陸前浜街道4 湯本宿→広野宿
2023年に福島浜通りを訪れた際に聞いた衝撃の一言。
「昨年、11年ぶりにに歩行者が道を歩けるようになった」
11年間も人が歩けなかった道があったなんて、深く考えさせられ決めました。
「よし、年明けは浜通りを歩き、歩く事で街道に人流を復活させよう!」
ということで、2年前に江戸から水戸まで歩いていたので、その続き"陸前浜街道"を宮城県岩沼宿まで歩く事にしました。
2024.02.26
1.湯本宿
本日の朝食は、昨日夕飯をご馳走になった師匠からの差し入れ、柏屋の薄皮まんじゅう。 日本三大まんじゅうの一つに数えられ、江戸時代から170余年続くベストセラーです。
日本三大〇〇というと、一位はほぼ共通で、二位がまぁまぁ共通、三位は言ったもん勝ちでバラバラ、ですが、日本三大まんじゅうはほぼ一致しており、次の三つになります。
岡山の大手まんじゅうの本店は、西国街道を歩いた際に店の前を通っており、その時の印象は、とにかく人が頻繁に出入りしており、活気に満ち溢れていました。
岡山の大手まんじゅう本店前を歩いた時の記録は↓
歩き始める前に、温泉神社に参拝します。
境内のいたるところから湧いている湯が面白くて、参拝した後の拝殿の撮影を忘れてしまいました。
ではこれより、陸前浜街道に入ります。
さはこの湯。
1000年以上の歴史があり、建物の中は江戸時代の温泉の雰囲気を、大切に受け継いでいるそうです。
松柏館。
江戸末期に本陣を務めた300年以上の歴史がある宿。
次回来る時は宿泊してみたいです。
常磐炭鉱跡。
上の画像の付近など、湯本の街周辺には炭鉱跡が点在しています。
近くに石炭化石館という施設があるのですが、残念ながら休業中。次回来た時に立ち寄りたい場所の最有力候補です。
2.内郷
国宝白水阿弥陀堂。
街道から2km西に逸れる程度なので、行けない距離ではありませんが、本日は35km位歩く予定なのと、現在の時刻は7時、国宝レベルなので中に入れない可能性もあるので、次回の楽しみに残しておきましょう。
居抜き物件定線観測。
陸前浜街道を歩き始めた、水戸から日立の間が国道6号を歩く事が多く、その際に居抜き物件があまりにも多かったので、今回の街道歩きでは居抜き物件で営業している店舗などを定線観測をしながら撮影しています。
陸前浜街道を水戸から歩き始めて3日間、上の画像の様な街道独特の奥に長い区割りの、うなぎの寝床状の建物に出会えておりませんでした。
歩き始めて4日目、磐城平宿に近付きようやくうなぎの寝床の建物に出会えました。
家族葬を執り行う施設が近年街道沿いに増えています。
上の画像は居抜き物件が家族葬の施設になっていました。
最近街道沿いで、開店の勢いがある業種ベスト3は、肌感覚ですが、無人冷凍食品店舗・コインランドリー・家族葬会場の順で多く感じます。
3.磐城平宿
芸術的な信号。
多くの道を歩いて来ましたが、こんなカッコいい信号機、みたことがありません。東京証券取引所みたいですね。
交差点の角に建つ建築物が好きです。
角地なので有力な商店などが建設にお金をかけ、かつ角地は道路の形状にあわせて、直角ではなく丸みを帯びた造りになるので、上の画像の様に絵になる建築物をよく見かけます。
角の建物が日本で一番楽しめる街道といえば、東海道の銀座・日本橋界隈、歩いた際に撮影した角の建築物を4つ紹介します。
銀座・日本橋界隈を歩いた時の記録はこちら↓
車道と離れた場所にある歩行者専用の橋は、不思議とテンションが上がります。きっと江戸時代の旅人と同じ気持ちになれるからかもしれません。
4.神谷
発酵食品が最近人気ですね。
神楽殿。
珍しい門の様な造りの神楽殿。中央に通路があり、右が舞殿、左が観覧席、江戸時代の造りの様です。
謎のオブジェ。
上の画像のショーウインドウ風のオブジェ?たばこ屋さんの窓口にも見えます。これは何に使われていたのか、歩いている間に謎が解けるかもしれません。
5.四倉宿
街道に松が生えているだけでテンションが高まります。
往時は風避けよけや日避けの役割りを担い、さぞかし重宝されたと思われます。
昼食会場となった、きくのや。
ビールを注文すると、津波で冷蔵庫が流された後、暫く瓶ビールが流通しなくなってから提供しなくなったそうです。
ご主人とお話をしていると、江戸時代から続いている茶屋らしく、テレビ東京系で放送している”絶メシロード”という番組の舞台になって、暫くはお客さんが多くて大変だったと、嬉しそうに話していました。
街道歩きで絶メシロードの店に入ったのは、気付いているだけで1回しかあります。本当はもっとあるかもしれませんが・・・・
そこは中山道の奈良井宿の東にあるドライブインSS。
信州の知人と4人で歩いており、本当はもう少し先で蕎麦の予定でしたが、この店を見た瞬間満場一致で入る事に。
このメニューの多さには、全員が圧倒されました。
この後歩いた平沢宿の街並みは、あまり知られてはいませんが、忘れられない街道の風景のひとつとして、今でも新鮮に記憶に残っています。
その時の詳しい記録はこちら↓
坂を昇り、峠を越え、次の町に入ります。
6.久之浜宿
テトラポットが波打ち際まで打ち上げられています。
どうやってここまで移動してくるのか、自然の力には逆らえませんね。
鬼渡神社。
東日本大震災の津波の影響を受けなかった奇跡の神社。
7.夕筋踏切
工事者専門宿。
ラブホテルを、工事者専用に営業しています。
発電所関連の従事者がかなり増えていたと聞いていましたが、こんな所にもその爪痕を垣間見ることが出来ます。
この付近の常磐線は単線。
一番本数が少ないエリアに入ってきました。
上の画像のラブホテルは、全室月極と看板に書かれています。
こちらも震災後にターゲットを切り換えたのでしょう。
ラブホテルといえば、甲州道中を西に歩き、山梨県北杜市白州で、真っ暗な中辿り着いたホテル、チェックイン時は暗くて気が付きませんでしたが、部屋に入り室内をよくよく見たら、手造りDIYでラブホテルを改造したホテルで、なんともいえない不思議な空間でした。
甲州道中を歩いた時の記録はこちら↓
有筋踏切。
自動車が通れる幅があるのですが、バリケードが貼ってあり人しか通れなくなっている踏切、この先自動車が通れなくなっているのでしょう。
太平洋に向かって撮影した風景が、波浪警報で波が白かった影響もあるのですが美しすぎました↓
8.広野宿
作業関係者が多い為か、朝食開始時間が街道歩きにはありがたい04:30。連泊の案内も16泊以上の場合など、スケールが違います。
宿泊施設のバイキング。
近くにサッカーの合宿施設Jビレッジがあるためか、作業関係者と一緒に、サッカー関係者も宿泊しており、指導方法や戦術について熱く語っていました。