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「ラジオ」の意味はもう共有できない。

僕がnoteを始めた当初、オモ写など趣味についての記事がメインでしたが、仕事であるラジオについて触れ始めたのは2019年。
意外と最近のハナシなんですね。

その最初の記事がこちらです。

いくらラジオを仕事にしているプロフェッショナルであっても、「わたし、ラジオが好きなんです」と近づいてくる者には気をつけろ。
「ラジオ」の意味によっては怪我をするぞ、という老子の訓話でした。

それだけ「ラジオ」という言葉には様々な意味があり、強度の「ラジオ好き」は、相手が家電に関心がなくても、他局の人間であっても、たとえ電信柱であっても、己の熱意を伝えたいトライブなのです。

先日「ラジオの未来」について取材を受けた時に思い出したのが、上掲の記事でした。

ここ数年「わたしVoicyやってるんですよ」とか「あいつはstand.fmに番組持ってる」みたいなハナシをよく耳にします。

「俺の話を聞けぇぇぇ」と一億総横山剣状態になりそうな昨今、こうしたアプリ経由の音声配信も、もはや利用者にとっては「ラジオ」なんですよね。

タイムラインで「これからラジオやります」なんてツイートを見かけ、職業柄追跡してみたらスペースだったとか、まあ「ラジオ」もいろいろあるわけですね。

僕らが職業として放送している「ラジオ」も、radikoタイムフリーによってオンデマンド聴取が増えています。
「いま聴いてもらわなきゃ意味がない」というスポンサーもいるので、商売的には複雑な思いのご同輩もいます。

とは言え、もうこの状況は止められません。

すでに日中ワイドには、radikoタイムフリー聴取者数がライブ聴取より上回っている番組もあるのです。

昔ながらの地上波における「ラジオを聴いた」という言葉ですら、時空を共有できなくなっているわけです。

個人的な思いを書いておくと、radikoをバックグラウンドに回して、ツイート実況でハッシュタグを共有しながらライブ感を楽しむのが、理想の新しいラジオ像だったのです。

だからタイムフリーが始まると知った時は「なんだよバカー」と思っちゃったものです。
仕方ないんですけどねバカー。

2019年に書いた上掲記事はあくまで「地上波のラジオ」についてですが、わずか数年で、「ラジオ」という言葉は多様性を持ち過ぎてしまっています。
ややこしい時代ですな。

取材ではそんなハナシをつらつらとしたんですけど、たぶん相手はもっと経営的な話題が欲しかったのかなと、見送ってから反省しますた。
ごめんねー。

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みくばんP
ラジオ局勤務の赤味噌原理主義者。シンセ 、テルミン 、特撮フィギュアなど、先入観たっぷりのバカ丸出しレビューを投下してます。