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ウィーン・フォルクスオーパー体験記~音楽の都の「国民劇場」は誰もが笑顔になれる場所でした

ウィーンの中心部をトコトコと走るトラムに乗り、「ヴェーリンガー通り/フォルクスオーパー」で降りると、目の前が「ウィーン・フォルクスオーパー」でした。ウィーン第2のオペラハウス。重厚で壮麗なウィーン国立歌劇場の建物に対して、ウィーン・フォルクスオーパーは曲線的なアール・ヌーボー様式で、かわいいピンク色。金色の縁取りがきらきらして、おとぎ話に出てくる劇場のような印象を受けました。フォルクスは「国民・民衆」の意。ウィーン・フォルクスオーパーはいわば「国民劇場」、ウィーンっ子の日常に息づく劇場なのです。
しかし、そもそもは1898年、皇帝フランツ・ヨーゼフ一世の在位50年を祝して建てられ、「皇帝祝典市立劇場」という名前でした。その後、「ウィーン市立劇場」という名前になり、オペラやオペレッタを上演。名称も「フォルクスオーパー」となりました。


オペレッタの時代

19世紀半ばはオッフェンバックのオペレッタ『天国と地獄』がパリで大ヒットしたのをきっかけにヨーロッパではオペレッタ「金の時代」となりましたが、ウィーン・フォルクスオーパーを舞台に20世紀はじめにはフランツ・フォン・ズッペやヨハン・シュトラウスのウィーンオペラがウィーン・フォルクスオーパーで上演され、ウィーンを中心としたオペレッタの隆盛は「銀の時代」と呼ばれたのです。
オペレッタだけでなく、1907年にはプッチーニのオペラ『トスカ』が、1910年にはリヒャルト・シュトラウスの『サロメ』のウィーン初演がこの劇場で行われました。

さて、オペラとオペレッタの違いは何でしょう。イタリア語でオペレッタは「小さなオペラ」という意味ですが、実際はオペラもオペレッタも幕数や時間はあまり変わりません。それよりも、身近なテーマや喜劇的な要素、口ずさみたくなるような楽しく軽やかな音楽など、純粋に楽しく鑑賞できるのがオペレッタというのが適切かもしれません。

第2次世界大戦中も、ウィーン・フォルクスオーパーは公演を続け、暗い時代に人々の心に灯をともし続けました。大戦中に破壊されたウィーン国立歌劇場に代わり、1958年まではオペラハウスとしても活躍。ウィーンの人々にとってまさに「我らの劇場」なのです。

公演前にアペリティフ片手に集う人々
ウィーン・フォルクスオーパ―の周辺には気取らないバーやカフェがたくさん

アペリティフタイムからいよいよ開演

さて、公演が始まる1時間ほど前から劇場の周りが、賑わい始めました。ウィーン・フォルクスオーパーがあるのは、観光客の多い中心部から少し離れた、いわばウィーンっ子の生活圏エリア。周囲にはカフェやバー、レストランが多くあります。劇場の前のバーは歩道にテーブルを並べ、そこでワインやアペリティフを飲みながら待ち合わせする人や軽食をとる人で混みあっていました。

シンプルながらアール・ヌーボーのシャンデリアがエレガントなロビー

いよいよ、劇場の中へ。ロビーはこぢんまりしてシック。両側に伸びる階段を上がって予約している2階席へ。コートや大きめのバッグはクロークに預けます。客席に入ると、まるでタイムスリップしたようなクラシックな空間!現代的な劇場に比べればコンパクトで、ステージを近くに感じます。バルコンの席に座る人々のおしゃれの様子や表情までよく見えます。席に座ってみると、なぜかとても落ち着きます。温かな一体感があり、自分もウィーンっ子になったような気分に。

公演前に舞台から見た客席
開演間近。2階最前列から舞台を見るとこんな感じです

ウィーン国立バレエ団のコッペリア

この日の公演は、ウィーン・フォルクスオーパーに籍を置く「ウィーン国立バレエ団」によるバレエ『コッペリア』でした。バレエの舞台はシンプルなことが多いですが、さすがオペラハウス、セットが大掛かりで凝っており、作品の舞台であるポーランドの田舎町がそこに出現していました。「コッペリア」は、コッペリウス博士がつくった美しい人形コッペリアに、村の娘スワニルダの恋人・フランツが人形と知らず恋してしまい、それを巡ってあれこれがまき起きる、陽気で楽しい作品です。「ウィーン国立バレエ団」のバレエはもちろん素晴らしく、プリマの可憐で流麗なダンスには目を奪われますが(日本人ダンサー橋本清香さんもプリマを務めています)、コミカルなシーンでは拍手だけでなく大きな笑いが起こり、客席には楽しい気分がいっぱいなのが印象的でした。

幕間のホワイエ。社交の場にもなっています

幕間はホワイエのバーが賑わいます。バーで会った女性は「今週はフォルクスオーパーに来るのを楽しみに毎日過ごしていたわ」とうれしそう。グラス片手にテラスに出てみると、ウィーンの街のきらめきがそこにありました。

ウィーン・フォルクスオーパー劇場の芸術監督、ロッテ・デ・ベアさん  ©David Payr

「境界」のない劇場を目指して

翌日は芸術監督をつとめるロッテ・デ・ベアさんにお会いしました。

「私はオランダ人で、フォルクスオーパーで初めてのフリーランスで女性の芸術監督です。着任してみて、ウィーンの人々の人生が音楽と一体化していることに、びっくりしました。フォルクスオーパーにくるのは、暮らしの一部なんです。実はフォルクスオーパーの建物は、以前は白でした。私が着任してからピンクに変えたのです。そのときにはテレビの全国ニュースに取り上げられ、賛否両論、喧々諤々(笑)劇場の色のことがこんな話題になるとは再びびっくりでした」

ロッテさんが目指しているのは、老若男女、すべての人が楽しめる「境界」のない劇場だといいます。

「芸術は言葉や国境を超え、立場や性別、年齢を超えた存在です。フォルクスオーパーは国民劇場という名前ですが、もちろんオーストリア人を指すのではなく、すべての民衆を指しているのです。すべての人ために、現代で最高のアーティストによる、まだ見ぬ未来の芸術をつくり出していきたいと思っています。劇場という“生きている”場所だからこそ、それができると信じています」

年間で約30演目、300日間公演が行われているウィーン・フォルクスオーパー。今まで劇場に通い続けてきた人々に加え、近年は学生や20代の若い人々が増えているそうです。

年末年始、サントリーホールでウィーン・フォルクスオーパーの音楽を

「ウィーン・フォルクスオーパー交響楽団」は1990年に始まり、1994年から毎年、来日し、サントリーホールの年末年始のジルヴェスター&ニューイヤーコンサートに出演しています(コロナ禍で来日できなかった2年間を除く)。そして、今年の大晦日と2025年のお正月も公演を行う予定です。

「日本とのつながりはフォルクスオーパーのアーティストたちにとって大きな刺激であり、やりがいになっています。毎年訪日するメンバーが変わるのですが、日本に行き、サントリーホールで演奏したい希望者が多くて(笑)日本、サントリーホールとのコラボレーションによって、その瞬間にだけしか出会えないウィーン・フォルクスオーパーの音楽がそこに生まれているはず。それって、素晴らしいことだと思いませんか」
と目を輝かせるロッテさん。

2025年はヨハン・シュトラウスⅡ世生誕200年のアニバーサリーイヤーです。そこで、ニューイヤー・コンサートではヨハン・シュトラウスⅡ世の特別プログラムが予定されているそう。

ウィーンっ子にこよなく愛される「ウィーン・フォルクスオーパー交響楽団」による、ウィーンの作曲家ヨハン・シュトラウスⅡ世の名曲の数々。
楽しみですね!
そこには、心温まる、楽しい時間が待っているに違いありません。

コンサートのあと、ウィーンの街を散歩しながらホテルへ

〈ウィーン・フォルクスオーパー交響楽団が出演するコンサート〉
サントリーホール ジルヴェスター・コンサート 2024
ウィーン・フォルクスオーパー交響楽団 

2024年12月31日(火) 14:00開演(13:20開場)

キユーピー スペシャル
サントリーホール ニューイヤー・コンサート 2025
ウィーン・フォルクスオーパー交響楽団
2025年1月1日(水・祝) 14:00開演(13:00開場)
2025年1月2日(木) 14:00開演(13:00開場)
2025年1月3日(金) 14:00開演(13:00開場)