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2月の隙間の備忘録

恋に焦がれて生きるのに、先も考えずに走ってしまうことに慣れてしまった。その先に心穏やかな未来が待っていないのは自分の変わらない性格のせいなんだと気づいてからは、その未来に期待もしなくなった。何かに依存して生きていきたいはずだった生き方がいつの間にか、凪のような日々に溺れてしまっている。

いつか然るべき未来でそんな日が来たらその時はと乱暴に捨て投げることだけはしないようにと心の中では決めている。

正直に今の心のうちを述べるとするなら、心中は心の底から、穏やかだ。
自分の人生に仕事と恋人というあまりにも大きな、そし想像もしなかったふたつの大きな柱ができたけれども、「愛される」という事実に自分の求めていた幸福がぴったりそのまま居るわけではないことに、ぼやけた気持ちで気づいた。簡単には傷つけられない、いつだって優しい人だ。傷つけたくなんてない。いま失うなんて考えられない。だけど自分の人生に引き込むにはどうしたって状況が状況すぎるような環境だった。

いま、これまでの恋とは違うベクトルの好意を受けて、これまでとは違う恋人の比重と事実を目の前にして、「これは違う」とすぐに逃げて捨てるほど余裕がないわけじゃなかった。

ほしいのはそれじゃないのに自分は優しくしていたい、友達だったころの君が好きで、愛を返されると突っぱねてしまいそうになる、真髄の部分に愛の受け皿が無いかもしれない自分にはまず、いったん絶望はした。

どんな時も裏切らなかったのはやっぱり音楽だった。自分で選んだ趣味たちと、過程と成果を見て認めてくれる会社の環境だったり、きっと本当に恵まれていたのだと思う。

ただ、彼女でいる自分は好きで、彼女として存在できている今も、そのおかげでこうして穏やかに筆を取れていることにも感謝はしている。

これからの望むとするなら自分自身の成長をもって凄惨な過去の痛みを清算すること、二度と私の人生に関わってこないように、こちらから捨てること。忘れないことしかできない夜を超えて続くのは煙のまいた朝で、凪のような毎日に高低差を求めることももうないことに、自分でもこんなことがあるんだと驚いた。

息が切れるまで走り切ることが幸せとぴったり同じだとは思わない。ただ、自分以外の人の考える普通や恋人の温度をいまやっと、感じた気がする。言われた通りだ。陽炎のようで孤独とは違う、でもきっと満杯の幸福を知って器が広がってしまえばその伸びきった隙間に果てのない空虚を覚えるだけで、何にだってなれない。その空虚を取るかと言われたら、そんなの取りたくなんてない。

果てのない愛は生身の人間になんて注ぐものじゃない。、ひとつの瓶に溢れかえったとして、溢れた部分に溺れて窒息して、結局苦しいのなんてもうごめんなんだと心の底で気づいている。

仕事をして、底抜けに怠惰して、心から幸せだと思える時間を静かに生きることがどれだけの幸福かを思い知った。

目障りなものから目逸らして一人になって空っぽのまま音だけで満たす時間が好きだと思うようになった。普通や常識の枠組をわかった上で誰かの心の根幹を支えたいのも、YouTubeのコメント欄を見る事が好きなのも、夜風が好きなのも、音楽と大好きなコンテンツと煙草を吸う時間が大好きなのも全部自分でいまは必要で、それを愛しいと思う今を邪魔されたくなんてない、ただそれだけの話だ。

痛む恋の記憶は深く傷つけられた記憶だからこそ消えないと聞いて、一語一句その通りだと思った。その言葉通り苦しかったけど、いまはそこに途方もない孤独を抱える存在が他にいることの安心感と、どうしようもないほど踏み込んだ他人の人生への責務の念で壊れそうにもなっている。


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