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珈琲の大霊師306

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最終章

    珈琲の大霊師

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 ――大陸北部

 二つの国が、国境を挟んでにらみ合っていた。

 物々しい装備、血を求める鈍色の武具。そして、血走る目。

 彼らは総じて気が立っていた。それも無理は無い。

 その原因は、彼らの国境に突如立てられた1つのテントにあった。

 彼らの王、両国の王は、昨夜前線のテントから連れ去られ、この両軍のど真ん中のテントに連れて来られたのだ。

 片や狩猟産業を第一産業とするタカ鼻の王。片や農耕を第一産業とするブタ鼻の王。

 その両者は、昨夜未明、会議中に現れた怪物によって連れ去られ、国境近くのテントに連れて来られたのだった。

 そのテントの中、2人の王は互いに顔を逸らし、傲然と構えていた。

 互いに話し出す事が負けだと思っているのか、口を一文字に固く結び、沈黙を保っていた。

「大体のいきさつは聞いてるんだけどな。きっかけってのは、大抵下らない事だっていうが、ホントそうだな」

 2人の王の間に座っている目つきの鋭い男は、じゃらじゃらと手の中で何かが沢山詰まった袋を握ったり離したりを繰り返していた。

 一握りする度に、不思議な香ばしい匂いが漂い、2人は顔を逸らしながらも男の手元が気になって仕方なかった。

 2人の王は、その男が何者か知っていた。

 100年程前に現れ、度々歴史の表舞台に現れては、人を攫う奇人であり貴人。

 珈琲の大霊師、その片割れであり、珈琲の守護者と称される男、ジョージ=アレクセント。

 今や世界一の嗜好品として有名な、「珈琲」の歴史の生き証人だ。

 世界珈琲商会の永年会長であり、珈琲の大霊師のパートナー。

 そして、そのジョージの後ろで精霊が舞っていた。

「あぎゃ~~~」

 その愛らしく舞う姿が、絵本にもなったという、水の精霊。”珈琲の大霊師”を継承した者と契約し続ける水の精霊、ドロシー。

 その下で、真剣な顔で豆を炒る少女がいた。

 浅黒い肌に、少し痩せ気味の小さな女の子。

 三代目モカナ=アラビカ。

 2年前に、”モカナ”の名を襲名したばかりの、新しい珈琲の大霊師であった。

「ドロシー!サウロ!ツァーリ!いくよ~~~!!」

 最初のモカナより、少し切れ長の目をした3代目モカナが3体の精霊の名を呼ぶ。

 ドロシーの両隣に、火と水が渦巻いて、2人の精霊が相次いで姿を現した。

「遅れるなよ、ツァーリ」

「誰に言ってるか分からないんですけど~」

「あぎゃぎゃぎゃぎゃ!」

 と、軽く目配せすると同時に炎の柱と水の柱が激突し、もうもうと湯気を上げる。

 そこに、ドロシーが薄く水を通すと、瞬く間に史上最も美味い水と称されたドロシーの水が、温められ、モカナが煎った豆に注がれる。その水は完全に豆に浸透し、豆は一時倍近く膨れ上がった。

 黒光りする豆から、すぅっと黒い筋が透き通った水に流れ出し、きらきらと舞う流れの中にじわりと溶け込んでいく。

「・・・これが、有名な精霊抽出法・・・。美しい・・・」

 タカ鼻の王が、その光景に魅了され、思わず口にする。

「目先にばかり目を向けているから、足元が疎かになるのだ。この香り・・・なんと芳しい事か・・・」

「さすがブタ鼻、鼻は良いらしい。私には、この光景だけで味が想像できるぞ」

「何を言うか、珈琲は香りの飲み物だ。この香りだけで、どんな味か想像できようというものだ」

 2人の王が、再び睨みあった。

「・・・なるほど。2人とも珈琲を愛好しているようで光栄だがな。それで民まで巻き込んで殺しあうって所までいくのはどうなんだ?兄弟王」

 元は1つの王国だった狩猟の国と、農耕の国。だが、兄弟の決定的な感覚の差が国を割り、とうとう戦争にまで発展してしまったのだった。

「これは重要な問題だ。口を挟まないで頂きたい」

「その通りだ。いかに珈琲の大霊師とはいえ、我々を仲裁できるとは思わないで頂きたい」

「うるせえ。飲み終わった後もそう言えるなら、諦めてやる。ほれ、できたみたいだぞ?」

 気付けば二人の手元には、薄く珈琲の脂が光る極上の香りの一杯が置かれていた。

 モカナは誇らしげに、2人に向かって微笑む。

「頑張って淹れました!どうぞ!」

 屈託の無い笑顔を見て、2人の王は顔を見合わせ、苦笑してから互いのカップを持つ。

 タカ鼻の王は、その黒い中にも複雑な色合を楽しみ、ブタ鼻の王は複雑な異国の香りを楽しみ、1分程楽しんだ後、思い描く珈琲の味に辿り着くべく、その黒い雫を口に含んだ。

「・・・・・・・・お、おぉ・・・・」

「なんと・・・・・」

 途端に目を瞑り、夢心地で体を揺らす2人の王。年月をかけて研究された、現段階で最高とジョージが自信を持つ3代目モカナのオリジナルブレンド”マルク”。

 全ての縁が始まった地。物と人が行き交い、出会うその街の名を冠した珈琲は、1杯飲めば世界を味わうとまで言われていた。

 今、2人の王の脳裏には、その縁が描いてきた物語の一片が花開いていたに違いなかった。

「・・・・・・私の目など、アテにならないものだ」

「ははは、それを言うなら私の鼻も同じだ」

「「この珈琲の味は、想像を軽く超える」」

 少し悔しそうに、しかし何より嬉しそうに、2人は笑い、珈琲カップを互いに触れ合わせ、最後の雫を飲み干した。


「おじいちゃん、次はどこに向かうんですか?」

「そうだな・・・随分ご無沙汰してるし・・・。アースに戻るか、モカナ」

「はい!!カルディおばさんのお菓子も食べたいです!」

「・・・ああ、一緒に食べような。モカナ」

 ジョージは微笑み、この少女に似た面影の伴侶を思い出すのだった。

 かくして珈琲の歴史は紡がれ、その香りと、味が世界の歴史に染み渡るその日にも、2人で1人の”珈琲の大霊師”は、世界のどこかに現れる。

 たった1杯の、黒い感動から生まれた芳しき縁が、明日の感動に繋がるように、ジョージと、モカナの旅は続く。

珈琲の大霊師  ――完

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