特別企画11 中山道 復路0 三条堀川→三条大橋
京都出張中、泊まりは四条大宮で翌日の集合場所が銀閣寺。どうやって行こうか、地図を眺めていると三条通りが目に飛び込み、2時間で歩けそう。
私の街道歩き中期計画では、中山道復路は2027年以降の予定なので、前哨戦「中山道復路0」として歩きます。
2024.02.04
1.鐘馗さん
堀川三条の交差点から、東に向かって歩き始めると、道の先に見えるのは東山。稜線が少しずつ高くなるのを楽しみながら歩きます。
祇園祭の粽(ちまき)。
厄病・災難除けのお守りで、祇園祭の期間に各山鉾のお会所や八坂神社で授かる事が出来ます。
京都府内の街道を歩いていると、民家の玄関先でよく目にします。
鐘馗(しょうき)さん。
京都や奈良の町屋の軒先に魔除けとして置かれている飾り瓦。京都三条が発祥らしく、関東地方では五月人形になっていたそうです。
鐘馗さんを初めて見たのは、長野県北国街道丹羽島宿。
なぜ遠く離れた丹羽島宿に、鍾馗さんが多く飾られていたかは不明ですが、その時の画像を紹介します。
普通の民家の屋根上にいます。
鐘馗さんの説明看板までありました。
北国街道を歩いた時の記録はこちら↓
もう一カ所、鐘馗さんと出会ったのは、日光御成道の岩槻宿。
関東地方では鐘馗さんの五月人形が作られていたそうで、岩槻は人形のまちなので、鍾馗さんが屋根の上に鎮座してあるのかもしれません。
日光御成道を歩いた時の記録は↓
2.明治大正建造物群
緩やかな坂を昇り始めます。
時速4kmで歩いていると、平らかなと思っていた京都の街中でも、緩やかな坂があることに気が付きます。
緩やかな坂道の先には、これから向かう東山の稜線が迫ってきました。
文椿ビルヂング。
大正に建てられた木造の洋館。中にはテナントとして、飲食店やギャラリーなどが入っている。
みずほ銀行京都中央支店。
赤レンガ建造物が現役のメガバンクの支店として活躍している、素敵です。
中京郵便局。
122年前に竣工した、赤レンガ建造物の現役郵便局。
旧日本銀行京都支店。
ここが京都経済のの中心地だったのですね。今は京都文化博物館として活躍しています。
10m程度の狭い幅の道沿いに、明治・大正・昭和の歴史的建造物が軒を連ねている道は、国内でも珍しいと思われます。
3.三条大橋
三条小橋。
この橋があるから、三条大橋と呼ばれているのですね。
中山道・東海道の完歩以来の再開。
先輩たちは今日も元気そうです。
高山彦九郎 説明看板。
説明文を読むと、三条大橋は東海道五十三次の”起終点”と記してあります。京都の人に、三条大橋は東海道五十三次の”終点”である、と言うと怒られるそうです。
こだわりの看板に、小さな感動を覚えました。
古川町商店街。
商店街の道は、安土桃山時代の前から、鯖街道として賑わっており、京の東の台所と呼ばれていました。
白河と柳。
どうしてこんなに風情があり、美しいのでしょう?
見惚れてしまいます。
4.白川
いつの間にか、東山が目の前に迫ってました。
この辺りで三条通りとお別れして、北に上ります。
京都では、北へ向かうことを”上る(あがる)”、南へは”下る(さがる)”、東へは”東入(ひがしいる)”、西へは”西入(にしいる)”と言います。
インクライン。
高低差約36メートルの琵琶湖疏水の急斜面で、船を運航するために敷設された全長582mの世界最長の傾斜鉄道跡。
実際に運行している姿を見たくなってきます。
朝食を食べるタイミングを逸しており、諦めていたところに、朝食の神様からのご褒美。
大好物のチーズおかかを、美味しくいただきました。
朝の哲学の道。
ひとがまばらで快適に歩けました。
いつ来ても落ち着く道です。
5.銀閣寺
銀閣寺。
中学校の頃に友だちと旅行に来て以来。
当時の記憶が殆ど無く、初めて来た感じです。
素晴らしかった。
もう言葉になりません。
この後はお仕事なので、本日はここまで。
早起きしての2時間、いい時間でした。
6.居酒屋新幹線
仕事が伏見で終了したので、月桂冠のお店でお酒で、芸術的な猪口・徳利セットを入手したので、帰りは居酒屋新幹線。
次に三条大橋に立つ時は、中山道復路。
歩きたい街道の予定が向こう2年間は決めていますので、3年後以降の予定です。