長崎街道8 嬉野宿→大村宿
2023年9月、西国街道を歩き終えた夜の下関で関門海峡を眺めていると、長崎街道の起点 門司の灯りが間近に見えます。なんだ、近いじゃないか長崎街道!
憧れの長崎街道、鎖国の頃に異国文化を運び、シュガーロードもと呼ばれた、文化交易の大動脈。北九州から長崎を目指します。
2024.01.07
1.嬉野宿
朝の街道。
街道の空気が一日の中で一番新鮮な、この時間帯が一番好きです。
前日に人・動物・乗物が動き回り、舞い上がっていた塵や埃が、夜露と共に一掃され、凛とした空気が漂っています。
そんな朝の街道に、一歩を踏み出し歩き始めた時の感覚を温泉に例えると、一番風呂に足を踏み入れて、肩まで浸かると、底から湯の花がふわりと舞い上がる感じです。
まさに、"一番風呂"ならぬ"一番街道"ですね。
湯宿広場。
嬉野温泉は佐賀藩時代から藩営浴場として賑わっており、往時の建物の形を模して、湯宿広場は作られています。
湯宿広場にある、円卓の様な形をした足湯、優雅すぎて入ったら出られなくなりそうです。
なまず様。
豊玉姫神社の拝殿よりも遥かに小さいのですが、存在感があります。
嬉野地区では古来より、なまず様は信仰の対象で、粗末に扱ったり危害を加えると、祟りがあるので、食べることも許されなかったそうです。
この先は峠を越えるので、ここで朝食を食べないと悲惨な目にあうので、寒空の元熱々のうどんをいただきます。
長崎街道では、うどん文化が盛んな福岡県をスタートした影響で、毎朝うどんを食べ続けて来ました。佐賀県内に入り、徐々にうどん屋さんが減って来て、昨日からはコンビニでご当地うどんを調達。
この後峠を越えて長崎県に入っても、うどんの朝食が食べられるかどうか、少し期待しながら進みます。
ハンバーグの店が、佐賀県に多い様に感じます。佐賀牛を使ったご当地ハンバーグなのかも知れません。
不動山。
嬉野茶発祥の地といわれており、山の斜面には多くの茶畑が見えます。
この付近には、かつて多くのキリシタンの方々が住んでおり、弾圧を受けた悲しい歴史の舞台でもあります。
鳥居の上に投げられた石が積まれている風景。私が住んでいる埼玉県では、あまり目にしません。
西国街道で山口県に入った辺りから、見かけるようになりました。
小石がこんな感じで乗ってます↓
時には、持ち上げて置いたとしか思えない石があったりもします↓
2.俵坂峠
ぎゅう丸。
またもやハンバーグの店が、こちらがぎゅう丸の創業店で、佐賀・長崎・福岡県内に7店舗展開してます。
むいちもん。
気になる店名の飲食店の看板の下に
↖︎長崎街道
の表示があり。
お店の向かい側を見ると↓
↖︎この階段が長崎街道の様です。
昇っていくと民家の庭先に出てしまい焦りますが、よく見るとその手前に茶畑の畦道があり、それが長崎街道の様です。
"石垣棚茶畑"の風景。
石橋棚茶畑とは、石垣でできた棚田にある茶畑のことで、私が勝手に命名しました。
街道で茶畑といえば東海道。
中でも静岡県掛川市の山間部では、見応えのある茶畑が楽しめます↓
今歩いている付近の茶畑より、なだらかな丘陵などで栽培されているためか、眺めがダイナミックです。
峠道の番所跡。
石垣などが生々しく無造作に残っており、おそらく往時の番所の建物の基礎部分です。
この場所でも、キリシタンの取り締まりがなされていたそうです。
3.棚田
西九州新幹線。
武雄温泉〜長崎間の運行で、九州新幹線とは繋がっておらずぶつ切りで開業。
営業キロは69.6kmで所用25分、歩いたら2日かかります。1時間に1本の運行で、6両編成と短い為、なかなか撮影出来ません。
浮立(ふりゅう)。
聞いたことがない言葉、調べてみると長崎・佐賀県の一部の地域に伝わる、鬼の面などの衣装を纏って踊る民俗芸能。雨乞いや収穫祭などで踊られています。
奇祭とまではいきませんが、かなり個性的な祭の印象です。
4.彼杵宿
くじら。
先程のバス停留所はくじらのイラスト、そして今度は鯨料理店。そういえば一昨日嬉野温泉の居酒屋さんで、鯨の刺身がメニューにあったので食べてました。
彼杵宿は鯨の集散地として、江戸から大正期まで300年以上もの間栄えており、今でも鯨を食べる習慣が残っているそうです。
川原千部塔。
大村藩は日本初のキリシタン大名。キリスト教から仏教に改宗が進められた時に、仏教徒の証として置かれたのが川原千部塔。
その頃、郡崩れ(こおりくずれ)と呼ばれる大勢の隠れキリシタンが検挙された悲しい事件があったそうです。
今日は朝から低い雲が立ち込めて、気温が全く上がらず7℃くらい。彼杵神社の境内でドラム缶で焚き火をしていたので、暫く小休止。心身ともに温まりました。
ちなみに、私が一番街道を歩きやすい気温は10℃の薄曇り無風の日、汗をかかないので喉も乾きません。
本町万部塔。
キリスト追放時に建立された、仏教従の証である15基の宝塔のひとつ。
兵五郎どん。
彼は全国行脚の修行をする中、足腰を痛め彼杵に定住する事になり、地域の人々に修行して学んだ事を教えてました。
晩年は「足腰の痛みを治す神様になる」と言って亡くなったそうです。
街道を歩く身としては、手を合わせない訳にはいきまさん。
大浦湾が視界いっぱいに広がってきました。小倉宿の手前でほんの少し東シナ海を見て以来の海。
海はいいですね、海無し県の埼玉県に住んでいますので、みただけでテンションが上がります。
5.大村湾
謎の壺。
長崎街道を歩いていて、ずっと目にしているものの、何に使われたが想像がつかない茶色の壺。
なんなんでしょうね…
千綿(ちわた)駅。
ここまで海岸線に近い駅は、なかなかお目にかかれません。車で撮影に来ている人がいましたので、ちょっとした観光地なのでしょう。
街道歩きで、高い場所から海を望める風景には、なかなかお目にかかれません。
今歩いている付近がその高い場所。
海が一番綺麗に見える高さの街道歩きは別格。
その中でも海が一番綺麗に見えるのは、太陽の光が強くなる前の遅めの午前中、これぞ紺碧色!と叫びたくなる様な、海の色が楽しめる時間帯です。
紺碧色の海に加えて、桜と富士山が望めた、忘れられない風景がこちら↓
景色に圧倒され立ち尽くした事は何度かありますが、生きてきた中で一番圧倒されました。
その時の記録は↓
6.松原宿
途中でお昼に行こうとした店が臨時休業。
心が折れかけ、今日は昼食にありつけないと思っていたら、海辺のラーメン屋さんの暖簾がなびいてました。
長崎楼という屋号なので、長崎ちゃんぽんを期待したら、ラーメン専門店でしたが、海を眺めながらのラーメンは別格でした。
佐屋の御前。
住宅の中の岬の先端に、小さな杜があります。門の中に入って良いか躊躇いましたが、案内看板があるので入ってみました。
小さな祠がポツンとあります。
中を覗くと見事な男根が!
縁結びと子宝の神様でした。
かつて鹿の島は、引き潮時に陸続きになる島でしたが、今は埋め立てた道でつながれています。
鹿島選亭の石碑。
かつてはこの島に鹿島選亭と呼ばれる料亭があり、その名残りとして石碑や建物の基礎などがまだ残っていました。
階段を昇ると、広場になっており、戦没者の慰霊塔と弁財天が建立されています。
あいさつします わたしから。
この標語はとても大切で、街道歩き仲間で作成した家訓”街道歩き鬼則”の最初の定めが、
「挨拶先にすべし」
その内容が看板に書かれていました。
その鬼十則はこちら↓
鬼十則の細かい内容に興味がある方は↓
明治30~40年の地図。
よくみると、右端に鉄道の駅があります。
酒屋5件・宿3件・魚屋6件、酒の需要が高かった事、宿場の役割りが終わった事と、魚が主食であった事が、地図から読み取ることが出来ます。
松原小学校に立派な土俵があります。
先ほども相撲取りの墓が並んでいましたので、相撲が盛んな地域なのかもしれません。
女児(へこ)はずしおこし。
中国の禅僧から宿泊の礼として伝授され、300年以上も続く長崎銘菓。
シュガーロードと呼ばれる、長崎街道らしい銘菓です
7. 昊天宮
スコーコーヒーパーク。
日本初の観光コーヒー園、園内の温室でコーヒーの木を育てています。スコーの名は、この付近の地名"寿古"が由来、入ってみたくなるオーラが出ている店です。
シーボルトの著書"日本"に、この付近の様子が、挿絵で描かれています。
飛び石の上を慎重に渡っている馬の姿が、往時の雰囲気を見事に表現しています。
大村車両基地駅。
こんな味気ない駅名は初めてみました。どの地域の地名使うかで揉めたので、こうなっちゃったのかと想像したら、600件の公募から決めたそうです。
大村市は長崎県内でも貴重な、人口増加地域。移住者が多いと、古い地名への拘りが薄いのかもしれませんね。
キリシタンの史跡が多くあります。
長崎街道を歩き始めて、筑豊の炭鉱文化に次いで、キリシタン文化も学んでみたくなりました。
昊天宮(こうてんぐう)。
振袖姿の新成人から、若さをこっそり頂戴しました。
ちょうど一年前の今頃は、東海道の脇往還・姫街道を歩いてました。
その時は豊川稲荷を訪れた際に、振袖姿の新成人から、若さをこっそり頂戴してました。
豊川稲荷には、千体に及ぶ狐が祀られている"霊狐塚"、ずらりと参道に幟が並ぶ"千本幟"など、見応え十分でした。
豊川稲荷と姫街道に興味がある方は↓
カステラ 長崎異人館。
カステラの専門店があるのも、長崎ならではの風景ですね。
8.大村宿
大相撲大村場所。
今日は、相撲取りの墓から始まり、小学校や神社の土俵、そして大相撲冬巡業のポスター、やはりこの地は相撲が盛んですね。
獄門所跡。
住宅地の中にあったキリシタンの獄門所跡。
一瞬撮影を躊躇いましたが、目を背けてはいけないので撮影しました。
地図を見ると、大村市内には多くのキリシタン史跡があります。次に来た時はゆっくり巡ります。
観音寺跡。
説明を読むと、キリシタンの焼き討ちにあい焼失とあります。
キリシタン弾圧の史跡と同時に、国内でもこの様な宗教戦争があったとは、驚きました。
いい店でした!
締めのご飯についてきた、白菜の漬物が絶品。
また来たくなる店がひとつ増えました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?