北陸道9 動橋宿→金津宿
新潟県から滋賀県まで北陸を縦断する道は、北陸道・北国街道・加賀街道、様々な呼び方があります。
2024年夏の歩き納めは、日本海側の文化を感じながら、猛暑・台風・心身、三つ巴の戦いをしながら北陸道を南下します。
極限状態の真夏日の、歩き方ノウハウが散りばめられた記録をお楽しみください。
2024.08.29
1.動橋宿
宿泊した場所は片山津温泉。
街道からは3キロ近く離れており、まずは街道に向かって進みます。
信号がなく自動車も来ない、田圃の中の道を歩くのは気持ちが良いものです。
この付近の水田を開拓した事について、当時の石川県知事のコメントが石に刻まれてます。
白山と柴山潟に挟まれた何も無かったこの土地に、水田を切り開いたものの、干ばつの時は水争い、低湿地の為洪水に悩まされたりと、数多くの苦難を乗り越えた末に、大規模開拓に成功したことについて書かれてます。
何気なく目にしてるこういった水路なども、多くの苦労の積み重ねなのですね。
様々な鳥たちが、朝から何かを待ってるような感じで、鷹はそれを空からゆうゆうと見下ろしています。
朝、人が動くのを待ってるように見えます。
ローソンの店内で作っている、カツと卵のサンド、美味しかったです!
橋本酒蔵の所有物と思われる大きな蔵が改修工事中、完成したらここでお酒を飲んでみたいです。
あまり数がないのか、パラパラと飾られた祭の提灯。パラパラ加減が何とも言えない雰囲気を出してます。
2.作見宿
道路標識が温泉だらけ、加賀温泉郷らしいですね。
地域の名士が銅像になって、椅子に鎮座しています。普通は銅像は立っているものですが、座っている銅像は極めて稀です。
おそらく制作に関わった方々が、大先輩の名士が立っていてばかりでは申し訳ないと思っての配慮でしょうね。
そんな心配りに感動しました。
ティールームD51。
このお店の佇まいとフォルム、絶対いい店に違いありません。
IRいしかわ鉄道と北陸新幹線。
北陸新幹線が開通した事で、北陸本線はJR西日本から切り離され別会社になってしまいました。
この光景は、江戸時代に賑わった街道が、明治に入り鉄道に、昭和に入り自動車に主役の座を奪われた世代交代の、現代版の姿です。
数十年後には北陸新幹線は、空飛ぶ乗り物に主役の座を奪われるのでしょうね。
3.大聖寺宿
門の左右に下駄の絵馬が掛けられています。
由来を調べると、神社の正面で下駄を履き替えてお参りし、後ろの門から出ると病が治るという慣わしにちなんで、絵馬が下駄の形をしているそうです。
北陸道を歩く旅人の健脚祈願も込められているようです。
黄色い紙垂(しで)。
黄色は魔除けの色、色が付いた紙垂は初めて見した。
大聖寺高校。
屋根付きの立派な門、大学時代の同級生の母校でした。
この先は加賀と越前の国境地帯の山道を通り抜けます。
食事場所がないので食料を備蓄。
お医者さんが100m位の区間に4件も、商店街の如く並んでいました。
どこか痛くなったら、この通りに来れば何とかなりそうです。
大聖寺ビアガーデン。
夜はどんな姿になっているのが、見てみたいです。
日本百名山の著者、深田久弥の生家がありました。
深田久弥終焉の地である山梨県北杜市の茅ヶ岳には、若い頃に昇った記憶があります。
大聖寺宿には大聖寺という寺はありません。
平安時代に白山信仰が盛んな頃は、白山五院のひとつの寺院でしたが、その後は大聖寺城となり加賀越前国境の城下町として栄えてきました。
4.橘
道がわかりづらく、最初は住宅地に入ってしまい、通行人に聞いたら全く違う方向を教えてもらい、なんとか辿り着きました。
手描きの看板、味があっていいですね。
八十段近い階段を昇りきった場所で待ち受けていたのは笑顔の狛犬。
昇ってきて良かったです。
水汲坂。
この坂の下でおそらく沢があり、水を組んだのでしょう。クタクタで降りる気力はありません。
藩政下の北国街道地図。
とてもわかりやすい地図です。
このような全国共通の地図が日本中の街道に設置されている、いつかそんな時代が来ることを祈りますし、祈るだけではなく実現できるように努力します。
片山津ゴルフ倶楽部ウエスト。
Google マップを見ると、ゴルフ場の敷地のど真ん中に、一里塚や史跡が点々とつながっていました。
地図上は道がないので歩いていけるのかわからなかったので、ゴルフ場に電話をかけてみました。
歩けるか確認したところ、ゴルフ場の道があるので通ってください、気をつけて歩いてくださいねと丁寧なご案内。
ゴルフ場の営業とは関係ない問い合わせなのに、気持ちよく対応いただき本当にありがとうございました。
気持ちよく歩けました。
JA加賀奥谷梨共同選果施設。
こんな広大な果物畑を見たことがありません。日本離れした風景に唖然としました。
梨の白い花が満開の頃は、圧巻の風景になると思われます。
国境一里塚跡。
加賀から越前に入ります。
今回の北陸道は、北から、越後・越中・加賀・越前・近江の順に南下、残る国は終点の近江。
旅の終わりの近づきを、感じるようになりました。
5.細呂木
名号(みょうごう)とは、仏・菩薩の称号。代表的な名号は、六字名号とも呼ばれる南無阿弥陀仏。
南無阿弥陀仏の意味は、仏様を信じておまかせする事、そう考えながら唱えると何事もスッキリします。
峠道を降ってってくると、突然目の前が開け、右に風量発電所、左に太陽光発電所が見えてきました。
あと少しで北陸道最後の平野、越前平野に入ります。
この付近は、池や川に綺麗な水草が生い茂ってます。
水が綺麗なのでしょう。
嫁おどし谷 説明看板。
先ほど通った、嫁威という恐ろしい地名の由来が書かれています。
越前平野に入ると、土の色が赤茶色になってきました。
ブラタモリだったら、ここで専門家が出てくるところですね。
福井鋲螺(ふくいびょうら)本社。
建物はどうみても結婚式場、鋲螺とはネジの総称です。
照巌寺。
京都のお寺のような階段の山道です。昇りたかったのですが、元気がなく下からの撮影でおしまい。
北陸道は瓦の色の移ろいが楽しめます。
越中に入ると黒光りした能登瓦、加賀に入ると赤の瓦、徐々に色が変化し越前に入ると、薄い灰色の瓦にがらりと変わりました。
金津村田製作所。
西国街道の京都府長岡京市を歩いた時に、商店街のアーケードに村田製作所の名前が書かれており、これぞ企業城下町だと思いました。
神足(こうたり)商店街の東ゲート。
村田製作所 本社ビル。
神足商店街の西ゲート。
製品の9割を輸出している世界トップクラスの電子部品メーカー。本社を東京に移さないところが素敵です。
西国街道、村田製作所の企業城下町・長岡京を歩いた時の記録は↓
6.金津宿
5日間の旅が終わりました。
4.5日目がきつかったので、これからは長くても4日にします。
次回で終点の近江国・鳥居本宿を目指します。