ゲイだからこそ得られるであろう幸せってなんだろう?

さてさて、前回は「ゲイだからこそ得られるであろう幸せ」ってものもありそうだよね。ってところまで話しました。
今日はそれをどうやって見つけていこうか?って話をしたいと思います。

幸せというのは
①自分の中で完結するもの
②他者との関係にあって初めて成り立つもの
の2種類あるのかなと思っています。

①は例えば、公的なものでいえば、仕事であったり資格の勉強だったり。(その結果、褒められる評価されるってのは②ですね。)
私的なものでいえば、各種所有物であったり、経験であったり、趣味特技であったり、価値観であったり、その他習慣であったり。

②は他者との関係=人間関係なので、家族、子供の頃の友人、ゲイの友人、恋人、同僚、などでしょうか。

あと、他に何か漏れてるものはありますか?
まあこれで網羅性は80%くらい担保してると思うので、先に進みます。

これらについて「ゲイだからこそ得られるであろう幸せ」って考えられますか?なんとなくゲイなんだから、家族なんてネガティブなことしかない、みたいな人も多いのではないでしょうか?

また僕の例で恐縮ですが、僕の家族にまつわるエピソードをお話ししたいと思います。僕は自分がゲイだとわかっていたからこそ、両親や叔父などが本来やるべきであった祖母の介護を約10年間引き受けていました。あとあと自分がゲイであることで、家族に迷惑かけたり困らせたり悲しませることをわかっていたので、どうにかそれを軽減することが目的です。

介護、というとなんだか不幸な響きがしますが、その日々は割と穏やかで平和なものでした。かわいらしい性格のおばあちゃんの話をニコニコ聞いてると、こっちのささくれ立った気持ちも落ち着きます。介護することが無ければきっと疎遠であっただろうに、ゲイであり、自分が介護を引き受けたことで、彼女との親密な長い時間を過ごせたことは僕の人生における一つのgiftです。
対両親という意味では、今でもカムアしてるわけではありませんが、万が一両親にゲイであることを話す日が来たとしても、自分は全部わかっていて、前もって親孝行をしてきたつもりなので、ゲイであることを責められる覚えはありません。ゲイだとわかっていたからこそ覚悟をもって、これまで行動していたわけです。ゲイでなければこんな覚悟を持つこともなく、祖母とも疎遠であったはず。僕にとってゲイであることは、決して一面的に家族を不幸にするものではなかったと思うのです。

これは僕一個人の話ですが、読んでる皆さんにもそういう「ゲイだからこそ深い関係が築けた」「ゲイだからこそ頑張れた」ことってのはいろいろあるんじゃないのかなって思います。それって人生を豊かにしてくれてると思いませんか?

さて、次はじゃあどうすればそういった覚悟をもっと持てるか、よりポジティブに自分を受け入れられるか?みたいなことを書きたいと思います。

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