陸前浜街道7 高野宿→原町宿
2023年に福島浜通りを訪れた際に聞いた衝撃の一言。
「昨年、11年ぶりにに歩行者が道を歩けるようになった」
11年間も人が歩けなかった道があったなんて、深く考えさせられ決めました。
「よし、年明けは浜通りを歩き、歩く事で街道に人流を復活させよう!」
ということで、2年前に江戸から水戸まで歩いていたので、その続き"陸前浜街道"を宮城県岩沼宿まで歩く事にしました。
2024.03.12
1.高野宿
5時から朝食が食べられるので、日の出と共に出立、本当に助かります。
街道から逸れていましたので、少し歩きます。
この踏切を見ていたら、突然ひとつの踏切を思い出しました。
水戸街道を歩き始めた初日、東京都葛飾区新宿付近の貨物船の踏切名に”浜街道踏切”と記されてます。
なんで内陸なのに浜街道なのかと調べたところ、陸前浜街道の略称でした。
その時は、遠い彼方の陸前までつながっているんだと、水戸から先の福島県浜通りまで歩くとは、考えてもいませんでした。
浜街道踏切の画像はこちら↓。
水戸街道を歩いた時の記録はこちら↓。
陸前浜街道では、居抜き物件の定線観測をしています。
コンビニやファミレスからの居抜きが多い中、初めて宿泊施設の居抜き物件で出会いました。
2.なみえアートプロジェクト
昨日、双葉町でもアートプロジェクトを見ました。
アートは、言葉が無くても世界共通でメッセージが伝わる、不思議な力を持っていますね。
町は、水素をはじめとする再生エネルギーで、復活を目指している様です。
祭りの絵です。
同じ祭りは出来ないかもしれませんが、新しい姿で町は必ず蘇ると思います。
あぶくま信用金庫 浪江支店。
なんと信金が営業しています!
商店街の殆どの店が休業している中、驚きと感動を隠せません。
2枚上の画像のアート作品をよく見ると、緑色の看板に”あぶくま”と思われる文字が見え隠れしています。
作品は、あぶくま信用金庫浪江支店付近の絵だったと思われます。
この付近には1979年にオープンした、サンプラザと呼ばれる日本のショッピングセンターの先駆けとも言われた大型商業施設がありました。
二枚上の画像の赤い橋と、一枚上の画像右側の桜並木、NHKの朝の旅番組の舞台になってました。
只今の時刻は07:14。
国道6号に大型バス5台の姿が。
この時間帯なので修学旅行やツアーバスではなさそう、作業関係者の送迎バスだと思われます。
浪江高等学校の看板。
震災後に、福島県二本松市内の安達高校敷地内に仮設校舎を作り、移転するも2017年に休校。
設置前の電柱が道端に置いてありました。なかなかお目にかかれない、電柱の頂点と底面です。
駅の運賃表。
街道を歩いていると、よく駅で休憩をします。必ず見るのが運賃表、そして毎度毎度感心するのが鉄道の凄さ。
一日歩いた距離を500円位で移動ができる、かつほぼ時間通りに列車はやって来る、凄い事だと思います。
この付近では、自然に出来た横穴があちこちにあり、蔵として使用している民家もあります。
大昔は人が住んでいたのでしょうね。
浜通り独特の蔵。
街道を歩いていると、いろいろな形の蔵を目にします。
上の画像の蔵は、浜通りに入り時々目にする、木壁と大屋根の蔵。大きな張り出した屋根は、日除けや雨避けになるのでしょうね。
街道で見かけた特徴的だった三つの蔵と、その旅の記録を紹介します。
宇都宮市は大谷石の産地。石蔵のクオリティは日本一だと思います。
甲州道中を江戸から歩き、100kmを過ぎて、初めて街道らしい建物が連続していた地域、とにかく美しかったです。
西国街道は下関に近づくにつれ、レンガの壁が増えて来ます。その流れで蔵も作ったと思われます。
赤レンガのトンネル。
入口上段に飾りの様な模様があります。数多くの赤レンガのトンネルを見てきましたが、こんなにゴージャスなものは見た事がありません。
丁度電車の音がしたので見ていたら、このトンネルには入らず、隣の普通のトンネンルに吸い込まれて行きました。
この付近は単線区間なので、今は使われていない様です。観光資源になるかもしれませんね。
3.薬師堂石仏
街道から少し逸れていますが、面白そうなので寄道します。
観音堂の中は、石仏があったと思われる位置に、残像が影の様に残っているだけでした。
樹齢壱千百余年とあります。
屋久杉みたいですね。
薬師堂。
岩肌と一体化して佇む姿は、ただならぬ雰囲気を醸し出しています。
静寂の山中に、雪解けのポタポタという音だけが、途絶えることなく鳴り響いていました。
靴を脱いで薬師堂の中に入ります。
薬師堂の中に入ると、ガラス越しにしか石仏を拝む事が出来ません。
画像では伝わりにくいですが、とても大きく、2m近い高さの石仏が8体、岩窟の壁に掘られています。
うっすらと色が残っており、全盛期の姿は凄かったに違いありません。
4.小高宿
初発(しょはつ)神社。
珍しい名の神社、歴代の相馬藩の藩主が祀られています。
あぶくま信用金庫。
小高でも営業をしています。
信用出来る金庫の鏡ですね。
100m位の間隔で、立て続けに二つの橋を渡りました。
街道は川を避けるものですが、ここは珍しいケースです。
雨が降ってきました。
レインコートを着ながら歩いていると、後ろから電動カートに乗った高齢のご婦人が、
「降ってきちゃったねぇ」
と声を掛けながらスイスイ追い越して行きます。
この後1kmくらい先まで、同じ道を走り、途中右折して行きましたが、どこまで行くのやら、まぁ元気だなぁと思いました。
あちこちで、田圃を掘り返してます。
見た事がない土木工事、除染とは関係あるのでしょうか?
掘り起こした後は、綺麗に整地されてます。
画像では伝わりませんが、技術の高さを感じる、芸術的な美しさがありました。
久々に緑の畑を見た気がします。
この付近の農業は、どの様に復活して行くのか、そもそも農家の人がいないと成り立ちませんので、大変だと思います。
ぶったぞぉ〜。
痛そうな名前のうどん屋さん。
上の画像の古内酒店の中にあるそうですが、残念な事に閉店してしまった様です。
5.相馬太田神社
街道から少しそれますが、千年の歴史がある行事"相馬野馬追"の出陣の地、相馬太田神社に寄っていきます。
相馬発祥の地と説明にあります。
今夜会う南相馬の知人が、ここは寄った方が良いと、教えてくださった意味がわかりました。
相馬野馬追の出陣の日は、この付近の風景が一変するのでしょうね。
また来たくなります!
店主に、野馬追の馬は何処にいるのですか?と聞くと、飼っている人よりも借りてくる人が多いと思うと、仰ってました。
よく考えたらそうですよね。
6.野馬追の里
トレーラーハウスを活用した、宿泊施設や事務所風の施設があります。
原発関連工事の最盛期は過ぎてますが、まだ稼働している様でした。
馬場とは、乗馬を行うための土地。
野馬追い会場が近づいて来た事が実感できます。
相馬野馬追が気になるので、博物館に寄り道します。
ずぶ濡れのレインコートを、親切な博物館の方が、見学している間に暖かい部屋で干して置いてくださりました。
感謝です。
博物館の見学を終えて、いよいよ野馬追の神旗争奪戦会場である、雲雀ヶ原祭場地に向かいます。
相馬野馬追とは、国の重要無形民俗文化財に指定されている祭典で、福島県の相馬地方で下記内容で、三日間執り行われています。
羊腸の坂。
神旗争奪戦で、ご神旗を争奪した馬のみが昇ることを許された坂。
かっこいいでしょうね。
観客席から祭場に、坂を降りて行きます。
画面では伝わりませんが、冷たい雨に加えて風が吹いて来ました。
相馬野馬追の日程、2023年までは7月開催でしたが、酷暑による馬や人への負担を軽減するため、2024年からは5月の最終土日月に変更になってます。
賛否両論あった中、決断までの道のりは大変だったと思われます。
7.原町宿
野馬追のポスターが貼ってあります。
あと二ヶ月、私は観に来るのでしょうか?
今日は、野馬追所縁の場所をゆっくり巡る一日でした。
大きな祭りがある宿場は、道や建物に加えて代々引き継がれている、伝統や魂を感じる事が出来ます。
南相馬市に出向中の、前職の先輩に会う事を楽しみに、今回は歩いて来ました。
今月末まで、同じく南相馬市内の社団に出向している、前職の後輩も交えてのひととき。
おじさんたちの自慢話を、飽きる事なく聴いてました。
旅は、観る食べる遊ぶに加え、人に会う事が醍醐味のひとつ、私は人に会う事が一番好きです。
いい夜でした。