好きなことだけやってきたわけじゃない
好きなことだけやってお金もらえたら、そんないいことはないですよね。
僕はよく親だの友人だの周辺から「お前は好きなことしかやってない」「趣味で喰っていて羨ましい」と言われるんですけどね、もう、それは誤解どころか曲解もいいところなんですよ。
だって、そもそも根本的に根源的に根幹的にラジオが就職したいほど好きだったわけじゃないのです。
「ラジオが好きすぎて就職しました」なんて笑顔で語れる後輩たちは、僕よりよっぽど幸せ者ですよ。
1969年生まれの僕がこどもの頃は、ラジオなんて電気や水道と同じようなインフラだったわけですよ。
喉が渇いたら水を飲むように、ひとりで退屈だったらラジオを付けてたわけですよ。
深夜放送で爆笑して翌朝登校したら、誰か彼かその話題で盛り上がれたわけですよ。
でも本当に好きだったことは、音楽を作ったり映像を作ったり絵を描くことです。
ラジオより楽しいことは他にもあったんですね。
だからいまだに、格別好きだったことを仕事にして、天職に就いた感覚はないんですね。
もし就職活動が5年から10年遅ければ、おそらく「コンテンツ」というものに関わる仕事を探していたと思います。
好きなことを仕事にしているように映るのは、たぶん自分が仕事を好きになるために、強引に好きなことをブレンドしてきたからだと思います。
制作に配属された時は本当に困りました。
今ではその間の記憶のほとんどをフォルダごと削除したいほど、つらい日々でした。
人によっては最高の日々になったかもしれませんけどね。
例えば引き継いだワイド番組にプロ野球コーナーがあったんですが、落合博満さんが監督を退いてから、いっさいプロ野球観戦をしておらず、選手名はほとんど知りません。
さらに芸能にも関心ゼロなので、ゲストを斡旋されても、その人が世間的に人気があるのかどうかもわかりません。
放送するものにここまで愛のない人間がディレクターやってていいのかと悩みつつ、じゃあ無理してオリコンチャート上位曲を毎週チェックしてみよう!とか絶対に思わないのです。
ま、その辺のサルにディレクターを託すのと変わらないレベルのゴミ仕様だったんですよ。
一番辛かったのは、聴取率を下げないよう前後の番組と関連付けないといけなかったこと。
つまり前後の番組の聴取者の好むことを継承しなければいけなかったんです。
朝からずっとラジオ、しかも同じ局を聴き続ける人なんて昔ほど多くないのに、その最大公約数を守らないといけないことに憤りを感じていました。
だから新規で立ち上げる番組には、自分が興味あることを取り入れることから始めたわけです。
ちなみに、初めて企画した150分ワイド番組は、ゲーム音楽、シンセサイザー、DTMまみれとなったのであります。
さらに大きな転機は、広報担当になってから。
誰かに命じられたわけでもないのに、パーソナリティの画像を使ってクソコラ社内貼りやクソコラバナーやクソコラ動画やクソコラプレスリリース作りに没頭し始めたのです。
広報として当然ウケてるか確認したいのでエゴサしてるうち、想定してない解釈を見つけたり、あるいは普段ラジオを聴いてないとおぼしき人が反応してたりと、ラジオ村以外の声を拾うことが増えました。
そこから僕の仕事は「この人たちをラジオに連れてくるには?」がテーマとなりました。
一歩下がって当時の編成や広報手法の欠点を探しながら、足りていないものを補っているうち、現在に至ります。
ラジオが好きだから仕事をしていたわけではなく、仕事をすればするほどラジオの送り手と世間の差を痛感することになり、ラジオ文脈になかった自分の好きなことに寄せながら、ノンリスナーから気にかけてもらうよう考えること、それ自体が自分の仕事になってきたわけですね。
業界全体としては苦境なのは否定のしようがないんですが、売り上げのみならず編成目線でも、自軍はなんとか踏ん張れていると思う機会が増えています。
好きなことだけやってきたわけじゃないけれど、今は仕事そのものが好きになりつつあります。