
三国街道2 金井宿→須川宿
北関東で育ち・育てられ、越後が大好きな自分が三国街道の事を知らなすぎたので、雪が降る前に山を越え、日本海を目指します。
2022.09.15
1.スタート地点まで

今回は道を間違えるとリカバリーが容易でない地域を歩くため、入念な準備が必要。出発前夜に、複製可の旧街道地図を印刷し、街歩きしやすい様に切り貼りして作成していると、興味津々のウサギが偵察に…可愛いのですが忙しいので無視。
街道の地図探しに困った時は、"日本の街道地図と走り歩き旅"に、全国の都道府県の教育委員会が調査した928街道の地図が掲載されてます。ハイレベルな編集力と豊富な情報量で、もっと早く知っていたらと悔やむくらいの内容、是非ご覧になってみてください。
↑日本の街道地図と走り歩き旅






高崎駅到着。
乗り場の案内板をみると、8路線も集まっていたのですね。仕事で何度も来てましたが、ゆっくり旅をすると、いろんな事に気が付きます。
1.金井宿









金井宿がある金島駅付近から、次の北牧宿の間は吾妻川を挟んでいるため、道がありませんので、街道とは異なる道を進みます。
2.北牧宿






水路が残る街道は美しいです。
珍しく水路が道の中央にありました。コスモスが北牧宿の美しさに花を添えています。







”賑貸感恩碑”とは”浅間押し”と呼ばれる1783年の浅間山大噴火を乗り越えた教訓などを、忘れない為の碑。
浅間山周辺の街道を歩いていると、浅間山の大噴火について、記されている案内看板を時々見かけます。私が住んでいる埼玉県さいたま市から浅間山まで約150km、2000年初頭に浅間山が小噴火した際には、自転車のサドルに噴煙がうっすらと埃の様に積もっていました。
大噴火となると農業を始め、生活に深刻な影響を及ぼすのでしょうね。






歩道が無い区間は歩行者としては恐怖でしかありませんが、運転者としても同様。
見通しの良い道ではお互いに事故を回避できますが、山道のカーブは要注意で、運転者がヒヤリとするカーブの内側を歩くことは避けて、こまめに外側を歩く様に心掛けています。
3.横堀宿





説明看板が一部読み取れませんが、浅間押しの被害で、復興まで27年要したと記されています。








群馬県の山間部に近付くと、こんにゃくいも畑が突然増えだします。
収穫まで3年かかると聞いたことがあり、そう考えると食べる時も楽しさが増しますね。







スーパーフード”ソルガム”。
見た目はトウモロコシの様な葉の植物、粉末は小麦粉の代わりとなり、信州では室町時代から米の代用品として重宝されています。
4.中山峠








本日は二つの峠越え。
一つ目は標高710mの中山峠、出発地点がら約500m昇ってきました。峠らしく雨雲の中に入り視界は100m以下、幻想的な景色が楽しめました。














土木関係者には有名な、中山トンネルの上にいます。
このトンネルは、2度の出水事故に見舞われ、本来直線で南北に一直線で貫通するはずのルートが、東に約160mずらす事になり、新幹線は240km/hから160km/hに徐行運転をするはめに。わかりずらいですが、上記の青丸の付近が本来の走行ルートでした。
5.中山盆地






謎の穀物を大量に運ぶトラックと3回すれ違い、荷台を空にしたトラックには1回抜かれました。う~ん興味深いです、牛の餌でしょうか、肥料でしょうか、とても気になります。




峠を越え坂を下り、雲の下に降りてきました。
気温が低かったのと、半袖半ズボンで霧雨のシャワーを浴び続けたので、4時間歩きましたが身体が全く温まらず、心地よく冷えています。街道歩きにはベストに近いコンディションです。






中山峠から坂を降りてくると、前方に色とりどりの絶景が広がります。
炎のようなサルビア、黄金色に輝く稲、僅かな風に可憐に揺れるコスモス、もう言葉になりません。

中山峠の”なぎなた坂歌碑”前で挨拶をした、”株式会社ワクワクたかやま”のご主人が、車で追いかけてきてくださり、パンの差し入れ!
ふたつは明日の朝食用に、ひとつは早速いただきました。バターが不要なしっかりとした味と歯ごたえ、う~ん幸せです。ありがとうございました。
6.中山宿









中山盆地の中心に広がる中山宿、中山本宿と中山新田宿の2カ所に分かれており、この後新田宿に向かいます。











理髪店に”とこば”と書いてありました。江戸時代を感じさせる表現で、代々継がれていると思うと、髪を結って貰いたくなりますね。
交差点を左折し、中山新田宿へ。







群馬県には、”上毛かるた”という文化があり、小学校の頃に覚え県民は大人になっても言えます。前職が北関東地方の社員が多く、群馬県出身者に適当な言葉を言うと、見事に全員が則答するるのが面白すぎて飽きません。
一番面白かったのは、小学校の頃上毛かるた大会があり次は全国大会があるかと思ったら、無い事を知り愕然とした話でした・・・・。
画像に多く出てくるかるたは、高山村が独自に作成した”高山かるた”です。









中山新田宿を歩いていると、あまりにも自然体で街並みが残っている姿に、何故か目が潤んできました。この感情は何なんでしょう、街道病かもしれません。








蕎麦の花畑は日頃目にする事が無いので、何度見ても新鮮です。
昼にラーメンを食べてた自分に少し後悔。







県道から左にそれ、金毘羅峠に向けて林道に。
自動車が殆ど通らないので、熊すず出動、緊張しながら登り続けます。






峠が近づき、史跡が増えてきます。
福守石は、凛々しい子孫繁栄を願う岩でした。



クマやイノシシの住む世界にお邪魔してます。
ガサッと音がすると、ビクッとして、時々後ろを振り向いたり、一人歩きは心細いものです。
7.金比羅峠







本来の街道は林道からそれた山道の筈ですが見つからず、同じような風景の下り坂の林道を下ってきました。









山か下りると、そこは一面のりんご畑。街道から大きく東にそれてしまいましたが、いい景色は心身ともに癒してくれます。
8.塚原宿









生育が早い田圃では稲刈りが終わり、稲架(はさ)掛けという、稲の乾燥が始まっています。一雨ごとに涼しくなり、日々太陽がでる時間が短くなって、秋がいつの間にか訪れます。
9.下新田宿









下新田宿はおそらくこの付近。
金刀比羅峠から降りてからの、塚原宿から須川宿までの5宿は1~2km間隔で続きます。並走する赤谷川の影響かもしれません。
10.今宿





11.布施宿












この付近には独特の屋根の建物が目立ち、カッコ良くて見惚れてしまいます。腕の良い大工さんがいたのかもしれません。
12.須川宿









歩いてたどり着ける限界地点にあった須川宿から、赤谷川を挟んだ対岸にあった湯宿温泉の宿に予約を入れていました。初めて聞いた温泉地で、足を踏み入れたらびっくり。3件の共同浴場と5件くらいの小規模旅館がぎゅっと詰まった温泉街でした。




撮影を忘れましたが、管内は新しく清潔で部屋は広くて快適でした。
本日はこれにて終了。