カミングアウト
本日10/11は「国際カミングアウトデー」だそうで、今日は僕なりのカムアについて考えていこうと思います。
まず、僕は家族にはカムアしていない、けど学生時代の友人や社会人での同僚たちへは「聞かれれば答える」と言ったスタイルが基本です。こうなったきっかけは、二社目の外資系企業に転職した際に、「外資であればみんな当然カムアしてるんだろう…」という極めて軽率なきっかけでありました。(結果、社内でカムアしてる人はほとんどおらず、妙に目立つことに、、
今後はなるべく近いうちに家族へのカムアは果たしておこうかなとはやんわり思ってます。変に家族に期待を持たせたくないのもありますし、親自体にLGBTを取り囲む社会問題に関心を持ってもらいたいということもありますし、お互いに腹の内を開示し合わないと将来立ち塞がる諸問題(老後のケア、相続など)についての前提条件もそろわないと思うためです。別に僕は誰にも迷惑かけずに一人で生きていけるので、余計な心配をかけて気を揉ませたくもないのです。
とはいえ、親は親で僕に対して未来の(そしてなし得ない)家族像への期待など壮大に抱えていることもまあ想像に難くないので、あとはそのソフトランディングをどこに狙うかだと思っています。これまでの発言で傷付けたり…とか僕がそんな柔なタマでないのは彼らはよくわかってるはず。
このように、もう僕にとっては既にreadyな状況は整っていて、あとは話すきっかけとその順番(根回し的な意味で)くらいだと思っているので、そんな壮大な問題でもないのです。
ただこうやってよくよく考えてみると、たかだかゲイとして生まれたことで親を不要に悲しませる可能性があるってひどい社会風習ですよね。別にゲイであるからといって、僕が社会的に何か害悪をもたらすわけでもなければ、それが元で過剰に不幸な生い立ちになったわけでもない。強いていうならば、ゲイであるという特徴をもって、他人に負けない強さは手に入れたと思っています。親に話す時も、僕に人生を考える特別なギフトをくれてありがとう!と胸を張って言えると思います。
なので、まあ急ぐものでもなし、3年以内くらいのイベント感でカムアについてもちゃんと考えようと思います。あんまり遅いと親も親で受け入れ難さがより上がるような気もしますし。