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中山道8 高崎宿→松井田宿

▽1991年3月
23歳 30年勤めた会社の入社前に、東海道を歩きました。
▽2021年3月
53歳 30年勤めた会社の退職後に、中山道を歩き始めました。

京都まで一気に歩く、"気力"、"体力"、"時の運"、が無いので、行けるとこまで歩く事を繰り返します。

2021.05.02



1.高崎の朝

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今回の中山道歩きで初の宿泊。
いつもの出発09:00~10:00よりも、2時間以上早い歩き始め。気持ちいぃ~!
写真は宿泊したゲストハウス、2階左の扉の2段ベッド下段で寝てました。


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ゲストハウスのスタッフさんが、隣には政治家が利用する料亭があると言ってましたが、なるほど、なかなかの貫禄です。
高崎市は総理大臣を3人も出しているんですね。中曽根康弘さん・福田赳夫さん・福田康夫さん。小渕恵三さんも群馬県の中之条町出身、すごいですね!


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朝が早いと綺麗に撮影出来ている気がします、太陽の角度が低いからでしょうか?


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水村園さん、派手さはありませんが、妙な風格があるなと思い、通過後に振り返ると、蔵が何層にも奥に連なってます。
日本に現存する最古の茶葉があるそうです。中庭にある水栓柱は、明治から現在まで使われており、高崎市の最古の水栓柱の一つの様です。


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1953年までチンチン電車が伊香保温泉まで走っていたんですね。伊香保温泉は30回くらいは仕事で行ってますが、全く気づきませんでした。
行かれた方はわかると思いますが、渋川駅過ぎて途中のゴルフ場過ぎたあたりからは結構な急勾配で、良く登れたなと感心します。
スイッチバックで登っていたんですね。
東武鉄道が最後は運行していたそうです。


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街道沿いの長屋の断面図が、じわじわと好きになってきて、こちらのお寿司屋割烹”おきな”さんの断面はとても美しかったです。
巻き寿司の断面もさぞ美しい事でしょうね。


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岡醤油醸造さん、任侠映画のロケにも使われたそうです。


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おおっ、百恵ちゃんのCM「デジタル~はカシオ」のメロディー♬思い出しちゃった。
カシオさんDX先取りですね!
私知りませんでしたが、”かしお”で変換したら、”樫尾”と出てきたのでまさかと思いCASIOさんのHPをみたら、社長が樫尾さん!カシオ計算機は、忠雄・俊雄・和雄・幸雄の樫尾四兄弟が1957年に設立したと、でています。
みんな知っているのかなぁ?


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もう少しで市街地が終わります。奥の方にレンガの壁が残っていたり、とても絵になります。


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レアな、”旧中山道”の道路標識。


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高崎観音がみえてまいりました。300円で中に入れるそうです。


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二度目の烏川。
2枚目写真、正面が榛名の山々、右奥の道が国道17号。日本橋から高崎まで、100キロにわたってお付き合い頂きありがとうございました。


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烏川を渡る橋の名は君が代橋。明治天皇が渡られたそうです。


2.日本一のだるまの産地

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烏川から中山道は18号と並走し、下豊岡町に入ります。
ここから先は日本一のだるまの産地、年間約90万個が出荷され国内シェアは8割超。
だるまの広まりの由来は、江戸で天然痘という病気が流行したことらしいです。
コロナもだるまの力も借りて終息に向かいますように。


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機関車だるま、アマエビだるま、奥には招き猫だるま、何でもありますね。
なんかイイ!


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看板の塗料まで、だるまと同じ色。


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こんな感じで、製造工場が中山道沿いに点々と続きます。


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最後は国内外の観光客向けに、土産販売やだるまづくり体験、プロスポーツチームからのオーダーなど、手広く展開する大門屋さん。
大型バスも対応できそうな感じでした。


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大門屋さんの前に飾ってあった、あまびえだるま。少女漫画みたいな瞳と、クチバシみたいな黄色い鼻がcute!


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しばらくは、碓井川と18号と並走。
青空と新緑がまぶしくて、たくさんの人がジョギングしてます。


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富士山を信仰する浅間神社。
こちらはふたつの村の境界に建てて、それぞれの村人が平等に使う事ができ、一緒に管理するようにしたそうです。
先人の知恵ですね。


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鯉のぼりは最後かなぁ。


3.安中市に入りました

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じわりじわりと、山々が迫るとともに、安中市に入りました。


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何やらハワイみたいにヤシの木が乱立しています。


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近くに行くと、そこはヤシの木の植木屋さん。


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左:585,000円 右:100,000円 消費税別


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この踏切のマーク、蒸気機関車?
なんでまだこの看板なんだろう。
な~んて思って置いたら、その後、彼方から蒸気機関車の汽笛が聴こえてきました。
走っていたんですね、悔し~~~い!みたかった~


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踏切を渡って次の板鼻宿を目指します。


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この赤いつるし雛みたいのは何だろう?この後 は、目にすることはありませんでした。
飛騨地方の”さるぼぼ”かと思いましたが、何でしょう?
きっと中山道歩いているうちに、いつか答えが見つかると思います。



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飲食店の店先に、峠の釜めしの器再利用灰皿発見!横川が近づいてます。


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でました!群馬県内に多い養蚕農家の腰屋根。お蚕様が過ごしやすくなるように、風や太陽の光を取り入れる為の工夫がなされています。
中山道は養蚕業との係わりが深く、日本橋から進むと大宮手前のさいたま新都心駅前の、片倉工業の製糸工場跡地には、繭から名付けた”コクーンシティ”という三井系の、素敵なショッピングモールがあります。
熊谷には片倉シルク博物館、その先も深谷や本庄で、養蚕業で潤った形跡を、街道沿いの随所で目にしました。


4.板鼻宿

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素朴な宿場町、板鼻宿。


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のどかな風景が続きます。


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この建物の中見てみたい。っテレビ番組が取材に来そうですね。来ていたりして?


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突然用水路が現れます!
昨夜飲みすぎた事を後悔し、足取り重く歩いていた低いテンションが、一気に高まります!


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鯉の養殖が盛んだったんですね。


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この階段の下で、人々が集い、生活に利用したのでしょうね。


5.碓井川を2度も渡る?

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碓井川を渡ります。二枚目の写真の奥の方に渡しがあったそうです。
しかしこの水量では船の底がつかなかったか、心配になりますが、先人の知恵でどうにかしていたのでしょう。


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東邦亜鉛安中精錬所。
よく信越線の車中からみえていましたが、なかなかの迫力。
亜鉛を作るには斜面から水を落とす必要があるため、この様な傾斜地に建てられています。
夜景が凄いんだろうなと思っていたら、やはり群馬県内の夜景スポットや、工場夜景の特集で取り上げられていました。


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一里塚、江戸より二十九里。


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ゴミ捨て場にお手製の表札、自治会の愛を感じます。


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馬頭観音。


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二度目の碓井川。
街道歩きで同じ川を二度渡るのは、極めて珍しいケース。
川の流れが定まらなかったからでしょうね。


6.安中宿

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安中宿の中心地に入ります。


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宿場の雰囲気が出てきましたよ〜。


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大好きな、鰻の寝床の建物の断面。
中に入って探検してみたいなぁ。


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地味すぎる本陣跡看板。


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斜面に建つ、鰻の寝床の建物。フロアの高さが段々になっており、渋谷の東急ハンズ本店みたい。
中に入ってみたいなぁ。


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質屋さん立派。


7.安中宿 味のある建物7選

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8.日本初の私設図書館

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便覧舎、日本初の私設図書館跡地。
設立したのは有田屋さん、天保三年(1832年)以来180余年もの間、昔ながらの天然醸造の製法にこだわった醤油を作り続けています。


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こちらが有田屋さんの店舗の正面。


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裏に回ると路上に煙突が⁈


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道路が後からできたのでしょうね!


9.新島襄先生

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安中藩の英雄、日本の英雄、です。
元治元年(1864年)に密出国、アメリカ合衆国に渡り、神学を学び、帰国後の明治8年(1875年)に、同志社英学校(後の同志社大学)を設立した方です。
凄まじい行動力と勇気だと思います。


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運良く他にお客様がいなかったので、記念館の方が付きっきりで、丁寧に説明をしてくださいました。


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妙義山がいつの間にか迫ってきます。
お腹が空いてきました。


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ここぞのタイミングで、1番食べたかったお蕎麦屋さんがあらわれました。
暖簾が手招きしてます!
入りま〜す。


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十割蕎麦、鴨葱炒め、東京・埼玉ではこの時期は提供出来ない冷えた燃料を、いただきま~す!



10.中山道しのぶ安中杉並木

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いきなり登場杉並木、中山道でこんなに残っているの、はじめてです。ふ


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上毛かるたで復習。


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大切にされてますね。


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道祖神様。


11.原市の落ち着いた街並み

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水道タンクに中山道の絵が描かれてます。
当時の様子が感じられます。


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黒やこげ茶を基調とした雰囲気好きです。


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道が徐々に登り始めていきます。


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蔵もちらほら。


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ラーメン屋さん。
只今の時刻13時23分、行列が出来ています。調べてみたらおいしそう!私の好みです。
化学調味料未使用ですって。



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パティシエ”チャーリーとペロ”、街道沿いにもっとあると良いのにね。
よく考えたら、元々和菓子屋さんが代替わりして、パティシエになっているお店多いかも。
データベース化したらどうかなぁ?
”中山道の代替わりパティシエ”、いいじゃない、妄想が始まります。


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道は静かに静かに、上り続けます。


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だんだんと、段々の、断面が、好きになってきました。


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群馬県内で、中山道の道しるべとなっている木の表札、馬頭観音や庚申塚と同じくらいあります。ありがたやありがたや。


12.日枝神社

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この神社は面白かった、というか珍しかった。



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かえるが珍しいのではありません。


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七福神が珍しいのではありません。


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なんと、頭がぶつかりそうな神楽殿の下をくぐった先に、本殿があるのです。
豆まきなんか盛大に執り行われそうですね。


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神社の前には、高級注文住宅のCMに出られそうな立派なお屋敷が。
こんな家に住んでみたい。


13.迫る妙義山

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更に緩やかな坂を上り続けます。


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ありがとうございます。


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ありがとうございます。


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迫ってきました、妙義山。


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常夜灯と妙義山。満月の夜、お月様を眺めながら、酒でも飲んでみたいものです。


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突然細い道に入ります。


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おいおい、間違ってないよね。


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なんかこの路、悪くないかも?


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げげっ・・・・。


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下ってから登った先に空がひらけてます。



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再び妙義山が見えてきました。
天気予報は関東地方は午後から突然の雷雨、
山の上にだけ雨が降ってました。
雨雲さん、どうかこっちに来ないでください。


中山道を歩いているおじさんの仲間から、上尾の手前で土砂降りで動けないと、天満宮で雨宿りしている、自撮りが送られてきました。
おじさんの自撮りは、疲れた身体に応えます!


14.松井田宿

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女神インキがお出迎え、創業1928年、本社は東京上野、もう少しで100年企業です。
なんで女神かは判りません。


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本陣はまだ先ですが、松井田駅が近いので、本日はここまで。


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電車の時間もあり入ってませんが、良い感じの店。おばあちゃんが一人でやっていて、ラーメン450円+100円でワンタンが乗るそうです。



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松井田駅は無人駅。


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峠の文教都市、確かにそうでした。



ではまた来ます。

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