奥州道中 復路4 氏家宿→宇都宮宿〔完〕
街道の復路歩きは温故知新。
2年前の真冬の景色と比べたり、立ち寄れなかった場所に寄り道しながら、焦らず急がず、のんびり歩むみちのくからの一人旅。
2023.12.10
1.スタート地点まで
街道歩きのバイブル、ちゃんと歩けるシリーズ。街道をちゃんと歩いている人の半分が持っていると思われます。
昨日は著者の八木牧夫さんとの恒例となった忘年会。
忘年会といっても飲んでいるだけではなく、歩いた街道の報告会も、しっかりとやります。
本日は、秋に甲州道中を歩き終えた二人と、西国街道を歩き終えた私がプレゼンテーション。
三人ともテーマを定めてストーリー立てた凝った内容なので、自分で言うのも何ですが、クオリティが高くとても楽しかったです。
詳しくは、次の記事でレポートします。
いつもは夜明け前に家を出るのですが、本日の歩行予測距離は20~25km程度なので、自宅で朝食を食べてからの、ゆっくりのスタート。
陽が部屋にさしてきて、うさぎが日向ぼっこしてます。
さいたま新都心駅から宇都宮線で、のんびり向かいます。
上の画像の右から二つ目のビル、前職で7年間通勤したオフィスが入ってました。外見は無機質なのですが、とても快適で、30年以上様々なオフィスビルで勤務しましたが、その中で圧倒的ナンバーワンです。
氏家駅前桜のポスト。
氏家町と喜連川町が合併して、名称がさくら市になったからでしょう。
かえるの塩焼・お茶漬け・あゆ、豊富なラインナップですね。
2.氏家宿
ガラ炊き餃子。
豚骨と鶏ガラでスープを作りそのスープで餃子を炊いたもの。水餃子の様な感じですね、食べてみたいです。
水戸に向かう道との追分。
街道を歩いていて追分を見ると、この道はどこに行くのだろうと、その先の風景や終点を想像したりします。
左に別れる道は水戸まで続き、陸前浜街道に合流。水戸から南下すると江戸、北上すると福島県浜通りを経て仙台。
江戸から水戸までは歩いたので、その続きを、年明けの2~3月に歩くか悩んでいる最中。寒そうですが雪は降らなそう、行くのか行かないのか、乞うご期待。
お伊勢の森。
かつては伊勢神宮の内宮・外宮を勧請したものが祀られていたそうです。
3.勝山城
往路の時に立ち寄れなかった勝山城跡。
敷地内にある、さくら市ミュージアム荒井寛方記念館では、運良く江戸時代の喜連川宿に関する企画展をやってました。
勝山城跡。
鬼怒川の流れが作り上げた断崖を利用して築かれた城。建物などは復元されていません。
将軍地蔵・別名そうめん地蔵。
この地から日光山に修行に行ったお坊さんが、意地悪な山伏にそうめんをたくさん食べさせられ気絶。
後に別の坊さんが、日光中のそうめんを食べ尽くして山伏が降参。修行に行った坊さんが、将軍地蔵の姿になってこの地に戻ってきたという伝説。
日光で行われている、強飯式という大盛の白米を食べる儀式の、由来となっている伝説でもあります。
高尾神社。
高尾神は、天候を支配する神様、雨で鬼怒川が氾濫しない事を祈ったのでしょうね。
高尾神社の一の鳥居。
袖柱がついた両部鳥居という種類の鳥居で、なかなかお目にかかる事が出来ません。
日本で一番大きい両部鳥居は、宮島の厳島神社、海の上にある赤い大鳥居です。
船尾神社という名につられて、街道から少し寄り道。
黄色い鳥居、これは珍しい、初めて見ました。
すぐ近くには、かつて鬼怒川の阿久津河岸があり、多くの物資がこの地から船に積まれ、江戸に運ばれてました。
いい神社でした。
街道から少し外れて寄り道して良かったです。これは街道の神様からのご褒美ですね。
4.鬼怒川
シルビアシジミ?
鬼怒川が近いので、貝かと思いこんでいたらなんと蝶、形がシジミに似ているシジミチョウの仲間でした。
阿久津大橋。
専用歩道がなく、歩行者も運転者も恐怖でしかありません。
鬼怒川の渡し跡。
街道歩きでテンションが上がるスポットのひとつが渡し跡。河川敷を眺めながら、往時の風景を想像するのが好きです。
自然の力に逆らえず、川の流れを見つめている人々の姿が、見えるような気がします。
利根川合流地点の茨城県守谷市まで87kmの表示がありました。
江戸時代の前まで、鬼怒川は現在の利根川のルート、茨城県と千葉県の境を経て銚子から太平洋にそそいでました。
その頃の利根川は、東京湾にそそいでいたのです。
では今の流れに、どの様にしてなったのか。それは徳川幕府の命で、江戸に幾度となく洪水をもたらした利根川の流れを、当時の鬼怒川に水路で繋いで変えてしまう、"利根川東遷"という大事業が行われたからです。
詳しくは、日光道中 復路5 第7章でレポートしてます↓
5.白沢宿
白澤の一里塚。
畑の真ん中にポツンと立つ一里塚跡、遠くには日光連山が眺められる、北関東独特の風景がたまらなく好きです。
最近、コンクリートで出来た、欄干が低くて狭くて無機質な橋を見ると、不思議と心が癒されます。
マニアがいてもおかしくない気がします、きっとグッと来る呼び名があるのでしょうね。
白沢宿。
街道が区画整理で広げられたにも関わらず、宿場町らしさがしっかりと残っている、奥州道中のハイライト的な宿場町。
区画整理で街道の道幅を広げてしまうと、侘び寂びのない寂しい街道の風景になるのですが、白沢宿はしっかりと侘び寂びが残ってます。
河岸段丘の上に神社が建立されている様で、階段昇るのは大変でしたが、とても良い眺めでした。
白沢宿。
いい宿場町でした。
6.白沢街道
江戸時代の公衆便所跡。
裏手に回ると道具が置いてあり、まだ現役ではないかと思うくらいの、生々しい光景でした。
白沢地蔵堂。
前回歩いた時の10円おみくじのインパクトが大きくて、記憶に鮮明に残っていました。おみくじは本日も健在、よかったです。
稚ケ坂(ちがさか)。
この付近はちょっとした杉並木が残っていて、街道の雰囲気が出ています。
宇都宮市内では、奥州道中のルートを白沢街道と呼んでいます。
なかなかお目にかかれないスケールで、大規模開発をしてます。
見た感じで東京ドーム8個分はありそう、前回歩いた時の画像と比べてみると、その頃は牧草の畑で、牧草ロールがゴロゴロしてました↓
ランチ占い。
街道を歩いていると、お腹空いていないけど目の前にお店がある。この店に入らず次のお店を目指すと、ランチタイムが終わり、食べられなくなるかもしれない。
といった事象が度々起きます。
どう考えても目の前の店に入れば良いのに、次の店を目指してしまう事が、私にはよくあります。
こういう人が山で遭難するのでしょうね。
今日は12:30頃に氏家で一軒美味しそうな店に遭遇。お客さんが一組待ちで一瞬並びかけたのですが、まぁなんとかなるだろうと、歩き始めてしまいました。
地図で見る限り次の飲食店までの距離は8km弱、店の閉店は14:30、暖簾を早く上げる店だとアウト、遅く上げる店だとセーフ。
後者に賭けて14:20に滑り込めました!
"街道歩き鬼十則"という掟を、街道歩きの仲間と作りました。その中の第五則に、"店に出逢えば入るべし"という掟があり、今回は掟破りをしてしまいました。鬼十則の詳しくは↓
7.海道町
海道町。
奥州道中の以前の呼び方の、奥州海道に由来していると思われます。
この付近は道が単調で、歩きながら寝てしまいそうになります。
8.黄ぶな
黄ぶな。
宇都宮地域の神話で、天然痘を患った人が、田川で釣れた黄色い鮒を食べたところ治ったという話。
今では、張子の黄ぶなが宇都宮の郷土玩具となり、様々な形で現代に引き継がれています。私の自宅には、黄ぶなの栓抜きがありました↓
宇都宮は大谷石の産地だけあって、普通の大谷石とは違った光沢を放つ大谷石風の石を使った、豪華な蔵や建物が散見されます。
八坂神社。
宇都宮城の守り神、敷地が広いわけではありませんが、活気が感じられます。
氏子さんと思われる人が来ていて、打合せが終わったのか、神職の方と楽しそうに話をしてます。
1990年代に宇都宮に住んでいた頃、毎年夏祭りの神輿を担いでました。私は馬場通り商店街の、通常バンバの太鼓神輿。通常の神輿では担ぎ棒が四本なのですが、六本もあり上には大きな太鼓が乗っているだけ。ド〜ンド〜ンと太鼓を叩きながら練り歩きます。今も引き継がれているか分かりませんが、当時は女人禁制でした。
その祭りの時、いま訪れている八坂神社の神輿が物凄く活気があった記憶があります。氏子さんや八坂神社を愛する人がたくさんいるのでしょうね。
旧篠原家住宅。
前回歩いた時は開館前でしたので、本日は見学を楽しみにしてました。
近づくと何やら立看板が?
假屋崎省吾展覧会の最終日。
本人が中の売店前で、一生懸命サインをしてました。中は大賑わい、今度は静かな時にゆっくり見たいです。
黄ぶなのバス停留所。
良いですね〜
9.宇都宮宿
日が暮れて、良い雰囲気になってきました。街道の風景が昼から夜の姿にお化粧直しをするマジックアワー。
この時間の街道歩きも好きです。
オリオン通り商店街。
街コンと呼ばれる、商店街など地域全体で行う男女の出会いの場作りのイベント。2004年に開催した宇都宮が発祥の地と言われてます。
その頃からか、商店街の路上に椅子テーブルを並べて飲める様に規制が緩和されたと地元の人が言ってました。良い風景ですね!
上の画像中央の近江屋のビル、今は違うオフィスに引っ越してますが、ここにあった旅行会社の宇都宮支店で、新入社員から12年間、営業のイロハを叩き込まれました。
凄まじく働き・凄まじく遊んで、サラリーマン青春時代でした。
奥州道中、往復歩き終了。
復路の街道歩きは、地図はポイントだけ見れば概ね歩け、同じ時間をかけて歩いているにも関わらず、往路に楽しめなかったポイントはほぼ立ち寄れました。
帰りの車中は、宇都宮酒造四季桜の黄ぶなラベルで乾杯。
これで五街道は、東海道・日光道中・奥州道中の往復を歩きました。
甲州道中→中山道の順で、いつか復路を歩くことになると思います。
今回の記録は、復路なので細かい記録を割愛したり寄り道をしています。正確なルートは往路の記録を参考にしてください↓
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