北陸道1 高田宿→能生宿
新潟県から滋賀県まで北陸を縦断する道は、北陸道・北国街道・加賀街道、様々な呼び方があります。
2024年夏の歩き納めは、日本海側の文化を感じながら、猛暑・台風・心身、三つ巴の戦いをしながら北陸道を南下します。
極限状態の真夏日の、歩き方ノウハウが散りばめられた記録をお楽しみください。
2024.08.18
1.スタート地点まで
お盆休みの最後の土曜日。
あちこちで微笑ましい風景が繰り広げられています。
ホッコリしますね。
今回の行軍は、真夏日に行うため初日は高田宿に前泊。
夜は地域の情報を仕入れるために、恒例のパトロールに出陣。
めちゃくちゃ入りずらい店の扉に心奪われて入店。
店内はカウンター5席。
マスターから、よく入って来ましたねと讃えられ、メニューありませんけど良いですか?と聞かれたので、勿論!と返事をして、佐渡の金鶴を頼んで後はゆったりと飲みます。
マスターにこの付近のクマ情報を聞いたところ、ツキノワグマより小さいが凶暴なアナグマがいるとの情報入手。
明日以降気をつけます。
高田宿の夜は賑やかです。
18年前に高田に仕事で来た夜、未明まで飲んだ帰りに雪を流す側溝に転落し、血だらけになった悪夢を思い出しました。
落ちなくて良かった…
2.高田宿
500mくらい歩き違和感を感じたら逆に歩いてました。
街道を歩いていると10mでも無駄歩きをしたくないのでかなり凹みます。
今歩いたルートは、一昨年に夫婦で歩いた北国街道で善光寺経由で軽井沢の手前、中山道との追分までの道。
越後から信濃に抜ける峠道や、千曲川沿いの長閑な風景は、いまだに家内と良かったねと思い出話に出ます。
北国街道を歩いた時の記録はこちら↓
雁木(がんぎ)。
豪雪地帯の商店街などで、冬場に通行人が歩きやすくするために、建屋の庇などを張り出し通路を覆った半アーケード風の構造物。
地域によって呼び名が変わり、秋田県や青森県では小見世(こみせ)、山形県では小間屋(こまや)と呼ばれています。
ここまでが以前歩いた北国街道の区間。
右に曲がると中越方面、左に曲がると加賀方面。
本日は左に曲がります。
北国街道中越方面はまだ歩いていないので、これからのお楽しみにします。
さて、ようやくスタート地点に立ちました。
上の画像をご覧ください。雁木の屋根の上には、雪下ろし用の梯子が架けられてます。
住民の方々は大変だと思いますが、冬の風景も見てみたいです。
独特な造りの拝殿、カッコいいですね。
奥が伊勢神宮などで見られる神明造、手前が出雲大社などで見られる大社造、拝殿横面には雪除けの様な板が架けられています。
結構な雨で、いきなり靴の中まで水浸しに、日本海から歓迎と洗礼の雨をいただきました。
3.春日山
この追分の由来が凄いです。
日本海側の内陸約二里に位置する高田宿に、日本海側を北上する旅人を立ち寄らせる為に、河口付近の関川の橋を壊したそうです。
なりふり構わない、藩の経済活性化政策ですね。私だったら例え空腹でも、一文も落とさずに素通りします。
加賀踏切。
踏切名にはかつての街道の名が残されています。
今回歩いている道は、全国的に伝わりやすい北陸道として紹介していますが、新潟では加賀街道と呼ばれていた事がわかります。
春日山にある上杉謙信の居城 春日城は、戦国時代最強の山城とも称えられました。
城に力を入れ過ぎて、城下町の発展をおろそかにした影響か、上杉氏が去った後は一気に衰退し、その代わりに高田城を中心とした高田の城下町が発展します。
最近はすき家の朝食とご縁があり、頼み方が慣れて来ました。
オーダーするのは、ベーコンエッグ朝定食・牛小鉢付き。
最初は丼飯の上にベーコンエッグと刻んだ海苔と醤油をぶっかけてご飯を半分食べ、残った丼飯に牛小鉢をぶっかけて仕上げる。肉と米は力がつきます。
親鸞聖人所縁の地、この先も多くの史跡がありそうですね。
4.五智国分寺
緩やかな坂を昇ります。
この坂を超えた先に日本海が見えてくるのか、その瞬間が楽しみです。
親鸞聖人の伝説には、"一夜にして・たちどころに"、などの言葉がたくさん出てきます。
街道を歩いている中で、石碑などが一番多いのが松尾芭蕉、次に多いのが親鸞聖人。
伝説の数では親鸞聖人が一番で、影響力の大きさを計り知る事が出来ます。
国分寺にはかつては七重塔がありましたが、落雷や火災などで消失し、日本には残っていないそうです。
そう思っていたら、意外な場所で七重塔を目にしました。その場所は大山道矢倉沢往還を歩いていた時の、海老名駅前のショッピングモールの中庭。
こちらの画像をご覧ください。
大山道矢倉沢往還を歩いた時の記録はこちら↓
五智如来道標。
前田藩の日本一の参勤交代が通る方向に向きを変えたとの説明。
加賀に向かって歩いている実感が湧いてきて、テンションが高まります。
波除地地蔵尊。
海辺の街道らしい地蔵尊です。
浜茶屋。
"海の家"の事を"浜茶屋"と呼ぶ、粋です。街道歩きをしなかったら、粋だなんて思わなかったでしょうね。
クマ注意看板。
昨夜飲みに行った店のマスターが、ツキノワグマより小さいが、凶暴なアナグマの方が危ないと語ってました。
慌ててクマ鈴を装着。
ちなみにクマ鈴を聞いてクマが寄ってくる説もあるそうです。
信濃毎日新聞の海の家があります。
海無し県の新聞社の、購読者向けのサービスの一環かもしれません。
5.長浜宿
鉄美の丘プロジェクト。
クラウドファンディングで作成した、鉄道撮影が安心安全にでき、撮影しなくても鉄道を見ながらほっこりできる木製テラス。
丁度電車が来ましたので撮影しました。
いい写真が撮れました。
参道の階段には見事な苔が生えており、ところどころで苔から水が噴き出す、神秘的な光景でした。
久比岐自転車歩行者道。
国鉄時代の北陸本線廃線跡の遊歩道、30㎞先の糸魚川市中心部まで続きます。
陽が当たらず気温が低いトンネルは天国です。
6.有馬川宿
有間川駅がおしゃれなダイニングカフェになっています。
不動滝。
突然現れた滝に暑さが吹き飛びました。
街道の横で滝を拝める場所はありそうでありません。
印象的だったのは、中山道木曽路の三つの滝。
一つ目の滝は、中山道上松宿と須原宿の間の小野の滝。
突然現れて驚くと同時に、美しさに立ち尽くしました。
中山道 小野の滝を歩いた時の記録はこちら↓
二つ目三つ目の滝は馬籠峠の男滝・女滝。
妻籠宿から峠道を昇りきる手前くらいで突然滝が現れます。滝壺すれすれまで行けますので、全身でマイナスイオンを浴びる事ができます。
中山道 男滝女滝を歩いた時の記録はこちら↓
7.名立宿
街道歩きは時々ふり返ると、ハッとするような風景を目にする事ができます。
このまま海に一直線にタイブしてしまいそうな道、その彼方は新潟市、いつか歩くことになるのでしょう。
ラーメンに車麩が入ってます。この地域の文化なのかもしれません。
海に沈む夕日を見てからの海上花火大会、日本海側ならではの楽しみ方です。
江野神社。
山の上に続く階段、この暑い中、体力もかなり消耗しており、一の鳥居を拝んで通り過ぎようと思いました。
しかし、来なさいと神様から呼ばれているような気がし、力を振り絞って参道の階段を昇ります。
夕方が近くなると、海がキラキラと光り、太陽とは違った眩しさを感じることができます。
誰もいない海でサーファーが2人波に乗っております。
海を独り占めできるようで、気持ち良さそう。
8.筒石宿
突然、タイムスリップしたかのような街並みに景色が急変します。
空き地中央に打ち込まれた石柱には、作兵衛と記されています。
ここに建物を建てるには工事が大変そうですね。
水嶋礒部神社。
参拝をすると、境内にいたご近所の方から、お屠蘇(おとそ)をいただきました。
筒石駅。
280~290段の階段を使ってトンネル内のホームまでたどり着く、珍しい構造の駅。見に行きたいところですが通過。
北陸本線筒石駅跡地記念碑。
かつては、この付近を北陸本線が通過しており、筒石駅の跡地の記念碑が立っていました。
9.藤崎宿
頸城(くびき)トンネル斜坑入口の看板が、所々にありました。
トンネル事故があったときの救助用にわかりやすく記してあるのだと思われます。
今歩いている道は、日本海を眺めながら、自動車のストレスなく走れる。30キロメートルに及ぶサイクリングロード。
多くのサイクリストとすれ違ったり抜かれたりしました。
真夏の行軍のトンネルは、気温が低く陽が当たらないので、最高のコンディションです。
10.能生宿
珍しい形の岩があると大抵名前がついてます。ニワトリに似ていると思ったら、まさにその通りで、この地域の方言でニワトリの事をトットコと呼ぶそうです。
整然と能登瓦の家々が並ぶ港町の何気ない風景が、見惚れるくらい美しかったです。
白山神社。
階段を昇りきり、鳥居をくぐると茅葺の拝殿が静かに佇んでいます。
能生の伝統行事、灯籠揃い(ぞろい)。
盛夏に疫病、邪気をはらう能生白山神社の神事。
ちょうど本日が開催日で、14の町内が参加して行われる様で、製作者とお孫さんと思われる家族が白山神社鳥居前に記念撮影に来てました。
本日お世話になる、なめかた旅館。
桝形の角に位置してます。
これだけでテンションが上がってきました。
久々のカニ、食べ方忘れてて、女将さんに聞きなんとか完食。
カニに夢中で灯籠揃いのお祭を観に行くの忘れてしまいました。
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