北陸道6 高岡宿→倶利伽羅宿
2024.08.26
1.高岡宿
高岡市は藤子F不二雄さんの出身地。
駅前にドラえもんメインキャラクターのオブジェたちが、来る人々を出迎えています。
万葉線の路面電車の線路に釣られて歩いていたら、道を間違えてしまい軌道修正。
今日は11:00からオンラインミーティングが入っており、余裕がないのに何をやってるんだろう。
ホテルニューオータニ高岡。
大都市や県庁所在地などにあるホテルがなぜ高岡にあるのか。
それはこれから歩く石動宿がある小矢部市の出身だからです。
高岡大仏。
朝早くから多くの近所の方が散歩で訪れてました。
街の中心の開放的な場所に大仏様がいる、高岡の人々がうらやましいです。
大きな土蔵作りの蔵が立ち並んでます。
前田利長が1609年に高岡城を築城するも僅か6年後に廃城。
その後奮起した商人が高岡の街を活性化させたようで、往時の商人のDNAが今も残っている気がします。
蔵の町並みが過ぎると、今度は明治大正昭和の建物が混在している、ウォール街のような街並みが広がってきます
2.金屋町
横田橋 青銅の欄干。
高岡銅器のルーツは、江戸時代初期に加賀前田家が、高岡に七人の鋳物師を呼び寄せたこと言われてます。
昨日歩いた隣の射水市大門地区には、銅壁の家々が立ち並んでました。
千本格子の家並み 金屋町。
千保川を渡り、高岡の中心部から外れると思っていたら、この様な看板が出てきました。
街道から数百メートル入った一角が、タイムスリップしたかのような街並みになってます。
このような美しい街並みが保存されてきたのは、地域の方の長年の努力があったからだと思われます。
鳥居の前で、ラジオ体操が終わったと思われる老老男女(シニア)の方々が、楽しそうにぞろぞろと出てきて、三々五々別れて行きました。
1日の始まりが神社での仲間とのひとときから、素敵なルーティンですね。
神社の鳥居の前には見事な石垣積まれています。
高岡城築城時に、その敷地にあった有磯宮がこの地に移転した折に、前田利長が寄贈したものでした。
拝殿が立派、高岡らしく銅がふんだんに使われています。
先ほど訪問した有礒正八幡宮、上の画像天満宮の拝殿には賽銭箱がありません。
賽銭泥棒が多かったのか、神社の方針なのか分かりませんが、参拝者は小さな貯金箱みたいな隙間から賽銭を入れてました。
祖父川。
近くに祖母川とか父川とか母川とか、あるのかないのか?
島には家族の名前を使いますが、川にはあまり使いませんね。
3.福岡宿
北日本新聞 朝刊見出し。
「能登で本州初トキ放鳥へ」
今年の3月に佐渡島の金山相川街道を歩いてきました。その時に田んぼの中で野生のトキを発見、あの感動は忘れられません。
世界遺産の金山と同じくらい、絶滅した天然記念物が、野生に復活した里山を歩く価値があると思います。
佐渡島の金山相川街道を歩いた時の記録はこちら↓
往時の街道は、藩が松を植える命令を出しており、街道沿いは松並木が続いていました。
この付近は、地域の方々の努力により、往時の松の姿をいまだに偲ばせる事ができます。
素晴らしいですね。
街道区割りの断面芸術。
街道沿いの商家などの土地の区割りは、短冊状に奥に細長くなっています。
上空から見ないとそれが判らないのですが、空き地があるとよくわかります。
それが上の画像の断面芸術。
同じ形は一つとしてなく、何度見ても飽きる事がありません。
お洒落な樹木。
命懸けの植木職人匠の技です!
4.芹川
小学校の跡地と思われる場所で、真夏日に元気なシニアの方々がゲートボールをやってます。
ちゃんと自己責任で暑さ対策も、もしもの時の覚悟もできてるんだろうなと感心しながら、俺も負けちゃられない!と奮起して歩きました。
本日1本目の冷凍ペットボトル購入。
これがあるとほんとに助かります。
動脈に近い首筋や、脇の下股間などを冷やし血液温度を下げることで、体内の深部体温を冷まし、熱中症を防ぎます。
真夏日でも、手持ちで1時間、タオルに包んでカバンにしまうと4~5時間は溶けません。
火牛祭り。
凄そうです、しかも火牛の計レース(子供の部)まである、気になりますね。
マンホールの蓋には、その地域のご当地、特産品など、伝統工芸などがわかるヒントが隠されてます。
牛の絵があるので、先程のポスターの火牛まつりと関係がありそう。
三井アウトレットパークの観覧車があちこちから見えます。
なぜ単体では収支が取れそうもない観覧車を作るのか、理由が何となくわかってきました。
どこからでも目につく、家族を惹きつけるランドマークだからかだと思います。
福助の絵が書いてあります。
福助と言えば、中山道の近江の国 柏原宿を歩いていた時に、福助さん発祥の薬屋が現役で営業していました。
観光客は入れないのですが、近くに歴史館がありましたのでお邪魔した時の様子を紹介します。
福助さんの雛段飾りには度肝を抜かれました。
中山道柏原宿で様々な福助さんに会った時の記録はこちら↓
ラジオ体操とお祓い。
この目を引く張り紙をよく読むと、
”参加者にはおさがりを用意しています”、
と小さなお子さんを持つ親御さんが最も欲しい、洋服のお古のことが書かれてます。
大人はお祓いに弱いので、世代を超えた見事なマーケティングがなされているイベントだと思いました。
5.石動宿
石動(いするぎ)宿に入りました。
子どもの頃、国鉄の難読駅名クイズによく出てきた駅名です。
そんな記憶を40年経ったときにふと思い出す、人間の記憶は摩訶不思議です。
昨日予定されていた地蔵祭りが台風接近のため延期となってます。
今回の台風10号は超大型と言われております、どうなることやら。
上の画像の標識、なかなか目にすることができません。
商店街利用促進のために、路上駐車を隔月で許可しているようです。
オンラインミーティング。
市役所の方にお願いをして、市民コーナーのテーブルを貸していただき、無事終了することができました。
本当にありがとうございました。
大谷米太郎。
小矢部市(旧正得村)出身のホテルニューオータニの創業者。
大相撲力士で幕下筆頭・酒屋・製鋼所などを経て、東京オリンピック時のホテルを見越してホテルニューオータニを開業させた、波瀾万丈かつ先見の明がある素晴らしい経営者ですね。
この自販機は凄いことになってます。
街道区割密着商店街。
上の画像の街並み、国内ではあまりお目にかかれない景観、同じ形の建物がずらりと並んでいます。
江戸時代の区割りと全く同じ場所に、同じ形の建物を、同じタイミングで隙間なく建てたものと思われます。
よく建築の許可が下りたなと思う位芸術的な建物群でした。
餅かつ。
これはなんでしょう、調べても出てきません、また来て食べないといけませんね。
これから倶利伽羅峠に入ります。
宿に着くまで、商店が一軒もないので冷凍ペットボトル2本を購入。
様々な冷凍ペットボトルを飲みましたが、GREEN DA・KA・RAが薄口で1番私の体に合っています。
コンビニで汗まみれのサイクリストと峠の情報交換をして、いざ出発!
6.木曽義仲
木曽義仲の像。
馬に乗った銅像の大きさで日本一らしく、確かに見た瞬間あまりの大きさに思わず口が開いてしまいました。
木曽義仲と言えば、歴史に物凄く疎い私が初めてその名を知ったのが、中山道の宮ノ越宿でした。
知った理由は、コンビニや飲食店が殆ど無い区間を歩いていた時に、調べた結果唯一あったのが木曽義仲の資料館・義仲館に併設された食堂。
義仲の意味が武将とわかったのは上の画像の絵を見てからです。この時は”休館中”の標示に膝が崩れた記憶があります。
この時は食事にありつけない衝撃で呆然としており、上の画像の義仲館の門の奥、銅像が見えていますが、見る事も無く立ち去っています。
その後、歩く先々で木曾義仲の名に触れる事が幾度かあり、凄さを知る事になりました。
中山道・木曽義仲のゆかりの地宮ノ越宿を歩いた時の記録はこちら↓
その後も中山道大津宿で、義仲寺の前を通りますが、残念ながらお休みでした。
松尾芭蕉の本墓もあるそうです。
さらにその後、2022年12月に東海道の復路で義仲寺の前を通りましたが、早朝で開いておりず、次に訪れる場所リストに入ってます。
中山道大津宿義仲寺の前を通った時の記録はこちら↓
見事な社殿。
昭和初期までは国宝でした。
どうして重要文化財になったのか気になります。
埴生保育所の時計台。
明治神宮外苑絵画館と東京銀座服部時計店がモデル。
小矢部市には、宮殿・城・大学などの有名建築物をモチーフにしたメルヘン建築と呼ばれる公共施設が34もあります。
1972~1986年に就任した市長が、「市民が夢を持てる地域のシンボルを作る」との想いで建設されました。
夢がありますね。
7.倶利伽羅峠
いいですねぇこの言葉。
本当にいい。
来る途中に貼ってあった火牛祭の意味がわかりました。
源平の戦いの時に使われた木曾義仲が行った、牛が松明を背負って攻めた戦術だったのですね。
地元の教育委員会に、歌が好きな方がいらっしゃったのか、峠道には多くの歌碑が置かれていました。
峠の茶屋 天池家 長老の談話。
実際に茶屋で働いていた人の談話、なかなか知る事が出来ない情報なので、とても興味深い内容でした。
一里塚と言われるところ。
”言われるところ”、の一文が面白すぎます。
何百年も前の、山中の一里塚。崩れてしまったり、正確な位置までわからない事の方が多いですよね。
弘法大師の秘密兵器、瞬間井戸掘り杖。
街道を歩いていると、各地で弘法大師が杖を突くと、瞬く間に井戸水が湧いたという伝説。
弘法大師の偉大さが伝わってきます。
源平合戦で多くの命が失われたと思うと、この地を歩く事が恐ろしくなってきました。
そのような場所は日本中にあるので、考えたらきりがありませんね。
8.倶利伽羅宿
加賀方面の日本海が見えてきました。
夕方の直前の海は、巨大な鏡に映った太陽の様な輝きをみせます。
倶利伽羅宿の街並みが見えてきました。
今にもゴロゴロ来そうな雲行きなので、急いで宿に向かいます。
先ほどから空がゴロゴロ鳴ってましたが、到着した直後に夕立が。
危ないところでした。
日帰り温泉に併設された宿泊施設に泊まったのですが、今日は月曜日で飲食店が休業。
お土産コーナーで夕飯を調達。
能登のお土産品をつまみに、銘酒を美味しくいただきました。
明日は金沢に入ります。
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