陸前浜街道8 原町宿→新地宿
2023年に福島浜通りを訪れた際に聞いた衝撃の一言。
「昨年、11年ぶりにに歩行者が道を歩けるようになった」
11年間も人が歩けなかった道があったなんて、深く考えさせられ決めました。
「よし、年明けは浜通りを歩き、歩く事で街道に人流を復活させよう!」
ということで、2年前に江戸から水戸まで歩いていたので、その続き"陸前浜街道"を宮城県岩沼宿まで歩く事にしました。
2024.03.13
1.原町宿
雨があがり爽やかな朝。
視界良好、気持ちよく歩けそうです。
野馬追い通り。
今歩いている道を逆方向の江戸方面に向かって約3km地点に、三日間にわたって執り行われる相馬野馬追いの、二日目の行事会場"雲雀ケ原祭場地"があります。
詳しくは昨日歩いた記録をご覧ください↓
損保ジャパンの壁面は、全面野馬追いで飾られてます。
今歩いている道は、野馬追いに参加する馬が列をなして行軍する、"お行列"という行事の会場。
見応えありそうですね。
高札場は街道を歩いているとよく目にしますが、その言葉の意味を、上の説明看板を読んで初めて知りました。
「庶民が見上げて畏敬の念を持たせる高さにある札」
らしいです。
読み手の心理状態まで考えて作ってあるのですね。
ファーストフードのメニューは、そこまで考えて無いですよね。
水無川を渡り原町宿とお別れ。
二日間に渡り楽しめた、歩き応えがある宿場町でした。
陸前浜街道は、原子力・火力・風力・太陽光と、水力・波力以外の様々な発電方法で電力を県外各地に供給しています。
上記4種類の発電方法を見ると、力が付く電力の発電方法は、タービンや風車など回転しての発電というのは予測が付きます。
太陽光は、回転せずに発電している、天候に左右されるとはいえ、コストパフォーマンスを考えなければ、とても良い良い発電方法なのでしょうね。
みたことがない位の広さの工事現場に、土地が運び込まれています。
除染土なのでしょうか?
只今の時刻は07:31、風に乗って朝礼の声が聞こえてきます。
2.江垂
昇り応えのありそうな階段です。
何かありそう。
風格のある拝殿で参拝すると、先程昇った階段の参道は国道が出来た後に作ったものらしく、反対側に旧道がありました。境内を後にその旧道を歩いていると、境内の裏手にひっそりと佇む小屋を発見。
水面が見えましたので、井戸の様です。
説明看板には、"日吉神社のおみだらし"と記されています。
この井戸の水で目を洗うと、眼病が治ると言われていますが、洗うには少し勇気が必要な感じ…
"吹流し"が大きくなびいてます。
吹流しとは、工事現場や道路などに設置されている、目視で風向きや強さを確認するための鯉のぼりの様な布。
昨日から発達した低気圧の影響で、台風並みの風が吹き荒れ、空の便が欠航になり、今日も強風注意報が出ています。
冬の強風は本当に心が折れます…
3.鹿島宿
鹿島宿石碑。
ここにも馬がいます。
食べるお店がないエリアなので、冷たい北風をあびながらベンチでの朝食。
お店で作っているサンドイッチで、とても美味しかったです。
鹿島御子神社の境内は、御神木の夫婦欅に護られている感じで、心地良い空間でした。
南相馬市の北泉海岸が、サーフィンの聖地”と呼ばる位の全国有数のサーフスポットであるため、街中にサーフショップがありました。
キタヤ洋品店。
店の看板に気になる言葉が。
来る人も 又来るた人も 福の神
チャレンジショップやってみっせ
気になります。
全身赤装束の地蔵は、初めて見ました。
これは相馬地域の風習かもしれません。
一里壇。
初めて見る地名で、どうやら一里塚の別の呼び名の様です。
道の駅の名前が、未来本陣SOMA。
未来の本陣とは、どんな想いがこもっているのか、気になりますね。
4百尺観音
旧陸前浜街道松並木。
突然松並木が現れます。
結構な長さと保存状態で、まさかの出会いに嬉しくなってきました。
街道から少し逸れますが、地図上に百尺観音と記されているのを発見してしまいました。
一尺か約30cmなので百尺だと30m、10階建の建物の高さに相当するので、行ってみることに。
大きいです!
それよりも驚いたのは、昭和5年に荒嘉明さんという29歳の男性が作り始めるも、完成には至らず、その想いを代々引き継ぎ、四代目までに引き継がれて、現在の姿に至るっている事です。
今の時代に、その様なスピリッツが引き継がれているとは、奇跡としか思えません。
相馬付近の地蔵はみんな赤装束の衣装を纏っているようです。
5.中村宿
ラーメンスープの最後の一滴までが、冷え切った身体の五臓六腑に沁み渡ります。
店員さんがひとりで切り盛りしているので、お客さんはみんな食べ終えた食器を自主的に厨房に運んでいました。
ホッコリする風景でしたが、ひょっとすると近い将来、人が配膳するサービスも珍しくなるかも知れませんね。
丁子路(T子路)付近にある店は、丁子屋という屋号を付けます。
有名なのは東海道丸子宿のとろろ汁の丁子屋。混んでいて入れませんでした。
下の画像の、丸子橋を渡り切った突き当たりが丁子路になっており、真っ正面にとろろ汁の丁子屋があります。
丁子屋の前を歩いた時の記録は↓
丁子路を右折して、画像正面に向かって進みます。
本来は丁子路を直進して、相馬野馬追縁の、相馬中村神社に寄り道して参拝したかったのですが、あまりの風の強さに諦めたました。
又来ます。
商店街の店の看板が、上の画像の様に統一されてます。
三角屋根の街並み。
商店街の建物が、三角屋根で統一されてます。往時の建物がそうだったのかもしれません。
小泉川を渡り、中村宿を後にします。
今日は3月12日、風に乗って春闘の集会の掛け声が聞こえて来ました。
6.強風との戦い
上の画像の大きな屋根の蔵は、奥州浜街道でよく目にする特徴的な蔵の形です。
上の画像の道路標識には、写真が付いてます。初めて見ました。
水神。
みずかみ・すいじんと読み、水に関する神の総称。農業や生活に欠かせなかった水に対する思いを感じます。
昨日あたりから、ため池が沿道に多かったので、この付近は降水量が少ないか、山から海の距離が近く、灌漑用水の確保が難しかった事が想定されます。
水神の後に、早速ため池が現れました。
お約束の、"ここであそばないきけん"の表示。
ため池と言えば、西国街道で兵庫・岡山県付近にも、多くのため池がありました。
その中で面白かったのが、池ポチャゴルフ練習場、生活の知恵ですね。
池ポチャゴルフ練習場を歩いた時の記録は↓
馬頭観音。
街道沿いの道端で最も多く目にする石碑が馬頭観音です。
頭が馬の形をした観音様を想像しますが、江戸時代以降の慣しで馬の供養として祀られています。
馬頭観音をよく目にする場所が坂道、きっと昇り降りで馬が苦労したからだと思われます。
山神。
先程あった水神は、水に関する神の総称でした。今歩いている場所は沿岸部なのに何故山神の石碑があるのか。
それは農民の間で、山の神は春に山から降りてきて田の神となり、秋に山に戻るという信仰があったからです。
深いですね。
線路が無いはずの場所に踏切が見えて来ました。
道を間違えてしまったのか?一瞬焦りましたが、オブジェでした。
街道歩きは修行也。
遮るものが何も無い田圃の中の単調な道と、朝から容赦なく吹き続ける強風。
雨よりも雪よりも辛い一日も後少しの辛抱です。
7.新地宿
歩道と車道が"分離"された道は、主に二つのパターンに分けられます。
3枚上の画像の歩道は、abどちらにも該当しないニュータイプでした。
ちなみに長距離を歩くと、後半戦の段差有りタイプの歩道は、地味な難敵になります。
強風地獄からの脱出。
今回4日間の行軍で唯一の大浴場がある宿、ゆっくり温まります。
お店の中で、高校の先生方が飲んでいて、あの高校よりあの高校の方が偏差値が高い、東北大学くらいなら簡単に入れる、みたいな話を力説していて、視野の狭さに心配になりました。