HSPかもしれない症候群
HSPという言葉をご存じだろうか。
Highly Sensitive Person(ハイリー・センシティブ・パーソン)
と呼ばれるもので、
概念としては
「人より繊細な人」
といったニュアンスのよう。
この言葉を知ったのは数年前、
自身がこれに当たる人が
ブログでその旨書いていることを読んだ時でした。
内心どきっとしながら読み進め
ネットでいろいろ検索して理解を深めた。
「私もこれに該当するかもしれない」
いや、そうだろう。
と思いつつなんとなくスルー。
あまり深く考えたくなかったのでしょうね。
HSPの傾向による現実面での事象にぶち当たるたびに
なんとか打開策を取ろうと必死にもがきました。
実際にはもがいている実感すらなかったかもしれない。
それがもう長年の習慣、癖となっていて
当たり前のことだったから。
ここへ来てなんで急にHSPを認めようとしたのか
自分でもよくわからない。
なんとなくタイミングが来て
すっと認めてみる気になった、そんな流れでした。
だからと言ってなんなのだ
え、それでどうしたいの?
そんなオチもとくにはないのですが
認めたら楽になった、という事実があります。
たくさんの病名のついた症状が世の中にあふれるようになって
なにかしらのラベリングがなされる状況は
便利なようで生きにくい。
それでもこの状態を、気持ちを
どこかにすこんと収める場所が見つかったことは
なにかしらの落としどころができて
楽になったのだと思う。
それでもまだ疑ってみる
タイトルに挙げた「かもしれない」というのは
まだ自分の中で
「それ、ほんとう?」と
疑っている自分がいるということです。
正式に病院で診断を受けたわけでもなく
ネットの無料診断をトライしてみて
高スコアが出たり
書いてある症状が当てはまったりするので
自己判断でHSPと認めただけなので
真偽のほどは定かではありません。
もしかしてどこかで何かの決着をつけたい気持ちが
無意識に出てしまって
診断のスコアを上げてしまったのではないか?
症状もそれほど出ていなくても多くの場合に当てはまるように
誤認してはいないか?
そう疑う気持ちも含めて
「かもしれない症候群」
の位置にポジション取らせていただきました。
結論として
最終的にたどり着いた自分の考えは
それでもそんな自分を愛してる
ってことです。
ここまで長いこと付き合ってきたから
勝手も分かってて
そういった不器用な面を持ちながら
なんでかんでいびつながらもがんばってる。
そしたらもううまいことそんな自分を
乗りこなしながらがんばろうや。
ぐるっとまわって
たどり着いたのはそこでした。