ミラーニューロンと身体性
ミラーニューロンは1980年代後半に発見された脳神経細胞である。他者の動きを観察した時と、自分自身がその動きを行った時も同様に活動を示すニューロンがミラーニューロンである。この神経細胞の働きにより、他者がとった行動の裏側、つまり心理状態、コンテクストを予測することが可能となる。社会生活を営む生き物では、他者への共感が必要不可欠であるうえ、成長過程においても他者の動きの観察から自分自身の身体の動きへ「写す」必要があると考えられる。熟練者の近くで直接動きを観察していると自然とそれが身について、なぜできるようになったのかわからないことも多い。これはミラーニューロンによって意識には登らない箇所で自身の身体に神経細胞が作用しているからだと思われる。他者の表情から、その感情が憶測される場合も、それを共感と呼ぶが、表情筋の極微小な動きを知覚し、自分自身の表情筋の動きに対応させ、経験や記憶からその感情を推し量っているはずである。この科学的な発見から、私たちの身体性と精神性の隔たりが少し小さくなったのではないだろうか。
近年、HSPという言葉が流行っている。これは、ミラーニューロンの働きが活発になりやすいために生じるものだと言われている。少しのインプットで、大きなアウトプットが出てしまう、つまり感度が高い状態である。これは、良いことのように思われるが、検出器のような装置を想像してみれば、少し入力が入ると信号を発生させすぎてしまい、ノイズが入りすぎてしまうということになる。優劣はもちろんないが、入出力の調整は重要になる。
映画や小説に親しむことで、主人公に感情を投影させ、共感力を育むことができると言われる。だが、ミラーニューロンを考えてみると、その共感力の発達機序には、違いがあるのかもしれない。映画では、映像および台詞によってストーリーが進行され、小説には言葉のみによってストーリーが進行される。映像により身体的な伝播から自己への投影および共感性の発達はミラーニューロンから説明できそうだが、言葉を介した共感性の発達は自身のシミュレーション能力だけに依存するようにも思う。映画や読書に親しむ理由が、共感性の発達であるわけではないが、脳科学的な説明が気になったりする。
人工知能とヒトの絶対的な差とは、身体性にある。身体性を身体性に直接「写す」神経細胞は、身体性を精神性および理性に写している人工知能と大きな違いを産むはずである。神経細胞に関する科学的な発見が進められれば、そうではないかもしれないが。
ヒトである自分が、自分であるように存在していたい。