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膝蓋骨骨折小話 #15 無意識の「違う」を知り「堂々と生きる」を選択する(60-73日目)

骨折から73日目時点でできるようになったこと

  • 膝の屈伸が90度近くまで曲げられる(うれしー)

  • ひとりでなんとか歩ける(結構ヨタヨタ)

  • エスカレーターの登りは乗り込める(下りは怖い)

  • 湯船に浸かれる(ゆっくりと浴槽に入る)

  • ベッドの上り下りができる(つまりヒザを伸ばしたまま床から足を離すことが可能)

骨折から73日目時点でまだできないこと/進歩しないこと

  • 公共交通機関に乗れない(人混み不安)

  • エスカレーターの下りの乗り込み(不安/シミレーションできない)

  • 階段の通常上り下り(骨折箇所付近が痛くて無理)

  • 車の乗り降りが右側からしかできない(骨折箇所を曲げたまま地面から離すときに自由度がない)

  • 坂道が難しい(筋肉がなくて下りなんか転がっていきそう)

クララが立った!味見が歩いた!

わたくし、味見が理学療法士さんによく聞かれること。
「病院まで歩いてこれました?」

ずっと病院の往復は家族に送迎してもらっており、歩くといっても駐車場から歩くので精いっぱいだった。それでも最近、駐車場の徒歩でも立ち止まって休憩したりすることはなくなった。
ただ、歩いている最中にふらつくことがあったのでまだ自分は歩けないんだなと思い込んでいた。

でも数日に1回は理学療法士に「病院まで歩いてこれました?」と聞かれるので、「歩きゃなきゃいけないよ」と遠回しに言われてるんだと気づき、一人で歩いてみたところ、ふらつかずに歩けることに気づいた。
えっ、味見歩けるのかよ・・・。

まあ、いままで歩くときよりは、いまは倍歩行に時間がかかるし、途中疲れて立ち止まったりする。でも一人でなんとか歩けるってうれしかった。

ほかにもできないと思い込んでいたことはある。
車の後部座席に乗り込むも、骨折した右足は座席に上げたまま。右足だけ長座で、左足は普通にヒザを曲げて下ろしている状態。前列のシートと後部座席のシートの狭さでは自分はまだ普通に座れないんだと。
リハビリ用のベッドもそうだ。自分一人では登れないし下りることもできないのだと。

でもふと気づく。そもそもチャレンジしていないんではないか、と。

できると信じ込んでどれもやってみたところ、なんとかできるもんだった。なんでも挑戦ですね。

目標だったライブ

骨折から2か月、目標にしていたライブ参戦も、車いす席ではあるが行くことができた!
やはり推しがいるのは活力が出るし、現場に行くのはいいわぁ。潤いました。推しに合掌。

無意識の違う

ライブ会場までは車で送ってもらったんだけど、会場に着いてからというもの車いすのわたしを、みんな、めっちゃ見てくる。
近所のスーパーでもおんなじ。めっちゃ見てくる。

わたしも二足で歩いていた時はつい見ちゃってたな。
特にライブ会場でのそのときのわたしは、「ほほえましい」って気持ちで見ていた。

でもその「ほほえましい」って自分と何か「違う」から来ていて、
それは車いすの方を少し自分より「下」に見ていたのかも。
なんかそういうことに気づいた。

それって駄目だなって、無意識にでもそう思ってる時点で駄目だなと。

たとえ車いすであろうがどんな状況であっても、本人は通常の状態で、どれがどれを応援しようがしまいが通常。

人を見て何かを思うことが、そのひとを「違う」と思ってしまっているんじゃないかと反省した。

ライブはたのしかったし最高だったのでSNSで「車いすのわたしに道譲ってくれてありがとう」なんて書き込んだけど、それにいつもつかない数の知らない人からの「いいね」めっちゃついてたんだけど、無意識の偽善かなって。手放しではまったく喜べなかった。

すみません。ここは自論なので不快に思われたなら申し訳ないです。

ただし、別の見方すると、車いすと二足で歩いているでは「違う」から大いに「違う」を活用して社会に甘えちゃえ!とも思った。
優先してライブ会場から外に出たり、誰かの手助けを得たり。

堂々と生きればいいんだ。
それはだれしも限らず、犯罪や大きな迷惑にならないのであれば、みんな。

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