美濃路3 稲葉宿→起宿
2024年の夏は、中部地方を縦横無尽に歩く予定。最初の行軍は東海道宮宿と中山道垂井宿を結ぶ美濃路。どちらから歩くか悩みましたが、大好きな中山道を目指し宮宿から歩く事にしました。
2024.06.16
1.稲葉宿
早朝の街道歩きは何故気持ち良いのか?
夜は自動車や人の行き来が減り、塵が舞わなくなり、明け方に夜露がゆっくりとおりてきて、空気が綺麗になる。
誰も足を踏み入れていない、雪の上を歩く様な感覚です。
明け方に激しく雨が降り、街道が程よく濡れてます。
晴れた景色も良いですが、雨上がりの景色も、しっとりとして良いものですね。
護符(ごふ)。
願い事・神仏名・像などがしるしてある紙。身につけたり、飲みこんだり、家の内外にはり付けたりします。
2.尾張小牧ナンバー
埼玉県に住んでいますが、時々目にするインパクト大の漢字四文字の尾張小牧ナンバー。いままさにその地域を歩いており、尾張小牧ナンバーだらけです。
何故、視認性を求めるナンバープレートに漢字四文字なのか?
小牧でいいんじゃないと思って経緯を調べてみると、地域のプライドが浮き彫りになりました。
1979年、小牧市に自動車検査登録事務所が新設され、小牧ナンバーを新設しようとしたら、隣の一宮市が猛反対、ならば尾張ナンバーではとなったが落ち着かず、折衷案で尾張小牧になったそうです。
現在漢字四文字のナンバープレートはもう一つあり、お隣三重県の伊勢志摩ナンバー。
次に歩く伊勢参宮道で出会えるのが楽しみです。
中山道を歩いた際に、美濃國でよく見かけた、格子状の模様の瓦意匠が施された家が現れました。
中山道が近づいてきている事を、建物から感じる事ができます。
鉄塔の下ってなかなか入れないのですが、丁度入れたので見上げて撮影してみました。このアングルが結構好きです。
上記のタイプの公衆電話は、滅多にお目にかかれなくなってきました。
以前長女が、公衆電話の使い方で、受話器を取る前と後、お金を入れるタイミングがわからないと言ってましたが、そうなりますよね。
半鐘(はんしょう)。
江戸時代から続く防災用具、火災・洪水発生時など、事象により鳴らす回数を定めて使われてきました。
時々街道沿いで目にします。
3.最高のモーニング
本日の朝食会場、明楽時運。
今までの街道歩きの際に立ち寄った数々の喫茶店、どこも美味しかったのですが、今朝の店は味・雰囲気共に一番良かったです。
4.荻原宿
風情がある"はんこや"と''だんごや"、仲良く並んでいました。
5.のこぎり屋根
市川房枝さんは、女子に選挙権がなかった頃に、参政権運動で活躍された方。とても勇気がいる活動だったと思われます。
冨田一里塚。
一里塚は、道の両側に作られてました。時は流れ、現在も両方の塚が残っているケースは稀ですが、ここ富田一里塚には東塚と西塚、両方が残っています。
両塚が残る一里塚で最も印象的だったのが、甲州道中信濃國、神戸の一里塚。ゆるやかな坂道を歩いていると、突然現れます。
西塚のケヤキは樹齢300年を超えており、その姿に圧倒されます。
甲州道中を歩いた時の記録はこちら↓
のこぎり屋根。
一宮市はかつて毛織物産地として栄え、半世紀前には8,000棟超の、のこぎり屋根の工場がありました。
現在でも約2,000棟近くが残っているそうです。
6.象の記録
中庭を望む部屋に大きな象が置いてあります。
ぼ〜っと座って庭を眺めていたら、1人の女性が現れて象の説明を始めます。
彼女は名古屋を拠点に活動するアーティストで、江戸時代に美濃路を歩いた象をテーマとした絵本や作品を制作。
尾西歴史民族資料館で展覧会「おぞうさまがやってきた」を開催している最中でした。
街道歩きが好きな人はご存知かもしれませんが、ベトナムから献上された象が長崎から江戸まで移動していたのです。
まさか、街道を歩いた象をテーマにアート展を開くとは、考えてもいませんでしたので、感動して話を聞いてました。
街道歩きで象が歩いた事を初めて知ったのは中山道の武佐宿。
歩くだけでも大変なのに、象を連れて行くなんて信じられませんでした。
中山道を歩いた時の記録はこちら↓
次に象の記録を目にしたのは、浜名湖の北側を通る東海道の脇往還姫街道。
引佐峠の途中に、象が昇るのに苦労した象鳴き坂がありました。
姫街道を歩いた時の記録はこちら↓
象を一番推している街道は長崎街道。街道案内看板のイラストが象でした。
小倉城の中の展示では、展示物のひとつに、ゾウも歩いた長崎街道というコーナーがありました。
長崎街道を歩いた時の記録はこちら↓
尾西歴史民族資料館内に、美濃路のPRポスターが貼ってありました。
「旅人になれる道がある」
いいキャッチコピーですね!
資料館の美濃路の展示がわかりやすくて、素晴らしかったです↓
起川(木曽川)に船橋が架けられたのは、将軍と朝鮮通信使と吉宗の母が通過した際のみで、274曹の船を繋ぎ、 その長さは864mもあったそうです。
見応え十分、今日は時間が無いのに1時間も滞在してました。
7.起宿
船橋跡、本物を見てみたくなります。
渡船場の目の前にある神社、往時から多くの旅人が手を合わせたのでしょう。その頃の活気が、どこか残されている様な気がします。
尾張國から美濃國に入ります。