈琲豆、「モカナの珈琲」だ。
思い返せば、あの時珈琲が終わって、その代用品を探して探して、ここまで来た。そんな旅だったように思えた。
重厚なアロマ、適度な酸味、万国感は無いが透き通ったどっしりとした香りが、ジョージの胸に満たされてゆく。
一口含むと、望んだそのまま。ジョージが思い描く理想の味が、そこに待っていた。いや、以前より確実に美味しい。まるで、珈琲そのものからエネルギーをもらっているかのようだ。
深い、深い、どこまでも漆黒の極みへ。ジョージの意識はゆったりと沈んでいく。そんな空想に身を任せ、気がつけば珈琲は一滴も残っていなかった。
カップを置いて、体の中の熱と、持て余さんばかりの情熱を熱い息に乗せて、ジョージは呟いた。
「・・・・・・珈琲は、最高だな。モカナ」
「はいっ!!ジョージさん!!」
その時見せた、モカナの笑顔は、ハッとする程華やかで、珈琲を煎る炎のように暖かかった。