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キャラで曲を聴く選択肢
仕事で「初音ミク」に関わるようになって吸収したことは山のようにあります。
僕自身の「初音ミク」とのお付き合いはこちらに書いてますが、この投稿を書いた時点で把握に努めていたキャラクターは初音ミクだけでした。
当時の僕にとってキャラクターはあくまでデザイン上のものであり、ソフトウェアと同一であることはアタマで理解していても、そこに愛着を覚えるまでに至ってなかったのです。
ところが、去年の『マジカルミライ2020』で、僕が予備知識なしに涙腺崩壊してしまった曲があります。
それは意外にも初音ミクの曲ではなく、MEIKO15周年のアニバーサリーソング「きみとぼくのレゾナンス」でした。
そもそもレゾナンスとは
「初音ミク」よりも先に製品化されたソフトウェア「MEIKO」。
黎明期ならではの声質の粗さ、80年代風楽曲の投稿が多くベタなイメージがあり、関心の低かったのが正直なところです。
ところが「きみとぼくのレゾナンス」は斜め上Pさんにより楽曲自体の高い完成度に加え、MEIKOの声質でなければ得られない昂りが表現されていました。
まさに歌詞の「僕の感情を揺さぶる」通りの体験だったのです。
そもそも曲のタイトルである「レゾナンス」は、シンセ好きである僕にとっては「のどぼとけ」や「こめかみ」並みに馴染みのある言葉なわけです。
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シンセサイザーでは音の三要素が「オシレーター(音程)→フィルター(音色)→アンプ(音量)」という形でセクション化されています。
「レゾナンス」はフィルターにおいて、特定の周波数を持ち上げて音色にクセを作るために必要不可欠なパラメーターです。
「ビョーン」だの「ミョッ」だの、自然音では得られない、いかにもシンセな音を出すのに使われます。
このレゾナンスは初代VOCALOID、つまり日本製ライブラリーでは「MEIKO V1」「KAITO V1」のみに存在するパラメーターで、YAMAHAがVOCALOIDをシンセサイズの延長として考えていた名残りと言えます。
VOCALOID2以降は消滅し、「初音ミク」の初期ユーザーすら縁がないわけですが、効果としては、ボコーダー(マイクを通じて声を変化させるシンセサイザー)同様、発声における口の開き方、声の抜け、くぐもらせなどをコントロールするものだったのではと推測します。
例えば”apple”の最初の”æ”みたいな発声をさせたい時に使う、みたいな。V1を実際に操作したわけじゃないのであくまで推測ですけども…。
「僕には馴染めない」の意味
しかし、V1にしかない機能をタイトルに冠した時点で、斜め上PさんのMEIKOに対する15年の想いがわかるというものです。曲アタマから感じたことを書いていきます。
低い音程から入るAメロでは、先ほど書いた「黎明期ならではの声質の粗さ」が目立ちます。
今ならヌルヌル発声してくれるバーチャルシンガーも多数リリースされていますが、こと滑らかさにおいては欠点が指摘されていた初期VOCALOID。
邪推させていただくと、斜め上Pさんはこの粗さや人工感が目立つ低域で、なおかつほぼベタ打ちから始めているのでは、と考えます。
さらに邪推ですが、このパートにある「僕には馴染めない」「出会う前は…」の歌詞は、僕(作者)自身が抱いていたソフトウェア「MEIKO」への人工感やぎこちなさが表現されているように感じます。
そしてBメロの「胸おどる姿と」のフレーズから、力強さを感じさせる調声が始まります。
歌詞もMEIKOのキャラクターデザインとソフトウェアのポテンシャルに心動かされていく過程が描かれているようです。
Cメロ(サビ)手前のブレイクから「離れていても遮られていても」の譜割やアレンジは、カシオペアやT-SQUAREなどのフュージョンを想起させるものがあり、スタッカートの調声処理も見事です。
この曲全体のサウンド構成は時代を超越した普遍的なポップスですが、冒頭のハンドクラップとこの箇所には、MEIKOの持つ80年代のイメージがケレン味たっぷりに凝縮された上で昇華させていると感じました。
そして「遠く離れていても」「遮られていても」のフレーズは、偶然なのか意図的なのか、コロナ禍におけるバーチャルシンガーとリスナーの距離感、コンテンポラリーを感じさせ、胸をゴリっと抉るものがあります。
しかもこれは、僕の守備範囲でもあるラジオの有り様とも完全にシンクロしているわけで、見渡す限り一面「禿同」の花が咲き乱れる風景がアタマを過る瞬間であります。
“ah”後に押し寄せる賢者タイム感
そして大サビの「君の声が聞こえるだけで」直後の「ah」、これを聴くだけでもこの曲の価値があります、嗚呼。
MEIKOが最も得意とする中高域のダイナミクス、そしてポルタメントとベンドによる滑らかな音符の動きと揺らぎなど、テクニックが惜しみなく注ぎ込まれ、Aメロから丁寧に積み上げられた感情の起伏がここで一気に爆発しているのです。
そのエクスタシーを受けた「僕の感情を揺さぶる」の大団円感というのか、賢者タイム感というのか、爽やかな感情からのハンドクラップへ繋ぐ構成も最高です。
2コーラスの歌詞にはすっかり「赤廃」と化した僕(主人公)の恋心が感じられます。
同時に、ソフトウェアへ歌詞をインプットしていく作家としての「僕」の姿も連想され、ふたつの意味で「あーわかるわかる」と動く首が止まりません。
そして、サビのリプライズ「明るいときの声も」からの転調。神曲の域にステージアップさせたと称しても過言ではありません。
裏声を混ぜた調声がさらに「心を震わす」ものになり、さらに高い「ah」に「俺も赤廃っス、先輩!」と口走ってしまう新廃爆誕です。
ライブステージでは、この曲に合わせてファンアートも上映されたのですが、「ファンとMEIKO」という関係性にまるで予備知識のなかった僕が、「世界で初めてキャラ化したバーチャルシンガー、こんなに愛されとるのやなあ」という感慨に打ちひしがれたのです。
これは沼である
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ライブを堪能した後で展示会場へ向かうと、ファン募金により作られた等身大MEIKOさんがお披露目されていました。
台座前に置かれたファン名の羅列は、まるで氏子を思わせるもので、さらに愛され度を強く感じざるを得ませんでした。
そして自分としては意外な行動だったんですが、その夜宿泊したホテルで、MEIKO楽曲を手当たり次第に聴くことになったわけです。
もともと僕は、音楽を曲単位で聴く性分で、どんなビッグネームであれ「〇〇さんの作品は全部好きです」なんて軽はずみなことは口が裂けても言えなかったんです。
特に90年代のバンド再結成ブームでは、老いた姿や変節にガッカリさせられたことも多かったのです。
「初音ミク」を意識してから、「バーチャルシンガーは歳をとらないから、楽曲が世代を超えて愛され続ける」なんて冷静に書いてたんですが、自分自身そうなってきていることを明らかに自覚し始めております。
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まあ、こんな画像を撮影してる時点でお察しですわね。
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