【蓮ノ空ラブライブ!大会】不可逆に増大する

「「蓮ノ空、やばすぎる!」」

お酒も入った中、2人の友人が口を揃えて話始めたのは2023年末の忘年会だった。
大学からの友人が我が家に集まる中、家主として料理を振る舞いながらそんな話を聞いていた。
思えばSNSのタイムラインでも最近良く名前を見るスクールアイドルだった。

自分の中でスクールアイドルといえばμ'sのイメージのままあまり更新されていなかった。
大学4年の忙しい時期ながら、2016年のFINALライブに参加したのは人生の中でとても大きな印象を残したイベントだった。当時の自身は彼女らとあまり年齢も離れておらず、近い年代の人間があそこまでの感動を作り出せていることに大きな勇気をもらい、当時始めたところの音楽活動にもそれなりの影響を与えていた。

だがその後スクールアイドルというカルチャーに触れ続けていたわけではなく、音楽/仕事/交友関係の中で他者を強く応援するほどの余裕はない、ある種一般的な社会人として生活を続けており、その日集まった友人たちも同じだと思っていたので少し呆気にとられた。

少し話を聞くと、昔とは違いリアルタイムでスクールアイドルたちが配信するプラットフォームもできていて、それらも活動の一環として捉えられているらしい。
コロナ禍により社会全体が停滞し対人の活動が制限される中でも、テクノロジーにより活動が続けられるのはすばらしいことだと思う一方、常に自身より優れた人間にさらされ続けるのは大変だなと思った。

翌年、仕事始めの後すぐに三連休という気の抜けたスケジュールにもたらされた余暇は年末のことを思い出す時間を生んだ。
ちょうど蓮ノ空のWith x MEETS配信の始まる少し前だったこともあり、アプリをインストールした。2024年1月13日のことだった。タイトルは"村野さやか生誕祭"だった。
メンバーも何もわからない中だったが、特に真面目そうな子が祝われていて、6人ともとても仲が良さそうで、心地の良い雰囲気だった。
一番背の高くふわふわとした子と特に仲がいいようだが噛み合わなさそうで噛み合っている不思議な関係が見て取れた。

昔よりコンテンツへアクセスすることが容易な時代だからこそ、そこから好きなものを見つけるのは早かった。
配信などから見て取れる関係性はDOLLCHESTRA、音楽としての面白さはみらくらぱーく!、言葉として紡がれる世界観はスリーズブーケが自分にストンとハマった。特にDOLLCHESTRAの綴理ちゃんの放っておけない雰囲気に目を奪われていた。

ファン歴2週間の"にわかファン"だが、周囲の人間はすぐに輪に溶け込ませてくれた。
さながら"にわかファン"という言葉が生まれた2019年を思い出した。あのときは自分が周りを巻き込む側だったので初にわか側である。

とはいえ応援の持つ温度はその長さにある程度比例するもので、先に応援していた人たちほどラブライブ!決勝の敗退という事実も響かなければ、感謝の気持ちを込めたライブの感動も他者より少なかったのだろう。一度は熱も冷めてしまった。
曲は聞くものの、他の様々な音楽やたまに挟まる広告と雑多に混ざりあった、サブスクリプション時代特有の視聴方法でしか聞いていなかった。

年度も変わり、新しいメンバーが入って少ししたあたりからDOLLCHESTRAの新曲がリリースされ、相変わらず同時期のポップスやアニソン、クラブミュージックに混じりあうプレイリストの中で耳にした。
去年までの操り人形/ゴシックといったワードをちらつかせた世界観はどこへ行ったのか、彼女らとして初めてのミッドテンポで、ダンサブルで、メジャースケールな楽曲の中に、ハイトーンで、どこか張り詰めた印象的な幼い声。
今夜は仕事を早く終わらせて、配信を見ようと思った。
結局仕事を終われたのは20時30分で、溜まっていたアプリの更新データのダウンロードに5分程度を要した。
見逃した部分はその日のうちにアーカイブで見た。

5月、地元兵庫県は神戸に蓮ノ空が来る。
だが、自分の熱が冷めていた時期にチケットが発売されていた。当然自分の手に参加する資格はない。
友人たちを熱狂させたその熱は日本中に届いていた。その熱は情報として感じ取れるくらいの距離感で自宅から配信を見た。悔しかった。
悔しかったが、それでも現地に行った人の感想を聞き、よりそのディテールを手に入れたいと感じた。
その夜は、たまたまライブに参加した友人が舞台に立つ側として出演するイベントがあった。彼の音楽とライブの熱を物理的な熱として享受できた。
その熱を冷ますかのように、蓮ノ空への熱を得るより少し先輩の愛車にまたがり帰宅した。

11月からライブツアーがあるという一報から少し経ち、バイブスや温度感が好きな、勝手に馬が合うと思っている先輩に声をかけた。やはり一人での参加は少し怖い。この先輩も綴理ちゃん推しである。
特にDOLLCHESTRAの大阪公演はなんとしてでも取りたかった。関西に生まれ30年が経つがこの地域に永住する気でいる自分にとって、地元に最も応援しているユニットが来るということはあまりにも喜ばしいことだった。
なんとかDOLLCHESTRA、スリーズブーケのチケットを入手できた。みらくらぱーく!の公演は配信で見ることとした。

みらくらぱーく!のライブは相変わらず好きな音楽性だ。
他者を巻き込む音楽の中にも確かに表現される人間性と関係性。
来週は自分が会場にいるんだぞという興奮も混ざりながらその感想を2人の友人に伝えようとしたところで、彼らは夜公演の参加だったことを思い出した。
彼らには抽象的な表現で感情を伝えた。

DOLLCHESTRAの公演前、一羽で川沿いを優雅に飛んでいく白鳥を見た。阪神電車で淀川を渡りながらの光景だった。
公演が始まり、2人で歌っていた頃のどこか息詰まる世界観も見せながら、3人になることでよりのびのびと羽根を伸ばした自由な表現を見せてくれた。やや上からの視点でも伝わる表現だった。
この日の新曲"バアドケージ"は自分たちを鳥と鳥籠になぞらえた旅立ちの曲だった。彼女らの配信外のやり取りなど知る由もないが、確かに感じ取れる寂しさと決意に思わず涙した。

スリーズブーケのライブはいわゆる神席と呼ばれる座席だった。
目の前にはサイドステージと、3つの彩りが取られたバミ。
眼前にスマートフォン越しに見ていたスクールアイドルが存在している。その圧倒的な存在感と、そこから紡がれる言葉に徐々に取り込まれていった。
自身とステージの間にある壁は眼鏡の視野角の限界だけだった。
アンコール前の眩耀夜行で、橙の熱狂が会場の照明演出を凌駕するほどの光景を目の当たりにしたのは8年ぶりだった。前回はそれを俯瞰していたが今回は背負っていた。

ユニット公演後、ラブライブ!決勝大会のチケットを無事に入手した。2人の友人も、先輩も一緒だ。
今回はわずか1コーラスしか演技ができない。
でもその1コーラスを目撃するために横浜へ向かった。間違いなくすごいことが起こると信じていた。

当日の出番は大トリ。ファンとして最も望ましい順番だった。
採点競技において出場順は後ろである方が良い。
蓮ノ空がどれだけいい演技をしようとしても、序盤で採点者が満点を出せるわけがない。それ以上に良い演技が後ろで出てきたときに優劣をつけられないのだから。

ただ蓮ノ空の出番直前に行われた瑞河女子高等学校、桂城泉の演技は圧巻だった。
会場の7割程度は彼女の応援に来ていたのだろうか。綴理ちゃんと同じメンバーカラーの赤色が会場を塗り潰していく様子をまざまざと見せつけられた。
一人で舞台に立つプレッシャーなどどこにもないのだろうか。彼女にはまだ2年残されている。ここからどうなっていくのかと思ってしまった。

でもきっと、蓮ノ空はこれを超える演技を見せてくれると信じてステージと対峙した。
暗闇の中でも9人が舞台に立っていた。私は後悔してたまるかと思わず声を張り上げた。
「頑張れ!!!」

イントロが始まる。これまで聞いたことのなかった楽曲だが、その色には間違いなくこれまで見せてくれた景色が含まれている。
会場が反響する。歓声が増していく。彼女らの表現が自らの感情と徐々に曖昧になっていく。
もはや言葉を聞き取れていないのに涙していた。右手にもつ"ボクの赤"も少し滲んでいた。
歌詞も旋律もはっきり覚えていないのにその熱は今もなお残されている。

感情が揺れ動く我々に待っていたのはプレーオフという前代未聞の結末。
あれで優勝できなかったのか、もし2校の順番が逆だったら負けていただろうか、そんなことすら感じてしまう。
それでもなお客席の盛り上がりは負けていなかったとも思う。身内びいきだろうか。
たとえそう言われても、我々が本気で声を上げることがもし少しでも蓮ノ空の勝利につながるのであれば、プレーオフまでの2週間に我々がやることは一つだろう。

「蓮ノ空、やばすぎる!」

プレーオフは流石に有観客ではできないのかな。
それでもこの増大する熱を情報に乗せて、それが彼女らに、世界に伝わればいいな。


蓮ノ空を確かに応援し始めてちょうど1年が経つ日に、自身が何を考えていたかの記録として書きました。
文中の経験などは間違いなく自分のものですが、以下の2つの仮定に基づいて書いたフィクションです。
・活動記録という彼女たちのストーリーは見ることができない
・3rd Tour 横浜公演は存在せず、ラブライブ!決勝大会が横浜で行われた


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