ママ友というつながり
五十代になり子育てを(ほぼ)卒業してみたら、ママ友たちとのつながりもいい感じに熟成発酵されていたというお話。
「ママ友」にどんなイメージをお持ちだろうか。
自宅に招きあったり、いっしょにレジャーに出かけたりといった楽しそうでキラキラした雰囲気に憧れる人もいるだろうし、育児の悩みを分かち合い助け合う戦友同士のようなイメージを抱く人もいれば、ママ友いじめとか、ママ友カーストとかいう怖そうなことばから、近寄りたくないと思う人もいるかもしれない。
子どもがいない人は概念としては知っていても、実際のママ友づきあいは未知の世界だろう。また、子どもがいてもママ友なんていらないという孤高の人、忙しすぎてママ友どころじゃないって人もいる。それはそれでいいのだが、たとえば高校時代の友人は高校時代に、大学時代の友人は大学時代にしかできないのと同じように、ママ友も怒涛の子育ての渦中にしかできない稀有な人間関係なのだ。
わたしの場合、ママ友たちとの出会いは我が子が未就園児のころ、毎日のように通っていた近所の公園でだった。その当時、ママ友とはトイレトレーニングの話だとか、どこの小児科/皮膚科/耳鼻科がいいというような情報交換をしたり、閉塞的な子育て期特有の悩みを話したりしていた。
それから二十年以上のときが流れたいま、親しいママ友たちとは定期的にランチする仲となった。「ママ友」ということもあり、やはり子どもたちのことが話題になる。そして二十代の子どもたちは、就職したり、転職したり、恋愛したり、同棲したり、留学したりと若者らしいあれこれがあり、その定点観測は純粋に面白い。あとは老眼などの加齢トークも盛り上がる(笑)。
以前は、やっぱりママ友は学生時代の友だちとは違うなあと思ったこともあった。子どもを介在させてできた人間関係なので、自分の「友だち」ではないし、少し価値観が合わないところもあるような気がしていた。相手も同じように感じていたに違いない。
しかし、ママ友は近場の公園で知り合った人々なので、なんといってもご近所さんという強み、ありがたみがある。昔、夫がバイクで事故に遭ったとき、事故現場からバイクをどうやって引き上げてくればいいかわからず途方にくれていたわたしを助けてくれたのも、娘が不登校になったときに心配して電話をくれたのも、311の地震のとき中学生だった娘を迎えに行くあいだ、小学生だった息子を預かってくれたのもママ友だった。
かつて、新米ママだったわたしにとって「ママ友」は、学生時代の古い友人たちという王道の「友だち」よりもやや軽い位置づけだった。わりと親しいけどそこまで心を許していないというか、いまだけのつきあいというような感覚があったのだと思う。
ところがところが、知り合ってから二十数年も経てば、ママ友はいつのまにかママ友というカテゴリーの「友だち」になっていた。どんな人間関係も、つかずはなれず長い目で見ていれば時間の経過とともに角が取れてまろやかに滋味深いものに変化する。
こともあるのだ。
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