負け癖つけるな、悔しがれ。そして立ち上がれ
私は今日、自分で自分をめちゃくちゃに悔しがせることをしてしまった。
というか、またやってしまったか、という感じである。
今日は会社で年に一回の成果発表会なるものがあった。
成果らしきものがでた仕事について、主担当者にその成果を全社員の前で発表させ、その成果とプレゼンテーション力を評価するという趣旨のものだ。
評価者は基本的に社長。
この話題を書いているということは、つまり今年は私も発表する機会があったということである。
そしてとても悔しい結果になったということと、もう二度と、いや今度こそ、金輪際こんな後悔はするまいという決意のもと、この文章を書いている。
今の会社に入って初めて、自分が主担当として任されたプロジェクトが名実共に成功し、無事に利益を出したため発表の推薦があった。
スライド資料を使ってプレゼンテーションをすることが好きで得意だと自負している自分としては、非常に気合が入る事案だ。
発表までの計画をたて、発表の骨組みを考え、構成や使う言葉、レイアウトにもかなりこだわって準備をした。
発表において一番大事な最後の詰めである「発表練習」をのぞいては。
なぜ、私は「発表練習」を怠ったたのか。
結論からいうと、自分は大丈夫という慢心があったからです。
普段、Youtubeで発信をしていたり、コミュニケーションを研究し、人に伝えることに関して自信をつけつつあった自分は、発表練習などしなくても本番は緊張せず、良い感じに話せると思ってしまったのだ。
仕事が忙しく、疲れていたこともあり、「ま、いっか。なんとかなるっしょ」と思ってしまったことは何の言い訳にもならない。
私の発表の結果、社長からの評価は「特別賞」
そこで言われたコメントは
時間配分さえ、気をつけて、最後を落ち着いてじっくり話せたら確実に1位を取れた発表だったでしょう。非常に面白かったのにもったいないですね。
ぐおおおおおおおおおお
で、ある。
もう、本当にその通りだし、ぐうの音も出なかった。
そして一番負けたくない相手に1位を譲ってしまった。
しかしだ、結論から言って、譲ったのではない。
「発表練習をしない」という選択をした時点で、
私は「1位になることを実質、降りた」のだ。
地方も含めて、ほぼ全社員が本社に集まる、
ましてや経営陣、他あまり関わったことがない人にも
自分の仕事ぶりやできることをアピールするチャンスなのである。
なのに、だ。
私は本当に何様なのだろう。
自分の慢心とちょっとの疲れを言い訳に、
何千万の人件費を費やしている場でのチャンスを易々と放り投げ
呑気に「時間オーバーしちゃいました。すいませ〜〜〜ん」
なんて笑ってしまったのである。
正直、世話をしてくれた上司は全然笑い事ではなかったと思う。
会社に対してコミットしてるわけでもなく、プレゼンにも仕事にも思い入れが無ければ、大したことはないことかもしれない。
しかし、今事実。
私はとても悔しがっている。そして悔やんでいるし、自分自身が怖くもある。
なぜなら、
このような後悔する体験は初めてではないからだ。**
またやらかしてしまったのである。
一度目の失敗は、小学生の頃、
アルペンスキー選手として頑張っていたころの県大会とかそんな時だと思う。
自分が慣れているスキー場での大会であり、さほど準備しなくても、
何とかなるだろう、勝てるだろうと踏んでいた。
結果は惨敗。惨敗というか、転倒してコース外に吹っ飛んでいった。
(ていうか試合でよくやらかしてしまっていた。)
二度目の失敗は(それどころじゃないがしているが)
学生の頃にでたビジネスコンテストだ。
2泊3日の合宿形式でチームでビジネスプランを考え、
最終日に発表をする。
私がいたチームは、途中経過の段階でビジネスプランはかなり優れていて、ほぼ圧勝ではないか?と言われていた。
しかし!!!!!
最後までスライド作りにこだわり過ぎた。
発表したかった私が、発表練習を怠り、プレゼンはグダグタ。
ビジネスコンテストの結果は準優勝。
**講評者のコメント
”準優勝チームは非常に優れていたが、優勝チームはプレゼンが優れていたことが評価ポイントとなった”**
ぐおおおおおおおお、である。
そして三度目の大失敗は新卒1年目の秋頃だった。
当時いた会社で新人は仕事の成果、成長ぶりを報告する発表を下半期に入るタイミングで行うことになっていた。
そのプレゼンに関しては、半年前からやることが決まっていたにも関わらず、私は資料の提出が締め切りまでに間に合わなかった上に、プレゼンもグダグダのグダグダだったのである。
なぜ二度目の失敗の時に、学んで対策が打てなかったのか?
理由としてはまたしても油断である。
新卒で入った会社では、面接時、そして入社後すぐに自分をアピールするためのプレゼンの機会があった。
そこではうまくやってのけたのである。
圧倒的な完成度で、最終面接の評価者である経営陣5人全員から合格をもらった。
入社してすぐのプレゼンも、めちゃくちゃ褒められた。
そこで油断した。とも言える。
が、しかし、今日、またプレゼンに失敗したことでついに気づいた。というか薄々気づいていたことを言語化できた。
**
私は「勝つこと」「成功すること」「賞賛される」こと自分に許可してきれていなかったのだ。
昔から、器用なところがあり、勉強も運動もそこそこできた。
しかしそこそこなのである。
ちょいと才能があるのだから、もっと徹底的にやればいいものを、
「そんなに好きじゃない」とか、「苦手だから」とか、
「もっと才能がある人がいるから」とか、何でもかんでも言い訳して、
磨けば光るものを見て見ぬ振りをする癖がついてしまっていたように思う。
”覚えてはいないが、恐らく自分が優秀な成績をとったり、結果を出した時に仲のいいと思っていた友人に疎まれたとか、何か嫌なことを誰かに言われた”みたいなことが原因なのだと思う。
結果を出してしまったら、成功したら、嫌われてしまう。
ひとりぼっちになってしまう。
それは怖い、嫌だ。
という謎の思い込みから
”ちょっとおとぼけで、抜けてるけど、憎めないやつ”をふるまい、
圧倒的に突き抜けること、勝つことを避けるようになってしまった
つまり負け癖をつけてしまったような気がしている。
今回負けてしまったことで「またか」と思ったから、なおさらそう思う。
やり尽くした上で負けるならいい。しかし、やり尽くしていないし、明らかにやった方がいいとわかっていたのに、やらなかった自分がいることを感じている。
もういい加減にしてくれ、自分。
「そんなこともあるさ。お前は詰めが甘く、おっちょこちょいであるところが、取り柄でいいところなんだから、負けといてやれ。うまくやって結果を出したら寂しい人間になってしまうぞ」なんて悪魔が囁いている。
「そんなやつに負けてはいけない。幻想だ。むしろ、しっかりと成果を収める奴が好かれる、信頼される。」
悪魔に負けてきた私の中の本音がそう叫んでいる。
ポジティブを負けるために使うな、逃げるために使うな。言い訳に使うな。
まだまだ自分はこんなもんじゃない、ちゃんとしっかりとした現実を見つめて、必要な階段を登って修行をつめ。それは自分にはできるのだ。
着実に未来へ進むためにポジティブを使え。
負け癖つけるな、悔しがれ。そして立ち上がれ。
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