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珈琲の大霊師131

「ふ……ぁ、ぅ……」

 モカナは震えていた。目は虚ろで忙しなく動き、ジョージはモカナが何も見ていないのが分かった。

「ふっう、うぁ、うわ、ウゥゥゥゥゥ、ふぅぁぁぁぁん」

 ボロボロと泣き出したモカナを見たドグマが、その人生においてしたことのない、何とも愉快そうな笑みを浮かべて笑いだした。

「ふっ、ハハハハハハ!!ハッ、ハハッ!」

 泣くモカナを見て余計に笑っているようで、ジョージは一瞬殴りたくなったが、そうではないと思い止まった。

 モカナと、ドグマから吹き上がるオーラが、喜びの色だったからだ。モカナは、感極まって泣いているのだ。

「ジョージ!!」

 ドグマが、突然親しげにジョージの背中を叩く。

「食べろッ!!飲めッ!!貴様も、飲め!!さあ!」

 同じ男とはとても思えない顔だった。その目は少年のようにキラキラと輝いて、邪気が無く、何の打算も無い純粋な感動が突き動かしているのが伝わってきた。

 ジョージの判断は早かった。バスケットを見下ろし、素早く中の物を物色。二人が食べた物と似たケーキを掴み取ると、一気に口に放り込んだ。

 濃厚なクリームの甘味が、口中に広がる。こんなに甘いものを食べたのは初めてだった。モカナのさっきの顔も頷ける。

 思わず目を閉じて味わってしまったジョージの手に、何か暖かいものが当たった。

 目を開けると、ドグマの、得意気な、本当に少年のように輝く目と出会った。

「美味いか。そうだろう、リリーの菓子は最高だ。最高だ。だがな、だがなっ!飲め。飲めジョージ!」

 親友だってこんな馴れ馴れしくしてこないなと思いつつ、ジョージは珈琲を受け取り、まだ少しケーキの残っている口の中に、モカナの珈琲を流し込んだ。

 ドカン!と、全身がバラバラになるような衝撃が、ジョージを襲った。

 視界がぼやけた。熱いものが頬を伝っていくのが分かった。

 こんな、こんな、世界を揺るがすような感覚があるとは、知らなかった。

 最初に珈琲を飲んだ時以上の、感動がジョージの世界を引き伸ばしていた。

 甘味と、苦味の奇跡。奇跡の味だ。もし、虹をすくって飲むことができたなら、こんな奇跡的な味がするのかもしれない。

 甘さで緩んだ口の中に、芳醇な香りを含んだ液体が流れ込み、甘味を流してしまうかのように最初は思った。

 とんでもない!甘味は流れるどころか、苦味に引き立てられ、えもいわれぬ甘美な味へと昇華されたのだ。そこに、珈琲の香ばしさ、複雑で官能的なまでのアロマ、鮮やかな酸味が加わり、目まぐるしく味を変化させていった。

 数万年の歴史を味わうことができたなら、こんな豊かな味がするのだろうか?

「ハッ、ハハッ!」

 自然と笑いが込み上げてきた。可笑しいのだ。可笑し過ぎるのだ。

 全ての概念は無駄だった。この圧倒的な存在に比べれば、全てが小さい事だった。

 万感を越えた、新しい味が、ここに誕生したのだ。

「アハハッ!!うはははははは!やべえ!!やべええええええ!!」

「フハッ、フハハハヒハ!!ジョージィ!!」

 全身が戦慄く。くすぐったくて、嬉しくて、もう何も抑える事は無い。

 ドグマはバンバンジョージの背中を叩き、ジョージはそれに応えてドグマの髪の毛をめちゃくちゃにかき回した。まるで、生まれた時からの親友であるかのように二人はじゃれあった。

「うめえっ!!うめえよ!!ああああぁあ!!なんだこれっ!!頭がおかしくなりそうだ!うひへへへ!」

「分かるかっ!!分かるかジョージィ!!これは、神だ!神が宿っているのだ!」

「やべえええ!!天罰くらっちゃーう!雷だ!雷に気を付けろー!」

「ふはははは!馬鹿者!神の食べ物を食べたのだ。もはや、我らが神よ!!」

「うっひー!!やべぇ。笑いが止まらねえ!俺、俺今日死ぬのかな?」

「殺してやるわ!ほら、食え」

 ドグマが、適当にバスケットから菓子を取り出し、ジョージに放る。それを、ジョージは器用に空中で口の中に入れた。

 それを、全力全開で噛み砕き、すぐに珈琲を流し込む。

 さっきとまた違った味がジョージの全神経を、揺さぶり、ジョージはビヨーンと飛び上がった。

「うはははははは!死んだか!?」

「馬鹿野郎、一周して生き返ってきちまったぜこんちくしょう!お前も殺してやる!」

「ひー!ひー!殺されるー」

 逃げようとするドグマをひっ捕まえて、菓子を口に放り込む。

「てめえの彼女は大したもんだぜドグマァ!!羨ましいぞ!死ねッ!!」

 少しドグマが租借するのを待って、後ろからカップをドグマの口に当てて、傾けた。

「ぐがががが」

 溢さないよう、ドグマはみっともなく大口を開けて珈琲を口で受けた。

「んふー!!」

 ドグマは数歩歩いて、胸に手を当て、前のめりに倒れ混んだ。

「いえーい!極悪人ドグマ討ち取ったりー!」

「やーらーれーたー。ハハハハハ!」

「おい、復活早えぞ」

「うるさい!おい、リリー!!リリー!!どこだ!?」

「おう、探しに行くぞ。おいモカナ」

 ジョージがモカナを探すと、まだ感極まって泣いていた。全身から何か、神々しいまでの喜びオーラが溢れ出ている。

「バスケット持て!珈琲はまだあるな!?」

「あ゛あ゛~。あ゛りまず~」

「よし、行くぞ!このまま、王宮を制覇だ!」

 現王バドルの執務室には、エルサール、ハーベン、リフレールが、リリーの謝罪を受けている最中だった。

「本当に、申し訳ありませんでした。ドグマ様の代わりに、償いをさせて下さい」

「必要ない。兄上がこうして元気でいるのは、君が告白してくれたお陰だ」

「バドルの言う通りだ。むしろドグマには感謝しているくらいでな……」

 ドバーン!!

 けたたましい音を起てて、ドアが開いた。真っ先に突入したのはドグマで、その目はお世辞にも正気には見えなかった。

「ド、ドグマ様!?」

「ドグマ、エルサール王から抑えるぞ!!」

「ふはははは!了解したっ!!」

 飛び込んできたドグマとジョージがエルサールに飛びかかる。エルサールは、悠然構えた。

「悪魔にでも取り付かれたか?俺を甘く見るか!?」

 剣に手をかけるエルサール。だが、不意にドグマとジョージは足を止めた。

「かかったな!狙いはこっちだぜ?」

 ドグマとジョージは、息を合わせて、エルサールとハーベンが立つ絨毯を引っ張った。

「なっ、ぬおっ」

 たまらず転んだエルサール王の両腕に膝を乗せて動けなくするドグマと、バスケットから菓子を取り出すジョージ。

「あら、それは……」

「食らえぇ!!」

「なにをす、ふがっ!!」

 神業としか言い様の無い素早さで、エルサールは、口の中に何かを放り込まれ、更に珈琲を流し込まれた。

 よく見ると、咳き込まないようにジョージはエルサールの頭を軽く持ち上げていた。

「んむっ!!ぬおおおおおお!!」

 びくんびくんと痙攣するエルサール。

「あ、兄上ー!!」

 バドルの悲痛な叫び声が響いた部屋の中、エルサールが突如として立ち上がった。

 エルサールの上から転がり落ちたドグマとジョージも、ゆらりと立ち上がる。

 エルサールの体から、滲み出る気配があった。それは、王家の血。リフレールにも流れるそれが、しかも全盛期の迫力でエルサールから吹き上がっていた。

「ぐふぁははははは!!サラク王国は、世界を統べる!ハーーベン!俺達が掴むのだ!世界を!全ての人間を!!」

 立ち上がったエルサールの目は爛々と輝き、これまた正気には見えなかった。

「ドグマ!」

「はっ!!」

「ジョージ!!」

「はいよ!」

「制圧せよ!!」

「「了解!!」」

 エルサールは倒れているハーベンに、ドグマはリリーに、ジョージはリフレールに向かって突進した。

「サ、サウロ!!」

 リフレールは、サウロを呼んで手をジョージに向けた。が、ジョージだ。ジョージを攻撃できるか?できるはずなどない。それに、リフレールの王家の血が騒がない。

 なぜなら、彼らには、殺気が無かった。

(ジョージさんと狂うなら、それも悪くない)

 と、手を引っ込めたリフレールの顎を、ジョージが捉える。突然の行動に頭が真っ白になったリフレールは、無理矢理開かされた口に、何かが放り込まれるのを感じた。

 そして、

「はい、ジョージさん」

 と、ジョージにカップを渡すモカナが見えて、いつの間にか後ろに回ってリフレールを抱えたジョージが、そのカップをリフレールの口元に運ぶのが見えた。

 その向こう、リリーを抱き締めて感動を全身で表現するドグマとい不思議な光景を見て、リフレールは思った。

(あ、これ夢なんだ)

 その日、執務室で狂ったように笑う王家の姿があったという。

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