第12回:「講演会シリーズ On the table 第一回『やとのいえ』ができるまで」
お久しぶりです!
淑徳大学人文学部表現学科杉原ゼミの増山です。
10月9日、板橋区立中央図書館で講演会シリーズ「『On the table』 私のつくったこの一冊―編集者にきく―」がスタートしました。
講師は絵本の制作に携わった編集者。1冊の絵本が完成するまでの過程や制作秘話が聞ける新しい講演会です。また「On the table」の言葉通り、会場のテーブルの上に広げられた絵本制作過程の資料や原画を見ることができます。
今回は、「第1回『やとのいえ』ができるまで」の取材に行ってきました。編集者という普段はなかなかお目にかかることのない立場だからこそ聞ける貴重なお話が盛りだくさんでした!
『やとのいえ』をつくり始めるまで
第1回の講師は株式会社偕成社編集部の藤田隆広さん。
『やとのいえ』編集者で今回の講師の藤田隆広さん(右)、板橋区立美術館館長で講演会司会の松岡希代子さん(左)
『やとのいえ』は第68回産経児童出版文化賞大賞を受賞しました。作者の八尾慶次さんは、2013年に「羅漢さん」でボローニャ国際絵本原画展に入選。『やとのいえ』にも羅漢さんが登場します。
「子どもの頃、いとこの家にあった『ちいさいおうち』の絵本が大好きだったんです。いつかこんな絵本をつくりたいと思っていました」
『ちいさいおうち』(岩波書店)は、藤田さんの「座右の絵本」のひとつ。本に関するこのような原体験をもつ編集者は少なくないと藤田さんは語ります。
マラソンランナーとしての顔も持つ藤田さんは東京・町田の鶴川育ち。地域を走りその地形を体感することを通して、里山の景観が残る多摩丘陵の谷戸の景色が好きになりました。
「谷戸」とは、丘陵地にある谷の地形を利用した農業や周辺の生態系を指す言葉。
『やとのいえ』は、谷戸の人々の暮らしとその傍らにたたずむ十六羅漢を時代の流れとともに眺めていく定点観測形式の絵本です。しかし、最初の構想では羅漢さんだけを描く予定でした。
もうひとつ何か要素を、と考えて思い当たったのが、昔から親しんできた谷戸の景色だったそうです。
こうして、羅漢さんと谷戸という『やとのいえ』のテーマが決まりました。
藤田さんにとっての谷戸のように、日頃から漠然とでも何かに使えるアイデアを蓄えておくことが重要だと語ります。
プロジェクターで投影された制作当時の写真などと共にお話を聞きました。
絵本制作の始まり
2014年、絵本の設計図を書いた「ミニラフ」から制作が始まります。講演会で実際に見せていただいたミニラフは手のひらサイズでしたが、きちんと冊子の形です。この時点から、羅漢さんと谷戸の農村を左右のページに描いた完成版とほぼ同じ構成でした。
講演会では制作過程の資料もたくさん拝見することができました。ラフから原画、トレース、着彩……と絵ができていく過程に感動しました。
次に登場したのはまるで紙芝居のように大きなラフ。完成版の絵本よりも大きく、八尾さんの描くことへの熱意が伝わってきました。このようにラフを何度かやりとりして、だんだんと細部を詰めていきます。
2015年、絵本の谷戸のモデルとなる実在のまちを決めることになりました。「分かる人が見れば、ちゃんと作っていないことは分かってしまう」と藤田さん。事実を制作のベースに置くことの重要性を感じます。モデルとするのは多摩ニュータウン。『やとのいえ』のリアリティを高める作業が始まりました。
リアリティを求めて
ラフの制作を進める中、多摩市にある文化施設「パルテノン多摩」の学芸員を務める仙仁径さんに監修を依頼することに。谷戸について多摩の地域紙に寄稿もしており、藤田さんとは谷戸の素晴らしさについて語り合うと止まらなかったとか。
「作家の人がいて、監修の人がいて……ここで『役者がそろった』と思いました」
八尾さんの作成したラフに仙仁さんが修正点を書き、編集者である藤田さんを通じてラフの修正を行います。ラフに貼られたたくさんの付箋の緻密な書き込みに驚きました。
数々の修正を経て、それまでのものよりもリアリティが格段に上がった2016年のラフに藤田さんは「仰天した」といいます。リアリティが高まるとそれが自信にもなってきました。
「編集の仕事をしていて良かったと思う瞬間は、まず良いラフが来たとき。それと企画が通ったときです」
いよいよ本番へ。「古老」にも話を聞く
ラフが固まり、いよいよ下描きを始めます。講演会では本番の紙にトレースする前の実際の原画も間近で拝見することができ、描き込みの細かさに圧倒されました。
大阪の貸会議室にて原画を広げ、途中経過を確認したときの写真では、まだ人物の絵が描かれていませんでした。
「人物は最後に描きます。『顔』は絵本のなかでもすごく大事なものですから」
綺麗に色がつけられた背景に人物の部分だけが白く抜けた状態の原画。なかなか見られるものではありません。写真を見たときは不思議な感覚でした。
制作に深く関わったもうひとりの人物が、「古老」田中登さん。『やとのいえ』の舞台となる長い時代を生き、その目で見てきた方です。当時の風景や人々の慣習をありありと語っていただいたことで、時代考証の大きな助けになりました。
人々がどんなふうに暮らしていたか、いつからどんな服を着ていたか……ご本人の記憶から語られる当時の様子は、まさに究極の一次資料。
一冊の絵本をつくるのにここまで細かくこだわられていたことに驚きです。
原画の完成。6年を経て
そして、ついに原画が完成。八尾さんのご自宅へ原画を受け取りに行った際は「感無量だった」と、藤田さんは振り返ります。
リアリティに深くこだわった『やとのいえ』ですが、それゆえに地域的な習俗など、読む人に分かるのだろうか?という点もありました。
そこで、巻末に解説をつけることに。もう一度資料を洗い直してひたすら付箋を貼り、解説文を作成する途方もない作業の大変さは想像に難くありません。
こうして、6年の歳月をかけて『やとのいえ』が完成しました。
絵本を一冊作るのには、2年ほどで完成することも、10年かかることもあります。
「制作途中で何らかの理由で間が空いて8年、10年かかることは業界でもそれなりにあります。でも、『やとのいえ』は間が空かずに6年でした。制作に携わった人たちの『多摩が好き』という思いがずっとあり続けたことが大きいと思います」
講演会の締めは、画面に映し出された多摩ニュータウンの現在の写真。一冊の絵本への思いが詰まった6年間の軌跡を見て聴いて知ることができ、とても貴重な経験でした。
「On the table」次回開催は11月5日「第2回『いぬのせんせい』ができるまで」です。(申し込みは終了しています)
そちらの取材記事もどうぞお楽しみに。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?