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珈琲の大霊師234
確かに俺は目を閉じるなと、この優男に言った。が、人間である以上そんな事は不可能だ。と、思っていた。
おいおい大丈夫かこいつ、目潰れるぞ。
優男は、モカナの手元から一瞬たりとも目を離そうとしなかった。その一挙手一投足を正確に刻み込もうとするかのように、自然と姿勢や手元はモカナのマネをし、その間呼吸も忘れたように見入っている。
もちろん、モカナはそんな事はまるで気にする事もなく淡々と珈琲を淹れる作業を続けている。今、焙煎が終わって粉砕にかかっていた。
「……すごい。兄さんがこんなに夢中になるの久しぶり」
シュッと、わずかに霧吹きの音がした。優男の目が一瞬細められるが、意地でも閉じないと言わんばかりにまた見開かれた。が、何が起きたかは一目瞭然で、乾いて濁りそうになっていた目に艶が戻っていた。
「……こういう事は、割とあるのか?」
「兄さん、夢中になるとこうなっちゃうんです。だから、昔からこれが手放せないんです」
と、優男の妹は慣れた手つきで霧吹きを腰のベルトに戻した。
しっかし、なんて集中力だ。この様子だと、本気で完全に記憶するつもりなんじゃないか?恐らく世界で3番目に美味い珈琲を淹れられる男、ドグマと比較しても、こいつは異常だぞ。
「こうなった兄さんは、凄いですよ。見たものを絶対に忘れませんし、この瞬間にもどんな動きがどんな意味か理解してるはずです」
「……マジか……」
俺だって、モカナの動作の意味を理解するにはかなりの時間がかかったんだぞ。
だけど、この気迫は只者じゃねえ……。こいつは、下手をすると、いつか俺の珈琲を、越える?
研究対象について、ここまで敬虔で真剣な気持ちになった事はこれまで無かったのではないか?
何度も失敗した私だからこそ、この違いが分かる。
この少女の手には、神が宿っている。この珈琲には、1滴1滴その隅々まで、この少女が持つ神気に満たされているとしか思えなかった。
私はそもそも、大変失礼な事を少女の前でしてしまったし、こんな間近で見せて貰えるチャンスは2度と無いかもしれない。途中から、私の直感は過去最大級の警告を鳴らしていた。
絶対に邪魔をしてはならない。二度と機会は訪れないと。
そして、この少女が巷で騒がれている、珈琲の大霊師に他ならないと、今まさに確信している。
「いくよドロシー」
「あぎゃっ!!」
まっすぐ伸ばした水の精霊の5指から、するすると薄く輝く水の柱が降りて、軽く鉄を叩くような音がして器に溜まっていく。美しい水の流れ、その真剣な表情。
水の精霊を従え、サラクにて多くの国々の特使の魂を掴んだと言われる少女。その噂そのものだった。
「いいですか?水も、とても重要なんです。使っていた水はどこの水ですか?」
ギクリと、心臓が歪む。ああ、消えてしまいたい程に恥ずかしい。
「……内海の水を、蒸留した水、です」
「…………井戸くらいないんですか?湧き水とか」
ハァ……と、少女が残念そうにため息を吐いた。申し訳なさに壁に頭を打ち付けたくなる。
「いいですか?珈琲には色んな楽しみ方がありますけど、水の美味しくない珈琲は、やっぱり美味しくなくなります。この辺りに山が無ければ仕方ないですけど、ボクはできる限り美味しい水で淹れて欲しいです」
この辺りは平地だから、湧き水がある所までは遠い。
「分かりました。なんとかして、ここまで水を引きます」
「えっ!?ちょっと兄さ……」
「やめとけ。今口挟むとロクな事にならねえぞ」
うるさい妹の口を、連れ合いの男が塞いでくれた。実にありがたい。流石は珈琲の大霊師を陰で支え、実質上珈琲の流通を担っているという噂の男。ジョージ=アレクセント。
「はい、水の味を覚えてください。このくらいの水はなんとかして下さい」
と、少女が小さなカップに水を分けて差し出してくれた。
「おぉ……」
変なうめきが喉から漏れた。本当は拍手喝采したい気持ちだ。
全身全霊で恭しく両手で受け取る。見ろこの済んだ水の色。それだけではない。不思議な色艶すら感じられる。これが、水の精霊が作り出す水なのか。
と、少女が怪訝な顔をして私を睨んでいるのに気がつく。
しまった!感動に浸っていて飲んでいなかった。急いで口元に運ぶ。
じわっ・・・・すぅぅぅ・・・・
!!!!!?????!?!??
美味い!!!なんて美味い水だ!!甘い!?甘いわけじゃない。だが、なんだこの複雑なのに、すっきりとした味わいは!!これが、同じ水だと!?こんな美味い水が、あるのか!?
「兄さんの目がおかしいことになってる……」
「一応補足しとくが、モカナの水は世界一美味いからな?これを探そうなんて思うなよ?無理だからな。モカナも無理難題言うな」
「そんなに美味しくないですよ。もっと美味しいお水はあります」
と言いながら、ジョージ=アレクセントに褒められて少女は年齢相応に破顔した。
世界一美味い水……それならば、納得だ。この水だけで、そもそも下手な茶など目ではない。
これを使った、世界最高の珈琲となったら、私はどうなってしまうのか?
戦慄と、期待が私の背筋を貫いたのだった。
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