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他人の不幸は蜜の味

という言葉がある。最近の言い方だと「他人の不幸で飯が美味い」メシウマとも言ったりする。

こういう言い回しは英語でもドイツ語でもあるらしいので、ある程度人類に共通するものなのだと思う。

この「他人」というのは「自分より遠い人」のことだと思う。

同じ他人でも近しい家族の不幸だと、蜜の味とも言ってはいられない。

自分より遠いところの不幸は自分の幸せに感じやすいということだろう。

秋田市内に入り込んで捕獲されたクマの殺処分について抗議の電話があったらしい。まさに他人の不幸は蜜の味だと思う。

抗議の電話を入れるくらいなら現地まで行ってクマを引き取ればいい。多分そこまでしないだろう。

街まで迷い込んで捕獲されたかわいそうなクマちゃん。正義の心に燃えるわたしは抗議の電話をするけれど、行政という大きなシステムにはかなわずクマちゃんは殺処分されてしまう…。

そういうものが味わいたいのだと思う。

自分より遠いもの、自分より大きいもの、自分にはどうしようもないものには魅力がある。

そしてより大きな問題は自分の小さな問題を見えなくしてくれる。

本当に環境問題を解決したいなら、道路に座り込んだり美術館の絵画にペンキを投げるよりもよりよい方法がある。

道路に座り込んだり美術館の絵画にペンキを投げるのは誰でもできる。

そして、問題は解決しない。解決しないことで「巨大な悪に立ち向かっている」「世界と戦っている」そういう自分でいられる。

むしろ解決してもらっては困る。悪がいなければ正義は成り立たない。

自分より遠くのことに目を向けることが悪いわけではない。でも、遠くのことで自分が怒ったり攻撃的になったりしていたら注意が必要だと思う。

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石原滋之@システマ岡山
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