第13回:「講演会シリーズ On the table 第2回『いぬのせんせい』ができるまで」
はじめまして、おはようございます!
淑徳大学人文学部表現学科杉原ゼミの榎戸です。
10月9日より、板橋区立中央図書館で開催されている講演会シリーズ「『On the table』私の作ったこの1冊 ― 編集者にきく ―」。
この講演会の特徴はなんといっても、編集者目線のお話が聞けるところ!
1冊の絵本が完成するまでの過程、制作秘話を知れるだけでなく「On the table」――会場のテーブルの上には資料や原画がずらり!
編集過程の貴重な資料を見ながらお話が聞ける、新しい講演会です。
今回は、その第2回講演「『いぬのせんせい』ができるまで」に参加させていただきました。
講師は株式会社グランまま社代表、田中尚人さんです。
田中尚人(たなか なおと)
株式会社グランまま社代表。1962年東京生まれ。学生時代はヒッチハイク放浪と読書と山歩きに明け暮れつつ、比較文明への関心から、インドに留学。インドから帰国後、母と株式会社グランまま社を設立。その後、1度退社し出版社数社、フリー編集ディレクターなどを経て、再びグランまま社に編集長として復帰した。復帰後は「世界をまたぐ絵本」をコンセプトに編集受託、絵本制作コンサルティングなどを行っている。
田中 「実は、(いぬのせんせい)お話は気に入ってたんですけれども、なんか、作品の絵がね、刺さらなかった。(出版まで)もう一歩が出なかったんですよ。どうしても出したい、というところまで熱情が湧いてこなかった」
初めにそう語った田中さん。
それがなぜ、出版するに至ったのか?
田中さんがこだわった「色」の表現とは?
その2つを軸に、日本で「いぬのせんせい」が出版されるまでをご紹介させていただきます。
20年越しのスタート
ファシリティ・ドッグとの出会い
『いぬのせんせい』(原題「Doctor White」)
作 ジェーン・グドール 絵 ジュリー・リッティ
訳 ふしみみさを
装丁 宮川和夫
入院中の子供たちを見守る白い犬のせんせいは、今日も子供たちがいる病棟へと向かう。せんせいが傍にいると、病気でぐったりしている子供たちにも笑顔が戻ります。しかし、そんなある日、病院に保健所の検査官がやってきて……。ロンドンの病院に実在したファシリティ・ドッグの活躍を描いた心温まる絵本です。
2001年にイタリアで出版され、田中さんがボローニャで購入した『Doctor White』。
企画箱の中に眠っていたはずの絵本を世に送り出す、そのキッカケを作ったのはNHKスペシャル「ベイリーとゆいちゃん」というドキュメンタリー番組でした。
ベイリーはファシリティ・ドッグというセラピー犬。田中さんは、重い病気を抱える子供たちに寄り添うその姿に胸を打たれました。
田中 「ゆいちゃんっていう女の子と、ベイリーの交流を綴ったスペシャル番組がありまして。それを見てですね、ぼんぼん泣きまして。笑」
田中 「なんて良いワンちゃんがいるんだと。すごい、すごいな、この献身はと。そういう風に思いまして、それを見終わってから『あっ、Doctor White!』って」
このドキュメンタリーが放送されたのは、ちょうど新型コロナウィルスが流行し始めた時期です。田中さんの中で、医療従事者が身を削って献身的に働いている姿と『Doctor White』が、繋がった瞬間でした。
田中 「僕は、絵本って置き換えだと思ってるんです。何かを伝えたいがために、1つの置き換えという作業を行って違う形で表現する。そういった意味で僕は、医療従事者への気持ちというのを『Doctor White』に置き換えしてみたくなった」
田中 「それに、ファシリティ・ドッグは日本ではまだまだ少ないんです。まだ4頭とか、そのくらいしかいないんですよね。この子たちを病院まで連れていくハンドラーさんという看護師もいたりして、年間1000万円くらいかかるんです」
田中 「そうすると、病院も1人と1匹にそこまで払えるわけじゃないんで、どうしても寄付が必要になってくる。ということで、ファシリティ・ドッグがもっともっと日本で広まるように、という思いも、ここに込めたいと思いました。それが今だと、今、出したいと」
『Doctor White』、白くない
当初、絵が刺さらなかったと語った田中さん。その理由は何だったのでしょうか。
田中 「Doctor Whiteって白いワンちゃんなんだけれども、これ(原本)見る限り、白くないんです。笑」
原本の表紙絵では、主人公の犬はベージュ色に近い毛色をしています。しかし、ページによって描かれている犬の毛色が微妙に違っていたり、同一人物の着ている服が変わっていたり、細かいばらつきが気になったといいます。
田中 「それに、病院なので多少透明感があるのは良いんですけれど、その割には全体的に色調が重たいと感じました」
田中 「そこで、じゃあ色合いについて日本の技術でいろいろ、やれる限りの加工をやらせてもらえないかと連絡をとり、OKをもらったんです。でも、通常はそのまま出しちゃうことが大事だし、もらったデータは大切に扱わないといけない。いけないというか、作家さんの作品性を大切にするのは基本なんですけれども」
実際、そんなところまで見られていないかもしれないけど。田中さんは笑って言いました。
しかしそれでも、「すっきり見せたいから」と白地を大事にしたり、「犬が子供に駆け寄るシーンの躍動感を出したいから」と犬が大きく見えるようにトリミングしたり、そこに、プロとしての意識の高さが窺えます。
田中 「長期戦なんで、絵本は。大体、グランまま社の場合は完成まで5年くらいかかってますよ。笑」
葛藤のタイトル決め
そうして『いぬのせんせい』に
『Doctor White』のタイトルをどう日本語に訳すかでも、とても悩んだといいます。そこには、読者側の楽しみを残したいという気持ちと、考えすぎたが故の、産みの苦しみがありました。
田中 「Doctor White、白いせんせい。これが、犬であることを言ってしまうとネタバレになってしまうわけですよ。それをどういう風に屈折させるか、伏見さん(翻訳家)と考えました」
田中 「ひげの先生とか、そばにいるだけでとか、色々考えたんですけど。でも結局、『いぬのせんせい』。動物病院のお医者さんみたいなイメージも出ちゃうんですけど、変化球を投げすぎると今度はお話を曲げちゃうような気もして」
会場にいらっしゃった翻訳家の伏見さんによると「ひげのせんせいだと面白い雰囲気が出てしまうし、そばにいるだけでだと逆にしっとりしすぎてしまう。絵がウェットだから、タイトルは軽くしてバランスをとりたかった」のだそうです。
絵本は、受け取った人の心の中で
はじめて完成する
絵本は、仕上がって見える印刷物ではあるけれど、受け取った人の心の中で、初めて完成する、という意味では、半完成品だと思っていたい。
講演会では、『いぬのせんせい』を読んだ弁護士の方から「法廷付き添い犬を知っていますか?」と連絡をもらった、というお話もありました。
その方は、ファシリティ・ドッグのことを知り、法廷にも似た仕事をしている犬がいることを教えてくれたのです。
ファシリティ・ドッグのことを知ってほしい、という思いが、新しい繋がりを産んだのです。
田中さんは、講演会の中でたびたび『いぬのせんせい』への想いを、語ってくださいました。
田中 「言葉とか薬とかだけじゃなくて、ワンちゃんが寄り添うことで介抱に向かっていく……マジックですよね」
田中 「やっぱり、言葉では説明できないこと、あるよなって。そういった想いが、この絵本を作る上では、ハッキリしていた。すぐに売れるかどうかなんて全然考えてなかったし、実際、今もそんなに売れてはないんです」
田中 「でも、初年度で5万部一気に売れてあとで絶版になるより、5年で3万部なんとか売れて、次の5年で2万部売れました、とかっていう風に、年を重ねていける本のほうが、僕は好きです」
こちらは、一緒に写真を撮っていたいただいた時の1枚。1番左に写っているのが、板橋区立美術館館長の松岡希代子さん、その隣にいるのが講師の田中さんです。講演会の中では、松岡さんが司会進行を担当して下さっていました。
さて、ここで次回の講演会シリーズについてお知らせです!次回の講演会は……
2021年12月22日(水)に開催されます🎉
「世界の書棚から」ということで、在日大使館職員の方や翻訳家さんを講師にお招きします。各国のいま注目の絵本作家、作品、そして、最新の出版事情までお話してくださるとか!
申込受付はすでに終了していますが、またこちらのnoteにて内容を紹介するつもりです。
ぜひ、お楽しみに!