珈琲の大霊師221
モカナは、いつも会話の少し外側に佇んでいる。いつでも出番を待っている。珈琲を出す、その時を。
それは、最初からそうなのだと思われているが、実はそうでもない。
それがいつ頃からだったのか、思い出せる者は恐らくいないだろう。
一番近くにいた、ジョージでさえ。
モカナは、いつも最適のタイミングで珈琲を持ってくる。ジョージが欲しいと思うと、傍らに現れて珈琲を差し出してくる。
あまりに察しが良いとは思うが、こと珈琲に関しては完全に心酔しているジョージだから、世界一珈琲を淹れるのが上手い女が、そのくらい見極めるのは当たり前なのだろう。さすがはモカナだ、とそんなふうに思っていた。
頭が悪いわけではないが、お人よしで、狡猾でもないモカナを、ジョージは頭脳労働の人員として考えたことは一度も無かったのだ。
だから、今ジョージは心の底から驚いていた。
「あの、ボクも見に行ってもいいですか?」
と、真っ直ぐに、まるで怯えの無い目でモカナが進み出たのだ。
「へっ?」
「えっ!?」
「君が?」
三者三様の驚き方を見せる。当然の反応と言えた。
「だだ、駄目だよモカナちゃん!!死んじゃうよ!?」
最も早い否定はシオリから入った。
「そうさ!モカナの足じゃ、あいつから逃げ切れないさ!」
「みずっこの力でも、あれは止められないと思うよ?」
続いて、ルビーとキビトも止めに入る。ジョージはまだ、驚いたままだった。
「でも、少し離れれば大丈夫な近さがあるんですよね?」
「確かにそうだったけど……、何をするつもりなんさ?」
「ボクも、分からないです。でも、このままじっとしてても、駄目なんですよね?」
「………そうだな」
やっとジョージはモカナに応える形で会話に戻る。
「あたいは反対さ!!頼むよモカナ、モカナは安全な所で待ってて欲しいさ。あたい心配で、気が気じゃなくなっちまうさ」
「………」
モカナは、黙ってじっとルビーを見つめる。少し悲しげなそれは、ルビーの心を掻き乱すには十分だったらしい。
「うがっ!?だ、だめさ!!そんな目をしても駄目さ!!」
恐らく言う事を聞いてあげようとする自分に抗う為だろう。ルビーはモカナから視線を外して、そっぽを向いた。
仕方がないので、モカナは今度はジョージを見つめる。
「うぬっ……」
その目は、あまりに真っ直ぐだった。ジョージなら、なんとかしてくれるという絶対の信頼が、あまりに真っ直ぐなそれが、ジョージをその空間に射止めていた。
「……いや、だがな……」
正直な話、ジョージはモカナに危険を冒して欲しくなかった。モカナを失うことは、他の何を失うより痛いとさえ感じていた。それは、師を失い、目標を失う事と同意義だったからだ。
途端に、モカナの目が悲しみに揺れる。折れるなどとあってはならない信頼が、揺らごうとしている。
その目を見た途端、ジョージはたまらず立ち上がっていた。その信頼は、裏切れない。
「分かった!ただし、俺も行くぞ。俺の言う事は必ず聞けよ?聞けないなら、ここに残れ!」
行くとなれば他の誰にも任せられない。ジョージは勢いのままに怒鳴っていた。
「はいっ!!」
まるで用意していたかのように、笑顔で元気な返事を返すモカナ。揺らいだように見えて、その信頼にはたった1度の傾きすら無いようだった。
「距離的に考えて、多分この辺りが限度さ」
先頭を行くルビーが、村の中央辺りで足を止めた。いくつもの家から大木が伸び、辛うじて糸のように地上に届く木漏れ日だけが光源だ。
その隣には、モカナが真剣な表情で立っている。
来たのは、モカナ、ルビー、ジョージ、キビトの4人。ジョージはいつになくピリピリと周囲を警戒していた。
「……やっぱり、動いたみたい。ゆっくりとこっちに来るよ」
と、キビトが呟く。人の樹と通信できるが故の芸当と言えた。
「はい、近づいてきます」
モカナが、どこか遠くを見るような目で言った。遠くだが、どこかではなく、何かを目で追っているふうだった。
「……モカナ、どうするつもりさ?」
「……まだ分かりません、でも、怖い人じゃないから、きっと大丈夫です。仲良くなれます」
「えっ!?ええっ!?」
モカナの場違いな発言に、キビトが仰天して大声を上げた。
「ちょ、ちょっと待って。モカナ、君、泥の王と仲良く?仲良くするって!?」
「はい。……この速さなら、そろそろ始めないと。ルビーさん、火を起こしてください」
「へ?ああ……って、何するつもりなんさ?」
「何って……、こいつができることっつったら……」
言いかけて、直感がジョージの脳裏を貫く。そして、無性に笑いたくなってきた。
「はっ、ははっ。おいおい、まさかなぁ。やるのかモカナ?お前、相手は人間じゃねえんだぞ?」
ジョージが気楽に笑った。それだけで、モカナは自分が何をしようとしているのか理解してもらえたと確信した。笑顔がこぼれる。
「でも、ボクにはこれしかないですから」
「違いねえ。こいつぁ傑作だ!!神話に片足突っ込んだみてえだ。……いいだろ、俺にできる事はあるか?」
「他の準備をお願いしていいですか?」
「心得た」
「「………はぁ?」」
ルビーとキビトが呆れ顔でモカナとジョージのやり取りを見つめる。
「お前らも遊んでんな。あんまり時間はねえぞ。ルビーはモカナの手伝い。キビトは、俺と一緒に会場設営だ」
「ルビーさん、こっちに来て下さい」
珍しく強引に手を引っ張られて、ルビーは何も言えずに引っ張られていってしまった。
「え、ちょっと、ちょっと待ってよ。何をするつもりなの?」
「王様とお茶会と洒落込むんだよ」
ニヤリ、とジョージが笑ってみせた。
危険な香り、なのに不思議と安心できるような、逞しい笑みだった。