伊勢参宮道4 小俣宿→内宮宇治橋〔完〕
2024.07.02
1.小俣宿
お世話になった倉野屋さん。
夕飯が想像の遥か上をいく味で大満足。
予約時に移動手段を聞かれ、歩いて行く旨を伝えていたら、なんと部屋に足裏シートの差し入れが!
今朝は早い出発。
なんと玄関には冷たい飲み物とタオルの差し入れが用意されてました。
本当にありがとうございました!
街道歩きでこの様なお心遣いを頂いたのは二度目。前回は3年前の2019年に中山道を歩いた時の事でした。
松井田宿から追分宿まで約30kmの計画。計画性の無い私は、碓氷峠の標高が900mある事を失念してました。
その事に気が付いたのが昼頃に碓氷峠の案内看板を見た瞬間、そこから速足で昇ってしまい、膝の靭帯を痛めてしまいます。
何とか歯を食いしばり足を引きずりながら、宿泊先の脇本陣跡の宿、油屋に到着。
何度も並走する信濃鉄道の力を借りようと、脚が駅に向かいかけては、心が「負けていいのか?」と押し問答を繰り返し結果は脚の勝利。
頑張った事で更に痛みが悪化します。
チェックイン後に、一歩い一歩階段を這う様に昇っていた姿を、フロントの方が見ていた様で、翌朝部屋の前にこの様な箱とメッセージが置いてありました。
わざわざ買って来てくださったのだと思われます。
翌日も痛みがひどかったのですが、力を頂き、雨の中歯を食いしばりながら、行けるところまで歩きました。
中山道を歩いた時の記録はこちら↓
カーブミラーに共敬の表示が。
譲り合いましょうと、訴えているのでしょうね。
ほめちぎる教習所。
テレビで見たことあります。
今風ですね。
2.宮川
宮川。
この川を渡るといよいよ神宮、手前に外宮その先に内宮があります。
伊勢神宮の正式名称は「神宮」。
内宮(皇大神宮)と外宮(豊受大神宮)と周辺の大小様々な125社から成る神社です。
桜の渡し跡。
街道沿いの海に近い川の渡しは、潮の満ち引きの影響で、概ね三つの航路で旅人を運んでました。
宮川の渡船は上流から、上の渡し・下の渡し・磯の渡しと呼ばれ、中でも小俣宿発着の航路・下の渡しは、堤防沿いに美しく咲く桜にちなんで、桜の渡しと呼ばれ、多くの旅人に親しまれてきました。
往時の錦絵を見ると、楽しそうな様子が窺えます。
宮川桜の渡しの錦絵を見ていて、違和感を感じました。
今まで街道を歩いて来て目にした殆どの渡しの錦絵からは、楽しさよりも大変そうな雰囲気しか感じられなかったからです。
代表的な大変そうな川渡りの錦絵を二つ紹介します。
▽東海道 天竜川 池田渡
暴れ川とも呼ばれる天竜川。錦絵の旅人たちは皆、景色ではなく下を見ている様に感じられます。
歩いた時は冬の夕暮れ時、西の空があっという間に茜色に染まり、見付宿に着いた時は空は真っ暗。お陰様で現役の常夜灯を見る事が出来ました。
天竜川を渡った時の記録はこちら↓
▽東海道 大井川 大井川渡
大井川は、江戸城防衛の為に、橋を架ける事が禁じられていました。水深が浅い事から船も出せず、川越人足と呼ばれる人力の専門集団を利用して大井川を越える手段しか許されておりませんでした。
島田宿の大井川川越遺跡。
人足が待機する番宿などの建物が、わかりやすく精巧に再現されています。
命懸けで人や物を運んでいた蝋人形がよく出来ており、往時の壮絶さを感じました。
大井川を渡った時の記録はこちら↓
宮川を越えました。
この錦絵は何度見てもいいですね。
往時の喧騒が聴こえてきそうです。
伊勢参宮道を歩いていると、多くの個人宅の敷地内にポストが置いてありました。
上の画像は敷地内の域を超えて、家の壁に据付られていました。
今回の旅の共。
紹介が遅れましたが、ちゃんと歩けるシリーズを羅針盤に歩いてます。
とても便利で、五街道をちゃんと歩いている人の半数近くが、この本を持っている気がします。
3.筋向橋
筋向橋。
ここで、東西から来る道など三つの街道が合流し、全ての旅人が神宮に向けて整然と歩いたそうです。
お木曳行事。
二十年ごとに御宮を遷し変える式年遷宮。
その際に使う木曽の山から運ばれてきた御用材を、宮川から外宮北御門まで、沿道の各町内の曳き車で運ぶ行事。
遷宮の七、八年前に執り行われ、まち全体が遷宮に向けて走り出すそうです。
4.外宮
神宮内の全ての案内看板の形・配置・一字一句に一切の無駄がありません。
芸術的です。
只今の時刻は6:46。
早い時間なのですが、不思議と来るのが遅かったと感じました。
5時から参拝できるので、次はもっと早く来ることにします。
正宮には、衣食住・産業の守護神、豊受大御神が祀られています。
古殿地(こでんち)。
前の遷宮まで社殿があった場所で、次の遷宮で社殿が造営される敷地。
中央奥に小さな覆屋があり、中には心御柱(しんのみはしら)とよばれる正宮中の床下の柱が納められています。
他には何もありませんが、神々しい空気が張り詰めていました。
亀石。
一枚岩の橋の形が亀に似ているのが名の由来。色がミドリガメっぽいです。
土宮にも古殿地があります。式年遷宮の時に移されるのですね。
風宮にも古殿地がありました。
街道を歩き1,000以上の神社を見てきましたが、古殿池は目にした事がありません。
多賀宮は石段を昇った先の山の上に。参拝して心清らかになった頃、雨上がりの曇り空が明るくなってきました。
外宮を2時間くらい参拝したつもりですが、1時間くらいしか経っていませんでした。終点の内宮に向かいます。
5.古市参宮参道
お稲荷さんの奉納鳥居と言えば、朱色と思いこんでいましたが、そうでない場合もあるのですね。
伊勢志摩ナンバー。
日本で二つしかない、漢字四文字のナンバープレート。書くのも面倒な画数の多い文字を、丁寧に作り込んだプレートです。
ちなみにもうひとつの漢字四文字ナンバーは、お隣愛知県の尾張小牧ナンバーです。先月歩いた美濃路で運輸局の管轄を歩いた際にたくさん目にしました。
美濃路は中山道と東海道を結ぶ60km位の脇往還ですが、歴史と様々な文化がぎっしり詰まった奥深い道、おすすめです。
美濃路を歩いた時の記録はこちら↓
説明看板だらけになっちゃいましたが、全て小田橋の前後にありました。
それだけ歴史のある道だという事ですね。
この付近は古市。
沿道の家々が、"古市参宮街道"と書かれた旗を掲げてます。
往時は物凄い数の、旅の目的地である内宮に向かう旅人たちと、自宅に向かう旅人たちが、整然とすれ違っていたのでしょうね。
その賑わいをタイムマシンで見に行きたいものです。
麻吉旅館。
元々は遊郭で、今も現役で営業しています。
江戸時代の五代遊郭のひとつが、伊勢の古市。その他の四カ所は、京の島原、江戸の吉原、大阪の新町、長崎の丸山でした。
参宮街道の説明看板に驚くべき事実が書かれてました。
抜け参りという習慣があり、それは手形なしで伊勢参りに行くこと。
柄杓を持っているとお伊勢参りと認められ、関所が通過できるだけでなく、飯や水が無料で手に入ったそうです。
猿田彦神社。
あまりにも立派なので、総本宮かと思いましたが違いました。
調べたところ総本宮は案外と近くにあり、鈴鹿市の山中にある椿大神社、行ってみたくなりますね。
6.参道商店街
参道商店街。
社寺の参道の賑やかな商店街は、全国各地にあります。
しかし、人口が10万人近くの市町村で、ここまで商店の一軒一軒の間口が広く、道幅も広く、長い距離にわたる参道商店街は、他にはないと思います。
7.内宮
右側通行。
先程参拝した外宮は左側通行でした。
この後立ち寄るせんぐう館で案内をされている方に聞いたところ、深い意味は無く、参拝時に人が交差しない利便性でこうなったそうです。
この先正宮は撮影禁止。
神聖な時を過ごしてきました。
御手洗場。
参拝前に手を清める場所。
先程来た時は、昨日から降り続けた雨の影響で増水しており、御手洗場の使用が禁じられてましたが、今は大丈夫の様なので、後付けでお清めしました。
伊勢参宮道はこれにて終了。
この後、津市内の江戸橋追分から東海道関宿まで20km弱を歩く予定でしたが、街道歩き仲間のボス内田さんから、
「"せんぐう館"に寄らないとは何事じゃ」
とご指導を受け、そりゃそうだよなと、のんびり観光をする事に。
伊勢うどん。
初めて食べました。全てが想定外で驚きの味、超太麺に甘しょっぱい汁がかけてあり、混ぜ麺の様に食べました。
これは癖になりますね。
8.せんぐう館
馬車。
歩くスイッチが切れたので、文明の力をフル活用して、時速4kmの世界で失われた時間を取り戻します。
街道歩きの仲間内では、交通機関を次の様に呼んでいます。
飛行機は例えようが無いですね。
どうでも良い話ですが、この呼び方とても気に入ってます。
せんぐう館に到着。
先を急がなくなったので、ゆっくりとまったり見学。残念ながら撮影禁止なのでお見せできませんが、圧巻だったのが,外宮正宮の原寸大模型。
近くで見る事が出来ない正宮の大きさが体感できます。
3~4階建ての建物と同じくらいの高さに感じました。
旅のお疲れさん会。
松阪牛のタタキをつまみに、ハッピーアワー・ハイボール1杯90円を満喫。
果てしなく飲めました。
奥の細道むすびの地が、岐阜県美濃路の大垣宿。
なぜ大垣を選んだのか、大垣に所縁の人が多かったと言われています。
その足で式年遷宮を見に来ているので、神宮も関係していたのかもしれません。
月夜見宮は、外宮の別宮。
格式が高く周囲を、堀と杜に囲われていました。
白鷹は伊勢神宮の御料酒。
御料酒とは、伊勢神宮外宮にて朝晩、鯛・昆布・御飯・野菜などとともに神々に供えられるお酒。
帰りの新幹線でチビチビ頂きました。
次の街道歩きは、真夏の善光寺西参道。
熱さと熊との戦いになります。