長崎街道3 黒崎宿→飯塚宿
2023年9月、西国街道を歩き終えた夜の下関で関門海峡を眺めていると、長崎街道の起点 門司の灯りが間近に見えます。なんだ、近いじゃないか長崎街道!
憧れの長崎街道、鎖国の頃に異国文化を運び、シュガーロードもと呼ばれた、文化交易の大動脈。北九州から長崎を目指します。
2023.12.25
1.黒崎宿
黒崎宿はここまで。
地図をみるとわかるのですが、黒崎駅前は道が放射状に区画整理されていますが、長崎街道の道筋は、放射状の道と綺麗に交差し、元の道を崩すことなく、大切に残されています。街道愛を感じますね。
2.曲里の松並木
曲里の松並木。
東海道や中山道には立派な松並木が多くありますが、殆どが自動車道路と併用されています。
曲里の松並木は盛土の上に松が植えられており、歩く人の為の道がそのままの姿で残されています。江戸時代から残っている松が2本残っており、ここまで保存してきた地域のみなさまの努力をかみしめながら歩きます。
街道松。
江戸時代から、明治・大正・昭和・平成・令和と通り過ぎる人々を見護ってきた松に手を添えて、往時のの人の足音や話声を想像しました。
3.幸神
幸の神。
手造りの屋根の下の鳥居の奥に、小さな祠が並んでいます。
鳥居・手水舎・参道・拝殿・社殿がある様な神社では無くても、ここまでオーラがある場所ってあるのだと感じました。
資さんうどん。
うどんのモーニングをやっていたので迷わず入店。
福岡はうどん文化圏で、明日以降も朝うどんが楽しめる様でしたら食べてみます。
シンナー撲滅用語。
私が子どもの頃シンナー遊びが流行ったので、その頃から掲示され続けているのでしょう。
凉天満宮。
往時は境内にあった松の下で旅人が涼んでいたので、神社の名前が凉天満宮となったそうです。旅人が休んでいた風景をみてみたいものです。
八児地蔵。
目の前の小学校の名前が、八児小学校でした。地名としては八児の名は残っていませんが、地域に根差した名前なのですね。
街道は坂道を昇ったり降ったり、少しずつ低い山々が視界に入る様になってきました。
4.立場茶屋銀杏屋
坂を昇りきると風景が一変、風情ある街並みが目の前に広がってきました。
街道歩きの楽しみのひとつが、宿場町以外の小さな町の出入口の発見です。
出入口には、3つのパターンがあり、「川」「神社」「坂」が目安となります。
立場茶屋銀杏屋。
黒崎宿と木屋瀬宿の間の立場茶屋。
立場(たてば)とは、宿場間にある休息する場所で、杖を立てて休息したのが名の由来です。
銀杏屋は本日は休館日ですが、大掃除の為、運よく道路から中を覗くことが出来ました。
地域の皆さんが大勢集まって来ています、愛されているのでしょうね。
興玉神(おきたまのかみ)。
猿田彦大神のことを指し、旅の安全をまもってくれる神様です。
坂を昇る前に興玉神があると、励みになりますね。
不動明王。
良く見ると恐ろしい顔をしています。
山陽新幹線。
この付近が唯一の新幹線との並走区間、何度か走行音が聞こえたのですが、姿を撮影する事が出来ませんでした。
5.木屋瀬宿
木屋瀬宿に入ります。
船庄屋跡。
街道のすぐ西側に遠賀川が流れています。そのため舟運が盛んで、木屋瀬宿には年貢米の集積場が置かれていました。
木屋瀬宿はここまで。
殆どの建物が、普通に暮らしている住民の家屋で、観光地化はされていませんが、宿場町の雰囲気が飾り気なく自然に残っていて、見応え十分の宿場町でした。
追分道標。
右に分かれる赤間道は、福岡への唐津街道に合流します。
6.感田村
街道歩きで恐ろしいのが歩道が無い区間。
実際に歩くとわかるのですが、9割以上の道は歩道が整備されていますが、物理的に無理な3つの区間があります。
それは「トンネル」「峠道」「堤防上」。
上の画像の道は、堤防上の歩道が無い区間、雨でもあり命の危険を感じたので、脇道を探して進みます。
上の画像、よく見ると沈下橋が見えます。
川の右側に市役所が、川の左側の河川敷には駐車場があります。市役所の利用者または職員と思われる人が、駐車場に向かう為に、沈下橋の上を右から左に歩いていました。
7.直方
まとやの成金饅頭。
成金饅頭の名は、うずら豆の投機に失敗した青年が、大量の豆を処分するために製造した饅頭が売れたのが由来。
一度みたら忘れられない、インパクトがあるネーミングですね。
直方市石炭記念館。
本日は時間が無くて寄れませんが、次回見にきたい場所。
直方の商店街をみていると、炭鉱絶頂期の直方がどのような繁栄をみせたのか、知りたくなります。
麻生太郎は飯塚市出身。
家業の炭鉱・セメント業に従事し、政界入りは39歳と想像よりも遅く感じました。
直方は宿場町かと思っていたら、城下町だったのですね。
遠賀川対岸にも、旧道の跡が残っていたので、往時はメインルートではなかった可能性もあります。
8.遠賀川
2mくらいの高さに弁当箱位の賽銭箱が置いてあります。
こぼれたらバスケットボールのゴールみたいな網の中に入る仕組み。
1回目は大外しで網にも入らず、2回目で見事に賽銭箱にイン!
気持ちよかった~
めだかでら。
自宅でめだかを飼っているので、ついつい長居をしてしましました。
なんかほっこりしました。
平成筑豊鉄道伊田線。
遠賀川にかかる橋梁を眺めていて、驚くべき事実に気が付きました。
非電化なのに複線なのです。炭鉱輸送は蒸気機関車で運行されていたが、廃坑後に旅客用として活用しているからと推測。
調べてみると、非電化複線区間は、全国で13例しか無いそうです。
遠賀川を渡ったあたりで、道を勘違いして逆走している事に気付きます。
街道歩きは1mたりとも戻りたくないのに、500mは逆走しており精神的ダメージを負い、1分位呆然として立ち尽くしていました。
手持ちの地図では、直方付近は遠賀川の両岸に長崎街道のルートがあり、同じ道を戻らなくてもリカバリーできそうなので、気を取り直し前に進みます。
猫が畑にいる姿に違和感を感じますが、先月奥州道中でも畑の真ん中にいる猫の姿を見かけました。
炬燵の中ではなく、この姿が本来の姿なのでしょうね。
サザンカとツバキの見分け方。
それは花の散り方、ヒラヒラと花びらで散るのがサザンカ、ボトリと花ごと散るのが椿、街道を歩きながら学んだ豆知識でした。
遠賀川を渡らないと街道に戻れません。
今日は何回渡るのでしょうか・・・・。
9.小竹
光芒が好きで、毎度見入ってしまいます。
遠くから見ると美しいですが、きっとあの光の下は、ただの日向なのでしょう。
飛び出し坊や。
びっくりしました!
滋賀県の子ども飛び出し注意喚起のキャラクターが福岡県になるとは。
中山道と東海道で見かけた、アレンジ飛び出し坊や6人を紹介します↓
▽石碑の一文
それ人勢は道に始まり
路に終わらねばならぬ
決して疲れてはならない
赤レンガ塀の家を時々目にします。
斜めに組んだりする文様が、いい味を出しています。
炭都鉄道路線図。
非常に興味深い路線図が貼ってありました。歩いて来た付近にかなりの数の炭鉱があった事が地図から読み取れます。
北九州には、地蔵尊群が多く存在します。
上記の画像の様に、お堂の周りをぐるりと囲む姿は壮観。人々が想いを寄せて建立してきたと思われます。
10.飯塚宿
伊藤伝右衛門。
昨夜飲みに行った店の常連さんに、炭鉱王・伊藤伝衛門邸は見た方が良いと指南を頂き訪問。残念ながら閉館時間であったので次回の楽しみに残しておきます。
1㎞位西に道を間違えていました、ああ悔しい。
暗くなってからの道間違えは、疲れている脚に申し訳なくなり、心も暗くなります・・・・。
今日は良く道を間違える日ですね。
街道に戻りました。
複数の神社が同じ敷地にある場合、道沿いにそれぞれの鳥居と参道が並んでいるケースが北九州では時々目にします。
曩祖八幡宮(のうそはちまんぐう)の参道と鳥居の左右に、須佐宮と天満宮の鳥居と参道が並んでいました。
本日はここまで。
道を何度も間違えた一日でした。
川を渡りホテルに向かいます。
夜のパトロール。
クタクタなので、ホテルに一番近い店に、ちょっと入りずらいですが、入っちゃいます。
良い店でした。
一人前のハーフサイズを出してくださるので助かりました。
今日は早く寝ます。
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